本物には勝てない
「ところで、九十九はそういった知識はどこから得たの?」
「オレは人間界に行ったからな。一応、この世界の人間たちよりは、ある程度、正しい方向の知識があると思っている」
九十九はどこかつまらなそうにそう答えた。
先ほどまでと違って、顔が見えているだけ、表情は読みやすい気がする。
「それを言えば、わたしもこの世界の女性としてはソッチ方面の正しい知識がある方なのではないだろうか?」
「……見方を変えれば、そう言えなくもない」
少し、迷って九十九はそう言ってくれた。
否定する材料がなかったらしい。
「ただ、お前と話している限り、この世界の同じ年代の女ほど性知識があるかと問われたら、オレは否定させていただく」
「ぬ?」
なんだろう?
不思議な言い回しをされている気がする。
「人間界で教育を受けているだけあって、最低限の正しい性知識があることは認める。男女関係なく多少の生理的な現象も知っているみたいだしな」
「ふむふむ?」
「だけど、閨事に関しても最低限の知識しかねえだろ?」
「処女だからね」
閨事って、実際に子供を作る行為のことだよね?
そんな経験が無いのに、ソッチ方面の知識が豊富なのもどうなの? って話だ。
「お前の後輩のように、この世界では十代で婚姻して子供を産むことも珍しくない。何より、婚約者の『発情期』防止のために婚前交渉も推奨されている。つまり、正しい知識はねえけど、十代にして既に経験がある女が多いんだよ」
「あ~」
実践に勝る経験はなし。
そういう話らしい。
確かにある程度医学的に正しい知識を持っていたしても、本物を知る人たちに勝てるはずもないのだ。
「だからって、安易に経験しようとするなよ? 実体験を知っている方が偉いとか、正しいって話じゃねえんだ」
「いや、それぐらいは分かっているよ」
わたしはそこまで馬鹿じゃない。
いや、馬鹿になりそうだった時期があることは認める。
流されて、迷って、受け入れかけて……。
でも、そんな馬鹿な自分を死に物狂いで守ってくれた人がいるから、そんな馬鹿な自分に気付かせてくれた人もいるから、わたしは馬鹿なままではいられない。
「それなら良い」
九十九は笑った。
自分が苦しんでも、辛い思いをしてでも、わたしのために止まろうと、叫んでくれた人。
「あれ? でも、九十九は閨事の知識があるの?」
「…………」
あ、黙られた。
「実体験は覚えていないんだよね?」
「覚えてねえよ」
あれ?
でも、それにしては、九十九の動きは妙に手慣れていたような?
いやいや?
始めは結構、乱暴だった。
服は引き裂かれ、下着は、中央から、多分、魔法で切り裂かれた。
それは慣れた人の行動ではない気がする。
行為をするたび、そんなことをされていたら、女性は服や下着にお金がかけられなくなってしまう。
それに、手首を押さえつけて、足も絡められて、わたしの身体を動けないようにした後、いっぱい口付けされたし、あちこち身体も触られたのだ。
その動きが変わったのは……?
「えっと……、『発情期』中のことについて、ご質問、よろしいでしょうか?」
「……おお」
その間に彼の葛藤を感じた。
だが、「発情期」と言われてしまったら、断れないのだろう。
わたしはそこに付け込む。
いや、今じゃなきゃ聞けないから、これは仕方ない!!
「なんで、普通に脱がさなかったの?」
「…………」
九十九は再び黙る。
「九十九なら、器用だからするすると脱がすことができたんじゃないの?」
「できねえよ。オレをなんだと思っているんだ?」
器用で、何でもできる有能な護衛だと思っておりますが?
「あれ、頂き物だったんだけど」
「……それは、悪かったと思っている」
「謝罪は分かった。でも、さっきも聞いたけど、なんで、服や下着をズタボロにする必要はあったの?」
あの服はあの場所で貰ったものだった。
確かに、自分の趣味ではない服を着せられたとも言えなくもない。
そして、身に着けていた下着については、自前の機能的ではあるが、飾り気はなく可愛くもないものではあったと自分でも思っている。
それでも、ボロボロにして良いわけではない。
「その時の思考は、朧気ではあるが……」
「朧気?」
「はっきり覚えているのは、『逃がさない』って感情だったはずだ」
当人から、聞かされた言葉は、割と……、言葉を失うものだった。
思考が朧気ってことは、あまり正常に物事を考えられない状態だったってことだろうか?
「『発情期』中の思考を説明するのは、今となってはもう難しい。本当に目的以外のことは考えられないし、とにかく、熱くて、乾いて、欲しくて欲しくてたまらなかった」
目的って、この場合はえっちをするってことだよね?
熱いのは分かる。
あの時の九十九は、本当に大量に汗を掻いていたから。
あれだけ水分が流れ落ちていたのだから、当然ながら、喉も乾いたことだろう。
部屋は空調が効いていたはずなのに、わたしも熱かった。
そして、欲しい……。
この場合の欲しいって……、多分、そういうことだよね?
そうなると、その相手は目の前にいたわたしってことで……。
「一応、確認するけど、欲しいって、何のこと?」
「…………」
九十九が目を丸くする。
まさか、確認が入るとは思わなかったんだろうな。
でも、これは、ちょっと……、うん……、ね?
「『発情期』になった時、近くにその対象になるヤツがいたら、そのことしか考えられなくなる」
彼がわたしから、目を逸らしながら、自分の胸をぎゅっと掴んだ。
そして、目を固く閉じると……。
「あの時のオレは間違いなく、お前が欲しかった」
―――― ふわあああああああっ!!
思わず、そんな叫び声を上げたくなるような言葉を言ってくれた。
既に過去形である。
そしてその感情も全ては「発情期」から起こったものだってことも理解している。
それでも、そんな言葉を言ってくれたのだ。
それでも、わたしは嬉しかった。
間違いなく、嬉しかったのだ。
今、胸を駆け巡っているのは「歓喜」。
頭の中に歴史ある名曲が流れる。
ジャジャジャジャーン!!
あれ?
なんか違った?
どうやら、いろいろ混乱しているらしい。
頭の中の音楽プレイヤーがおかしなことになっているのは分かった。
その言葉を言ってくれた九十九は大きく息を吐いていた。
明かにその顔色は悪い。
そして、汗を掻いている。
これって、わたしが、いろいろ思い出させたせいだろうか?
「九十九? 大丈夫?」
「あ? ああ、大丈夫だ」
わたしが言葉をかけると、九十九は力なく笑った。
明らかに無理させてしまった気がする。
「た、タオルを……」
ああ、何故、わたしは召喚魔法が上手く使えないのだろうか?
「タオル? ああ、自分で出す」
そう言いながら、タオルを出して、そのまま勢いよくぼふっと埋もれた。。
そして、そのまま、タオルに顔を押し付けたままの姿勢で止まった。
声を掛けることもできずに、暫く待ってみる。
苦しくないのだろうか?
そう思いもしたが、待つ。
……。
…………。
………………。
どれぐらい、待っただろうか?
「栞……」
ようやく、声を掛けられた。
顔をタオルで押さえたままで。
「はい」
でも、呼ばれたので返事をする。
「お前はまだ、聞きたいことはあるよな?」
「あるけど……、もう良いかな」
わたしの質問は、九十九を追い詰めるだけのような気がする。
知りたかった。
知らなかった。
聞きたかった。
聞きたくなかった。
答えが欲しかった。
でも、答えを求めることで、彼が今より傷付くなら、求めたくない。
「いや、聞け」
「ぬ?」
だけど、九十九はそう言った。
「オレがやったことで、お前に生じた疑問だ。戻る前に吐き出しとけ」
「でも……」
「良いから、早く全て吐いて楽になれ」
「そう聞くと、なんか、わたしの方が悪いことをしているみたいだね」
わたしがそう言うと、彼はタオルをとった。
そして、少しだけ濡れた黒い前髪が、額に張り付いているのを指先で直すと……。
「ここは大聖堂だ。咎人が、告解と贖罪をするのに相応しい」
そう言って、わたしに強い瞳を向けるのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




