抵抗しなかった理由
「倒れていたオレを運んだことは仕方ない行いだということは理解した。それでも、寝台まで運ぶのは……」
九十九はそこまで言いかけて……。
「病人を運ぶのは、自然な行いだな」
あっさりとそう言った。
反論を準備して、身構えていたわたしが、逆に拍子抜けしてしまうほどに。
「そうだよね? わたし、悪くない」
うむ。
わたしもそう思ったから、そうしましたよ?
「それとこれとは話が違う。そもそも、男の部屋に侵入して一緒に寝台へ近付くな」
「いや、流石に寝かせたら退散するつもりではあったよ?」
侵入という言葉は何か違うと思うが、一緒に寝台に近付く以外の選択肢が、あの時のわたしにあるはずがない。
「部屋に放り込んだ後、とっとと逃げろ」
そんなことを言われても……。
「あの時、部屋の扉を閉めて、わたしを逃がさなかったのは誰でしょうか?」
自動ドアのようにわたしが九十九と部屋に入った途端、バタンと背後で閉まった音は、今も耳に残っている気がする。
それだけ大きな音だったのだ。
自動ドアではないと九十九があの時、言ったのだから、閉めたのは彼ってことだよね?
「部屋の扉はオレの意思ではないが、逃がさなかったことは認める」
やっぱり、あの時点で既に逃がす気はなかったってことらしい。
「認めるんだ」
「言い逃れのしようもねえだろ?」
それがどこまで本当に九十九の本心だったのかは分からない。
結局、「発情期」……、心身ともに正常ではない状態だったから。
それでも、彼がそのことを覚えているってことは、少しは意識があったってことではあるのかな?
「足を払って、栞を寝台へ押し倒したのは間違いなくオレの意思だ」
「……あれ? あの時、わたし、足、払われたの?」
ちょっと待って?
それは覚えていない。
いや、何かが足に当たった気がするけど、それが何であったかは確かめる余裕もなかった。
何より、その直後に、バランスを崩したわたしは、九十九に口付けされながら寝台に倒されて、それどころではなくなってしまったのだから。
ああ、でも、それよりももっと前に足を払われて寝台に倒されたことはある。
それもこの国だった。
それを思い起こせば、その行動は不自然ではない。
「払ったよ。お前のバランスを崩すには一番、無駄な力も要らないし、怪我もさせないと思ったから」
九十九は誤魔化すことなく、そう答えた。
ああ、なるほど。
怪我をさせるつもりもなかったから、わたしの「魔気の護り」も働かなかったってことなのだろう。
「足を払われたことには気付かなかったな~」
「お前、オレの言葉にそんな反応で良いのか?」
わたしの言葉に、九十九は呆れたような目を向ける。
「いや、見事な技術だと、うっかり感心しまって……。それに、わたしが怪我しないように配慮した結果なのでしょう?」
心身ともに正常な状態でないにも関わらず、彼はそれだけの気遣いはしてくれた。
聞いたところによると、「発情期」中には相手を思いやる気持ちは働かず、本当に自分本位な行動に出るらしいから。
それらを考えれば、まあ、わたしの扱いは悪くはなかった……のかな?
「お前はもっと抵抗すべきだった」
「ぬ?」
「その気になれば、オレを容易に吹っ飛ばせるほどの魔力を持ってるんだ。なんで、あの時、もっと抵抗しなかった?」
そう言われてもな~。
怖くて身体が動かないような状態だ。
身体は強張って、声もまともに出せなかった。
いや、声を出せない理由はもっと物理的な話だったかもしれない。
何度も口を塞がれてしまったわけだし。
「抵抗? したよ?」
一応、これだけは言っておく。
「嘘吐け」
「嘘じゃないよ。流石にいいようにされたくはなかったから、何度も逃げようとした」
あのまま、九十九から抱かれるのは嫌だったから、何度も何度も、身体に力を入れようとはした。
それでも、殿方の筋力に勝てるはずがない。
「あんな動きで男のオレから逃げられると思うな」
そして、九十九にもそれは伝わっていたらしい。
つまり、彼が言う抵抗とは筋力的な話ではないってことだろう。
「それでも、あんな状況で魔気の護りなんか発動できないよ」
彼が言うのは「魔気の護り」のことだとは思う。
だけど、意識的にあんな至近距離で、しかも混乱しまくった状態で、九十九をふっ飛ばすための攻撃なんてできるはずがない。
そして、何も考えず、手加減しなければどうなるかなんて、分かり切ったことじゃないか。
「何のための自動防御だ!?」
「それに、あの時は魔気の護り……、多分、出なかった」
「あ?」
本来は無意識に出るはずの「魔気の護り」は全く働かなかった。
「えっと、上手く言えないけれど、『発情期』の目的は、わたしを傷つけることじゃないんだよね?」
本当に傷つけることが目的なら、最初に足払いをされる前に発動していると思う。
「あ? えっと……」
わたしの言葉に九十九が口籠った。
「ああ、九十九の口からは言いにくいことか」
まあ、「発情期」の目的やその過程を考えれば、言いにくくはなるか。
「えっと『発情期』の目的は、相手と子供を作る行為が目的なのだから、その相手を傷つける意思は全くないんだよね?」
「その行為が、お前にとって傷付くことなんじゃないか?」
それは結果的な話だ。
「主観なんだけど、わたしの魔気の護りって、無意識に発動する時って、相手の害意に反応するみたいなんだよ」
「それは普通だろ?」
そうだよね。
体内魔気による自動防御は、相手からの害意や、自分の身体が危険だと判断した時に、周囲の体内魔気、大気魔気などに反応して起こるものなのだ。
「つまり、結果としてわたしが傷付くことになる行為でも、相手に傷つけるって意識が皆無なら、全く発動しないっぽい」
「はっ!?」
九十九が驚きを見せる。
「だから、あの時、無意識に動くことはなかったみたい」
つまり、わたしの身体も、体内魔気も、あの行為が危険なことだと判断していなかったってことでもある。
確かに怖かったけれど、命の危険を感じるようなことではなかった。
「いやいやいや、待て。オレは、お前にふっ飛ばされたことがあるぞ」
「ぬ?」
あれ?
九十九が異議を申し立てました。
「最初の発情期の兆候が出た時、この城で、いきなりふっ飛ばされた」
「そんなことあったっけ?」
わたしの考えが間違っている?
いや、多分、そんなことはないと思う。
「それは『兆候』で、『発情期』じゃなかったからか、その『兆候』段階では、わたしに害意っぽいのがあったんじゃないかな?」
はっきりと分からないし、他の誰かに確認のしようもないのだけろ。
「確認するけど、この城で、いつ?」
「カルセオラリア城の崩壊後。真央さんたちから話を聞いた直後に、お前がボロ泣きしたことがあっただろ?」
「……あ……」
そう言えば、わたしは九十九に泣き付いた覚えがある。
そして、その後に治癒魔法をしてもらったにも関わらず、わたしは九十九をふっ飛ばしてしまったのだ。
「え? あの時に……?」
「おお。オレはあれで、『発情期』の兆候を意識した」
「あれって、わたしの感情が不安定だったからだと思っていたよ」
あれ以降、体内魔気の自動防御が勝手に出ないように、より注意するようになった覚えがあるけど、別に暴発とかそんなものではなかったらしい。
「『発情期』の兆候ってどんな感じだったの?」
「食いつきたくなった」
「食っ!?」
なんですの? それ?
「尤も、あんな場所で食おうとしていたら、大神官猊下からどんなお咎めがあったか分からんけどな」
「いや、ちょっと待って? 食いつきたいってどういうこと?」
確かに大聖堂でそんなことをされたら、恭哉兄ちゃんも黙っていないことだろう。
でも、あの時の九十九がまさかそんな……。
「齧り付きたくなったの方が分かりやすかったか?」
「まさかの物理的な話!?」
本当に噛み付きたいとかそんな話だったらしい。
わたしは料理か!?
そして、それは確かに危険極まりない発想だ。
それならば、身の危険を感じたわたしが、ふっ飛ばしたのも無理はない。
「そうなると、『発情期』の兆候は、『発情期』ほど明確な意思が働かなかったのも原因だろうな」
「えっと、どういうこと?」
食いつきたいって明確な行動意思だと思うよ?
「兆候の段階では、さっき言ったような食いつきたいとか、腕をつかみたいとか、その程度なんだよ。だけど『発情期』に入ると違う。もっと明確な目的意識に変わる」
明確な目的意識……。
つまりは、「えっちぃことをしたい」って気持ちが、「えっちがしたい」に変わるってことかな?
いや、噛み付く行為って、えっちぃことなの?
料理青年的には味見のような感じ?
でも、これまで噛み付かれたことはないよね?
舐められたことはあるけど。
「その段階で言ってくれたら、わたしも警戒心を持ったかもしれないとは思わなかった?」
九十九にその意識があったなら、もっとはっきり伝えて欲しかったとは思う。
「オレが『ゆめの郷』へ行くことになった時点で察しろ」
「……ぐぬう」
「もともと、『発情期』に関しては、公言するモンでもねえ」
そういうものらしいことは知っているけど、曖昧に濁されたら、分かるはずもない。
「でも……、言われなければ、自分がそんな対象になるなんて思わないよ」
「…………」
九十九はまた不機嫌な顔をする。
何か変なことを言った?
「オレは散々、言ってきたつもりだが?」
「ほへ?」
「何かあったら『命令』しろ、と」
「そんなので何を理解しろと?」
確かにそれがあったから、あの時だってなんとかなったのだけど。
「オレが敵に回る可能性があることも言ってきたはずだ」
「ぐぬ……」
それは、九十九自身からも雄也さんからもそれとなく言われていた。
「そ、それでも、そういった対象として見られるなんて思わないよ」
「…………」
ますます苛立つ九十九のお顔。
不機嫌になっても、彼の顔は整っている。
「あのな? 栞」
九十九は自分を落ち着かせるように、大きく息を吐いた。
「お前は可愛いんだよ。そろそろ自覚してくれ」
そして、その直後に吐かれた言葉は、わたしの方が落ち着けなくなるものだった。
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