想像してみたら
彼は想像してみろと言った。
「高い金を支払ってヤることだけが目的の女を呼び出したら、自分を振った元彼女が来た男の心境を」
そこにどんな感情が込められていたのかまでは分からない。
そして、口は悪いのに、ある程度言葉を選んでくれる九十九にしてはかなり率直な物言いだった。
でも、これだけははっきりと言える。
「気まずい」
まるで、喜劇か悲劇としか思えない。
前者ならある種の救いはある。
ネタとして笑い飛ばせてしまうから。
でも、後者ならば誰も救われない。
「そうだよな? そう思ったオレは悪くないよな?」
「あ~、うん。これまでミオリさんの立場で考えていたけど、九十九の方からすれば、それはかなり居心地悪いかもしれない」
自分が振った相手ならともかく、振られた相手というのがとにかく、救いようのなさに拍車をかけている。
「深織の立場?」
九十九が不思議そうな顔をした。
「ずっと好きで忘れられずにいたかつての恋人が、自分の前に現れて、一夜の恋人を探しているから、自分がその相手になりたいと願った感じ?」
わたしはこれまでそんな悲劇の方で考えていたのだ。
ミオリさんが人間界でソフトボールをしていたというのなら、少なくとも、この世界では王族やその方々に仕えるような立ち位置にあったのだと思う。
でも、「ゆめの郷」……、人間界では遊郭とか色里、夜の町と呼ばれるような場所で、春を売る仕事に就いてたのだ。
そこには悲劇の色しか見られない。
水尾先輩も昔、言っていたことがある。
没落貴族の女で何の能力もなければ、身売り同然の相手に嫁ぐか、「ゆめ」になることぐらいしか考えられない人間が多い、と。
ミオリさんは、人間界にいた経験があるから、他の仕事を選べる可能性はあったかもだけど、没落理由が親の借金とかそういったものの肩代わりとなると、なかなか難しいとは思った。
人間界でも遊女たちが苦界に身を落とすことになった理由は、借金のかたに売られたことが多かったはずだ。
だから、そんな理由であの場所にいたと思った。
そして、そこで再会した昔の恋人。
自分をこの世界から救い出してくれる白馬に乗った王子さま的な相手だと、あの人が運命を感じてもおかしくはない。
そう思っていたのだ。
「……三文小説か?」
だが、その王子さまなはずの青年は冷ややかな声をわたしに向ける。
酷い。
でも、言いたいことは分かる。
「前にも言ったが、『ゆめ』の嘘を信じるな。あいつらは仕事人で商売人だ。自分を売るためなら、何でも言うし、売る」
その自分を売ると言うのは売り込むという意味で良いですよね?
別の意味はないよね?
なんとなくそう思った。
でも、「ゆめ」は、職業意識がしっかりしている職業婦人ではあると思う。
わたしの知識は漫画からがほとんどだが、そんな職業に就いている女性たちは根性と矜持があって、そして、いろいろ偽るイメージは強い。
「つまり、九十九は、あの場所で倒れる前に、ミオリさんと会って……、お断りをしたってことで良いの?」
九十九は気まずい気分になったと言った。
そして、その後、通路で倒れている。
その原因は未経験者しか発症しない「発情期」であったのだから、つまり、その時点ではえっちはしていないということになる。
「おお」
断られたミオリさんの心境を思うといろいろ複雑な気分になる。
その、仕事としても、女性としても。
「ああいったことは、知り合いが相手じゃない方が良いと思った」
それはそうかもしれない。
えっちな行為って、本当の意味で性癖曝露だ。
血の繋がった身内も、親しい友人も、誰も知らない自分を見せる行為。
それを知っている人間に曝け出すって相当、難しい気はする。
わたしも、あんな自分は誰にも見せたくないとは思った。
九十九から翻弄されて、甲高い声を出してしまった自分。
それすらも、彼は覚えているらしいけど。
「でも、今、思えば、深く考えずヤっときゃ良かったと後悔している」
「……おぉぅ」
そんなことをわたしに聞かされても困るわけですが……。
「それなら、お前を傷つけなかった」
「うお?」
「あの時、深織で手を打っとけば、そこまで深い傷にしなくて済んだ」
「…………」
なかなか、酷いことをこの殿方は言ってなさる。
それは、主人であるわたしを護るためにミオリさんを犠牲にする考え方だろう。
仮にも元彼女だ。
それだけ、九十九の方に思い入れがないことも分かるけど、扱いとしてはかなり手厳しいと思う。
でも、後々のミオリさんの行動を振り返ると、今の彼が、そう言いたくなる気持ちも分からなくはないと思ってしまう。
目の前で、自分の首をかっ切るとか、どれだけ、九十九に振り向いて欲しかったのだろうか?
そんな執着は、わたしの中にない。
「酷いこと言うね」
そう口にするわたしも結構、酷いと思う。
「ミオリさんはそれだけ九十九のことが好きだったのに」
「阿呆」
「ぬ?」
何故か、かなり不機嫌そうな声。
「お前は、自分のことを好きになった相手には応えなければならないって言うのか?」
「応えろとまでは言わないけど……」
好きになられた相手に対して、いちいち応えていたら、モテモテな人は大変なことになってしまう。
「自分の心を渡す気がない相手に対して、思わせぶりなことをしろと?」
「うぬう……」
それをあなたが言いますか?
違う。
今は、それを考えてはいけない。
確かに半端な態度をとって、相手に気を持たせてはいけないことは分かる。
ある意味、ぶった切るのは、九十九の優しさだ。
それは、分かるのだけど、自分がその立場になった時、相手が全く振り向いてくれないのは切ないとも思ってしまうのだ。
「何より、『ゆめ』が客に心を移している時点で、信用がおけない」
仕事に対する意識がしっかりしている護衛の評価は辛辣だ。
いや、これはミオリさんの行動の結果なのかもしれない。
あの「ゆめの郷」で再会した直後は、ここまで九十九も冷たい態度ではなかった。
それなのに、今ではここまでひんやりオーラ。
少しでも好きだったのだから、嫌いになった時の反動が激しかったのかもしれない。
「それに、酷いことってお前は言うけど、『ゆめ』はそういうものだ。そして、オレは始めからそういう意識であの場所に赴いた。最初に来たヤツが深織じゃなければ、オレはそうしていた」
―――― ズキリ
何かが痛んだ気がした。
でも、気のせいだ。
それは分かっていたことで、たまたま、九十九の元彼女で、わたしとも人間界で出会っていたから、話が拗れてしまっただけの話。
もし、最初に彼を訪ねた「ゆめ」がミオリさんじゃなければ、彼が言う通りの流れになって、わたしが通路で倒れている九十九を発見することもなかっただろう。
そして、わたしは「発情期」の九十九からキスされることも、それ以上のことをされることもなく平和で何も知らないままだった。
そして、そういった女性の傷の欠片も理解できなかったと思う。
水尾先輩の傷も聞かされることなく、音を聞く島の女性たちの悲劇も、アリッサム城だった建物の中で行われていた行為の卑劣さも、本当の意味では知ることもなかったはずだ。
それはつまり、あの「救いの神子」たちが暗闇の中で選んだ道に対しても、そこまで深くとらえなかった可能性が高い。
―――― それはどんな運命の導きなのだろう?
「お前にとっても、その方が良かったんじゃねえか?」
「分からない」
わたしは素直にそう言った。
「分からないって、お前……」
「あの時の九十九は怖かったし、あの行為から逃げたかったのは確かだよ。でも、もうそれらを知った後だからね。知らなかった頃の方が良かったとは言い切れない」
何も知らない自分の方が良かったとは、やっぱり思えない。
「九十九はどう? やっぱり、何もなかった方が良かった?」
「当然だ。護るべき相手を傷つけた」
わたしの護衛はブレない。
どこまでも、主人であるわたしを優先する。
その結果、自分の方が深く傷付いても。
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