参考にならない
「検診で抱き締める必要があったのか?」
暫く考え込んだ九十九がようやく口を開く。
「意識が『境界』から戻った直後だったからね。魂が普通とは違う状態である可能性があったらしいよ」
あの時は「境界」から戻った直後で、わたしの体勢も崩れていた。
その流れで抱き締められたまま、健康診断をされていたらしい。
改めて抱き締められるよりはマシだけど、やっぱり恥ずかしかった。
「神力の確認ってのは?」
「わたし、歌うと全身に神力が流れるっぽいんだよね。だから、全身を覆って確認する必要があったみたい」
見た目で分かる神力ばかりではないらしい。
その流れは触れていた方が分かるとは聞いていた。
「移動って、移動魔法だよな? それについては、抱き締める必要はないんじゃねえか?」
まあ、魔法ならそうだよね。
九十九も移動魔法を使う時は、わたしの手を握る。
始めは、それすらも恥ずかしかったけれど、随分、彼に慣らされたものだ。
「移動魔法とは違うみたいだったよ。法力か神力かは分からないけれど、大聖堂の部屋からワカの部屋の前まで一気に移動してくれた」
わたしがそう答えると、九十九が大きな息を吐いた。
「オレも大神官猊下から移動の術式を使われたが、抱き締められてはいないぞ?」
「ほへ?」
「手を握られはしたけどな」
「そうなの!? あれ? じゃあ、なんで!?」
九十九も、恭哉兄ちゃんから手を握られたのか!?
いやいや、気にするのはそこではない。
抱き締めなくても移動は可能だった?
それなら、恭哉兄ちゃんはどうして、わたしを抱き締めて移動したの!?
「発情期前なんだから、助兵衛心だろ?」
「ふごっ!?」
九十九から身も蓋もない言葉が飛び出した。
「九十九の口から、そんな言葉が出てくることにビックリだし、大神官さまにそんな意識があったとはあまり思いたくない」
回りくどくなく分かりやすいが、どことなく、オジサンな印象がある単語だ。
そして、恭哉兄ちゃんがわたしに対してそんなことを考えていたともあまり思いたくなかった。
「『発情期』前は女に触れたくなるんだよ」
それは経験談でしょうか?
九十九も、発情期になる前は女性に触れたくなったの?
でも、発情期になる前より、多分、今の方がわたしは彼から触れられている気がするのであまり参考にならない気がした。
「うううっ。そんなの知らないよ」
だけど、そんなことを聞かされたこともないわたしからすれば、次々飛び出す衝撃の事実でしかない。
頼むから、先に教えておいてください。
「そろそろ理解しておけ。大神官猊下も男だ。しかも、発情期の危険性がある男だ」
それは理解している。
自分が対象になるとは思っていないだけだ。
何より、恭哉兄ちゃんにはワカがいる。
わたしよりも、もっと触れたくなる相手が。
頼むから、そっちでなんとかして欲しい。
「お前なんか、簡単に組み伏せられるぞ」
「ぬ?」
簡単に?
そこはちょっと引っかかる。
「大神官さまならそんなこと、ないと思うけどな」
それは確信だった。
だから、恭哉兄ちゃんはわたしに強く出ることはないとも思う。
「多分、大神官さまはわたしには勝てない」
「あ? お前、大神官猊下がどれだけ強いか知らないだろ?」
恭哉兄ちゃんは大神官だ。
それも数ある嫌がらせのような昇段試験を乗り越えて、その場所にいる。
そんな人が弱いとは思っていない。
細く見えるあの腕がかなりの力を持っていることも。
だけど、そんな力は、この世界では何の関係もないのだ。
「大神官さまが強いとか弱いとかじゃなくて、もっと根本的な部分の話になると思う」
あの方が、この世界で生きる限り、その理からは、あの呪縛からは逃げられない。
「あ? 神力の話か?」
それはない。
恭哉兄ちゃんの方が、わたしよりも神力を持っているはずだ。
その能力は見たことないけれどね。
「わたしの考えが間違っていなければ、大神官さまは、わたしに勝つことが難しいと思う」
「その理由は?」
わたしの言葉に対して、当然のように九十九が問いかける。
これは言っても良いものだろうか?
いや、この大聖堂の部屋は大神官の管轄ではあるけれど、そこに何の仕掛けがないとも限らないのだ。
単純な魔道具なら、九十九は見破る。
だけど、法力や神力が関わることまでは見抜けない。
そして、この部屋自体に、わたしや九十九が見抜けない仕掛けがないとも限らないのだ。
考えられることは、覗きや盗聴行為。
それも、恭哉兄ちゃん以外の人に露見することだろう。
わたしを「聖女」にしたい筆頭の橙羽の神官さまは、どこかの王族の御落胤説もあるような方だ。
特にその人にバレてはいけない。
わたしは九十九に下手なジェスチャーで、紙と筆記具を求める。
「ああ」
こんな下手な動きでも彼には伝わったらしい。
九十九はすぐに紙と筆記具を出して、わたしに渡してくれた。
―――― 今からここに書くことは、この国では口にしてはいけないことだと思う。
下手なことは言えないなら、書くだけだ。
それも日本語ならば、恭哉兄ちゃんより上の世代の神官は絶対にご存じない。
―――― 大神官さまは王族の血が濃い人間には勝てない。
わたしがそう書くと、九十九が眉を顰める。
―――― どういうことだ?
そして、自分も筆記具を取り出して、同じ紙に書きつける。
九十九はアレを見ていない。
だから、すぐには分からないのだろう。
もしくは、報告を受けていないか。
いや、水尾先輩もアリッサム城でやったと聞いている。
だから、九十九は気付いていないだけで、知ってはいるはずだ。
―――― 九十九は、音を聞く島でのことをどれぐらい聞いている?
―――― 兄貴から報告を受けた程度だな。
―――― 精霊族と王族の関係は?
―――― 真央さんが精霊族を従えたって話か?
―――― 大陸神の加護が強い王族は、精霊族たちを完全に御せることは?
―――― 知っている。
そこまで筆談で会話した時、九十九の瞳が輝いた。
―――― それは、大神官の出自に関する話に繋がるのか?
ああ、やっぱり彼は勘が良い。
そして、それ以上、余計なことを書かない。
万が一、何らかの手段で、この筆談内容を読み解かれたとしても、その方法が露見することはないだろう。
―――― そうなるね。
恭哉兄ちゃんは精霊族の血を引いている。
だから、一応、セントポーリア国王陛下の血を引くわたしが、真央先輩のように言霊を使えば、あの島の精霊族たちのようになってしまうだろう。
まるで、九十九がわたしの「命令」の言葉に従ってしまう時のように。
―――― 栞の言いたいことは分かった。
―――― だが、その能力を過信するのはヤメろ。
わたしの言葉に対して、さらにそう続ける九十九。
―――― 分かっている。
―――― 言霊は口にできなければ、ダメだからね。
口を塞がれたら、どうにもならない。
「魔気の護り」が発動すればなんとかなるかもしれないけれど、なんとなく、恭哉兄ちゃんには普通の魔法が通じない気がする。
神力も多分、無理だ。
もともとの能力の差もあるけれど、多分、わたしが使う神力は導きの女神ディアグツォープさまからのものだ。
そして、それ一択だ。
巡礼をし、聖蹟に触れまくっている恭哉兄ちゃんも、導きの女神ディアグツォープさまの加護があると聞いている。
そうなると、互いに打ち消し合った上で、加護の数で負けてしまうだろう。
「もう何回言っているのか分からんが、お前はもう少し自衛するよう心掛けてくれ」
九十九は筆談を止めて、改めてそう口にする。
「分かっているよ」
だから、彼の言葉に対して、わたしも口に出して答えた。
できる限り、彼らの手を借りず、自力でなんとかしたいと思っている。
それでも、九十九は何度もわたしに忠告してくれるのだ。
そのことが嬉しいと思ってしまうのは、ちょっとだけ、不謹慎な考え方なのかな?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




