それぞれの言い分
それは時々、頭を掠めていた話。
あの時、あの場所に、わたしよりも先に通りかかった女性がいたら、どうなっていたのだろうか?
「通りかかったのが、水尾先輩や真央先輩じゃなくて良かったとは思うけどね」
その点は不幸中の幸いだったと正直、何度も思った。
わたしは九十九の主人であり、彼を止めるための手段もあった。
水尾先輩はともかく、真央先輩は普通の魔法が苦手なのだから、悲劇になった可能性はある。
そして、彼女たちを巻き込んでいたら、わたしは流石にこんな風に九十九の前にはいられなかっただろうし、水尾先輩と真央先輩のどちらであっても、どちらにも顔が向けられなくなってしまう気がした。
「あの二人がオレにそこまで気を許すかよ」
「ぬ?」
だが、九十九は呆れたようにそう言った。
「通路にオレが倒れていても、無視していくはずだ」
「真央先輩はそんな気がするけど、水尾先輩は違くない?」
真央先輩は体内魔気の変化に敏感だから、明らかに変調していた九十九に対してそこまで積極的に関わろうとはしなかったとは思う。
でも、水尾先輩は、雄也さんやトルクスタン王子がその辺りで倒れていたら無視しそうだけど、九十九が苦しみながら倒れていたら、立ち止まってしまう気がする。
「水尾さんも同じだ。いざという時は、オレを切り捨てるぐらいのことはできる」
「そうかな? 水尾先輩は九十九に甘いよ?」
それは胃袋を掴まれているためか、それ以外の理由があるかは分からない。
でも、足は間違いなく止めて様子を窺おうとしてしまうだろう。
「水尾さんは確かに甘いが、それでもお前ほどじゃねえよ」
「ぬ?」
「『発情期』になっていた男に近付くような女はお前ぐらいだ」
「……ぐぅ」
そう言われてしまうと、何も言えない。
水尾先輩は既に、発情期で正気を失った男性のことを知っている。
それも苦い記憶と共に。
そして、それを撃退するために、かなりの労力を使うことも。
それを九十九に話したことがあるとは思えないが、それでも、わたし以上に彼女は警戒心が強いという意味では間違ってもいない。
「わたしも九十九じゃなかったら、近付かなかったと思うよ」
あの場に倒れていたのが九十九だったから、わたしは手を伸ばした。
見知らぬ人だったら、分からない。
「嘘吐け。お前は他の男でも近付いていた」
まるで、そんな現場を見てきたかのように言われるが……。
「あの当時なら、多分、倒れている人を見つけたら、九十九を呼んでいると思う」
あの時は九十九専用の通信珠しか持っていなかった。
だから、雄也さんを呼びつけることもできなかったのだ。
「ただ、あの時、あの場所で九十九以外の人が倒れていたとしたら、状況的にあなたを呼ぶことはできなかっただろうから、実際は、フロント? みたいな所を探して、スタッフ対応を願ったと思うよ」
いくらわたしでも、見知らぬ人間が倒れている時に自分の手で助けようとはしないと思う。
わたしの傍には割と九十九がいるから、病人を見つけて助けようと思う確率は高くなるかもしれないけど。
でも、わたしが一人ならば、病人を見つけても何もできないのだ。
自分が手を貸したところで助けられない。
わたしは自分が無力なことを知っている。
だから、多少、その人を放置してでも、助けられそうな人間を探す気がする。
それでうっかり、倒れている人が重症化しても、わたしが下手な処置をしようとした結果、悪化させるよりはずっとマシだろう。
「なんで、そんな状況で、お前はオレを呼ばないと思った? 迷わず呼べよ」
九十九はそんなことを言うが、それはできなかっただろう。
「いや、『ゆめの郷』は、九十九の『発情期』を発症させないよう、治療のために行ったんだよね?」
「そうだが?」
そこに彼は気付いていないらしい。
「えっと……、お楽しみの真っ最中である可能性があるのに、わたしが呼ぶっておかしくない?」
「おっ!?」
九十九の顔が一気に朱に染まる。
さっきから赤くなったり、青くなったり彼の顔色は忙しい。
「それがあったから、外で変な人に絡まれても呼べなかったんだよね」
結果として、巡回警備をしていたソウに出会って助けられたのだが。
「そういえば、後からそんな話を聞いたな。なんで、勝手に外に出たんだよ!?」
顔を赤くしたまま、九十九はわたしを睨んだ。
でも、それが妙に可愛らしい。
そんなことを口にしたらますます機嫌を損ねてしまいそうだから言えないけど。
「あの時は、なんか、誰かに呼ばれた気がしたんだよね」
声のような、音のような。
でも、結局、誰に呼ばれたのかは分からないままだ。
だから、気のせいだったのかもしれない。
「あの場所が危険だって分かっていただろ?」
「九十九を呼べる状況になかったから、仕方ないじゃないか」
それにあの場所は、人の行き来は多いし、巡回警備もいる。
変な所に入り込まない限りは危険が少ない。
まあ、それでも変な人から絡まれてしまった以上、何も言えないのだけど。
「ぐ……っ、それでも、出ないって選択肢もあったはずだ」
「そこは反省すべき点だよね」
あの時、変な人に絡まれて、わたしは大気魔気を不安定にさせたらしい。
だから、ソウは気付いてくれた。
もしかしたら、水尾先輩や雄也さんも気付いたかもしれない。
始めに気付いて、その近くにいたのがソウだっただけだ。
「お前は……」
さらにお説教が続きそうな気配。
「それより、気になることを思い出したのだけど……」
それをわたしは敢えて遮った。
独り言はともかく、相手にかけようとする言葉を遮るのはあまりお行儀が良いものではないのだけど、ここで聞かなければ、もう聞けない気がしたのだ。
「どうして、九十九は通路で倒れていたの?」
「あ?」
それは忘れかかっていたほど些細な矛盾。
「九十九は発情期の発症を防ぐために、『ゆめの郷』に行った。いつもなら、護衛対象であるわたしの部屋の近くに部屋を確保するのに、あの高級な宿だけは違った。そこは間違いないよね?」
余程、泊まっている人が多い宿なら、仕方がないが、基本的に宿をとる時は近くの部屋が宛がわれる。
特に連泊する予定なら尚更だ。
ストレリチア城下もカルセオラリア城下も、水尾先輩と同じ部屋であったが、彼らは隣室だった。
そして、「ゆめの郷」で最初に泊まった宿は、「高級」が売りだけあって、かなりお高かったらしい。
つまり、誰でも泊まれるような宿泊施設ではなかったのだ。
それでも、様々な理由から、わたしたちはそれぞれ男女で部屋が離されていた。
まあ、目的を考えればそれは仕方ない。
仕方ないのだが……。
「そもそも、そんな九十九が通路で倒れているのがおかしくない?」
「どういうことだ?」
「『ゆめ』とえっちするための宿なのに、九十九こそなんで、部屋から出てたの?」
あえて直球勝負をしてみた。
わたしが一人で部屋どころか、建物から出てしまった。
それを責められるのは当然だ。
自分でも警戒心がなさすぎると今なら思う。
でも、九十九の話は別だろう。
「『発情期』は兆候があるものなんでしょう? その兆候があったはずなのに、なんで、あの時、部屋から出ていたの?」
その兆候は個人差があるらしい。
でも、恭哉兄ちゃんの様子から見ても、変化してから一日、二日ぐらいの猶予はある気がする。
あのゆめの郷に着いたばかりの時、九十九は確かに様子がおかしくはなっていたが、漂っているのは緊張感であって、危険な雰囲気はなかった。
それは、彼の体内魔気をよく知るわたしがそう感じたのだから、そこまで的外れではないだろう。
だけど、あの通路で倒れていた九十九は明らかにおかしな状態だった。
近付くのは危険だとどこかで感じていたのに、漂ってくる甘い匂いや、ただ事ではない彼の状態を見ていろいろ吹っ飛んでしまったのだ。
「それって、一歩間違えば、かなり危険な状態でしょう?」
具体的には、彼の状態を気にして近付いた異性たちが、わたしのように危難に遭うことになったはずだ。
そうなる可能性があると分かっていても、彼はあの状態で通路に出て、そして……、倒れてしまった。
「あれは……」
九十九の視線が宙を泳ぐ。
どうやら、これも言いにくいことのようだ。
「本来はおりこうさんにして部屋でご指名した『ゆめ』をお待ちしていなきゃ、でしょう?」
お相手を待ちきれなくて部屋から出た可能性も考えたが、どうも、九十九らしくない気がした。
確かにお年頃で、そういったことに興味があることは分かるが、危険が想定されるような状況で、そこまで迂闊な行動に出るほど、彼が考え無しだとは思っていない。
それに、宿に着いて、それから結構な時間が経っていた。
わたしが部屋で落ち着かない時間を過ごして、外に出て、変な人に絡まれて、ソウに助けられた後、本部と呼ばれる場所で事情聴取。
具体的に時間を計ったわけではないが、3,4時間は経過していたと思う。
その間に、九十九は一体、何をしていたのか?
まさか、ずっとあの場所でぶっ倒れていた?
「もしかして、『ゆめ』が来なかったの?」
それで、様子を見ようと外に出た?
「『ゆめ』は……、来た」
「ふ?」
「ゆめ」が……、来ていた?
それでも、えっちをしなかったってこと?
「だが、断った」
「どうして!?」
反射的にそんなことを聞いてしまう。
九十九はソレが目的で、「ゆめの郷」まで行ったはずだったのに……。
「お前は想像力があるよな?」
「ぬ?」
「それなら、想像してみろ」
「想像?」
なんだろう?
九十九の雰囲気が分かりやすく、剣呑なものになっている。
「高い金を支払ってヤることだけが目的の女を呼び出したら、自分を振った元彼女が来た男の心境を」
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