あれが過剰なら
「そっか。大神官さま、会えない状態になっちゃったのか」
朝、九十九が迎えに来てくれた時、最初に聞いたのはそんな言葉だった。
「なんか、昨日、様子が変だったんだよね」
いつもの恭哉兄ちゃんとは違う感じがしていたのだ。
ちょっと危うさと妙な色気を漂わせている状態には何度か覚えがある。
「変?」
九十九が不思議そうに問いかける。
「ん~? 上手く言えないんだけど、ちょっと距離を取りたくなるような?」
さて、どう答えたものだろう?
アレは感覚的なものだ。
九十九に伝わるとはちょっと思えなかった。
「妙に触れてくるような?」
だから、逃げたくなる。
捕まったら、逃げられないような気がして。
「ちょっと待て?」
「ぬ?」
だが、優秀な護衛は、わたしのそんな曖昧な表現でも察してしまう。
「『ぬ?』じゃねえ。触れてくるってどういうことだ?」
「昨日の『寵児の間』……、神子たちの記録がある書棚の部屋に連れて行かれる時とか、いつもよりもスキンシップが多いなと思った」
基本的に恭哉兄ちゃんは、検診以外は触れてこない人だ。
異性だけでなく、同性の身体であっても妄りに触れてはいけないと言っている。
でも、昨日の恭哉兄ちゃんは妙にわたしに触れてきた。
さらに甘い御言葉もいっぱい頂戴したのだ。
「具体的には?」
九十九から詰め寄られる。
「ぐ、具体的?」
思わず、逃げたくなった。
いや、逃げる必要はないし、九十九は心配してくれているのだ。
彼はわたしの護衛。
だから、大神官であっても異性だからと、少しでもその危険を排除しようとしてくれる。
「そこに行く前は凄く暗い通路だったから手を引かれるのは仕方ないとしても、部屋の登録はあんなに引っ付く必要はないと、今なら思う」
「具体的には?」
あれ?
既視感?
さっきも聞かれたような?
恭哉兄ちゃんは「寵児の間」に入るための入室登録をする際、わたしを背後から支えてくれた。
あの時は真っ暗だったけれど、明るくなった時に見た体勢には覚えがある。
「えっと、あの状態は……? ああ! ストレリチア城下でこの御守りを使って、結界を破ろうとした時、九十九が手を握った上で、後ろで支えてくれたでしょう? あれによく似ていた」
九十九にはこれで通じるだろう。
彼はよくわたしを支えてくれるし、あの体勢によく似ていた。
ちょっと違うけれど、体勢……、身体の位置関係を説明するなら分かりやすい。
「確かに、大神官にしては過剰なスキンシップだな」
九十九は口に手を当てて思案する。
過剰?
確かに九十九ほどわたしに触れてくる人ではないからね。
恭哉兄ちゃんにしてはいつもよりはベタベタしてくるという感じではあった。
「まあね」
でも、過剰……かな?
アレが過剰なら、普段の九十九はどうなるんだろう?
「暗かったから声だけでドキドキしたけど、明るくなった時に顔が近くてびっくりした」
いや~、美形の顔はどんなに見ても慣れないね。
誰だろう、三日で慣れるなんて言葉を残したのは。
「ドキドキ?」
「うん、ドキドキ」
だが、九十九が気にしたのはそこだった。
恭哉兄ちゃんの声は低いから、ドキドキするよね?
「お前にそんな感性があったのか?」
「あの大神官さまの顔が間近にあれば、九十九だって胸が高鳴ると思うよ?」
「何を馬鹿なことを……」
そのまま否定しかけて……。
「まあ、あの顔だからな」
何かに気付いたように納得してくれた。
九十九も恭哉兄ちゃんの顔の良さは認めているらしい。
「ワカも大変だよね」
あの御尊顔を見続けるのは、如何に、美形好きなワカでも辛いだろう。
「若宮は面食いだから問題ねえだろ」
ああ、九十九もワカが美形好きだって知っているんだね。
彼女は、他者の顔のことをよく言うしね。
「ワカは面食いだけど、過剰な甘さは苦手なんだよ」
「過剰な甘さ?」
「低音ボイスで歯の浮くような甘い言葉をかけられること。九十九も大聖堂の修羅場で聞いたでしょう? あんな感じの言葉を言われると逃げ出したくなるっぽいよ」
元演劇部ではあるから、甘い言葉には慣れている。
だが、それはお芝居の時だけだ。
日常生活の不意打ちには弱かった。
「意外だな」
「そう? ワカは結構、男性に免疫はないよ」
それは楓夜兄ちゃんの時にも少し思った。
まあ、あれだけワカを過剰に護ろうとするお兄さまがいらっしゃれば、箱入り娘になってもおかしくはない。
そして、友人であっても弱みを見せたくない人だ。
だから、小学校、中学校でも気が強くて扱い辛い女子児童、女子生徒として認識されていたと思う。
その実体は、涙もろいし、感受性は豊かだし、気を許した相手には甘えるし、あんなに可愛いのにね。
「まあ、大神官さまもあの顔でさらりと女殺しの言葉を吐く人だからね。そういう意味では、ワカもやりにくいかと思うよ」
「殺されたのか?」
ぬ?
これは「女殺し」の言葉をわたしが食らったことがあるって確認かな?
「致死量を食らったことはある」
「致死量なら死んでるな」
それはそうだ。
だが、幸いにしてわたしは死んでいない。
頻繁に致命傷を平気で負わせる存在が目の前にいるから。
「『貴女がこの世界にいなければ、私は大神官である意味がない』なんて、十分過ぎる威力があると思わない?」
わたしがそう答えると、九十九の表情が分かりやすく変化した。
なるほど。
殿方が聞いても、その台詞は誤解する台詞らしい。
だけど、その後のやりとりや、「境界」から戻った後の話から考えると、絶対に男女の話ではないことは分かる。
ただの同族意識だ。
わたしが「聖女の卵」だから、それを護るためにあの方は「大神官」でいてくれるということだろう。
「それに対してお前はなんて答えたんだ?」
わたしが「聖女」の素養があるからか? と返した覚えがある。
でも、九十九が確認したいのはそこではない気がした。
「その直後に、『忘れてくれ』って言われたから、忘れることはできないって答えたよ」
わたしが考えても仕方がないと言われた。
「だけど、この先、わたしが『聖女』の道を選ぶなら、身命を賭して仕え、その生涯を護るなんて続けられたら、やっぱり複雑になるよね?」
「それは……」
九十九が言葉を呑んだ。
あの大神官にそこまで言わせてしまったのか、というような顔だ。
だが、何度も思うが、それはただの同族意識である。
わたしはもう「聖神界」に行くことはほぼ決まっているようなものだし、恭哉兄ちゃんも同じ立場らしい。
あの「寵児の間」で自分の作品を見た時から、わたしは、結局、どんなに頑張ったとしても、神さまたちから本当の意味で逃げることはできないと知ってしまった。
「だから、それは不要だし、そんな未来はあり得ないって思いっきり否定した」
恭哉兄ちゃんの顔も見ずに、そのまま、目の前の壁に頭突きしたのだ。
いや、あれは入室登録。
ちょっと勢い余っただけだ。
「ばっさりだな」
「それだけ大神官さまの様子がおかしかったってことだよ」
その前から少しおかしいと思っていたけれど、あの時の恭哉兄ちゃんは明らかにおかしかった。
「それ以外にも唇に触られたし、『寵児の間』では、案内のために割とずっと手を繋がれていたかな。でも、今にして思えば、それらはちょっといつもの大神官さまの行動とは違った気がする」
「唇っ!?」
流石に九十九が絶句した。
確かに唇に触れるのは、いつもの恭哉兄ちゃんとは違う。
そんな行動をするのはわたしの護衛兄弟だ。
「一昨日から、妙に抱き締められていたしね」
「お前、男に簡単に抱き締められるなよ」
九十九が呆れたような、突っ込みが追い付かないような顔をする。
「検診、神力の確認、体勢を崩したわたしを支えるため、移動のため。一応、理由があるんだけど」
ここ数日、恭哉兄ちゃんから抱き締められたことと、その理由を思い出す。
うん。
改めて確認すると、かなり多いことが分かる。
だけど、それらにはちゃんと正当な理由があったのだ。
そうでなければ、わたしも流石に焦っただろう。
どんなに美形が相手でも、そんなに何度も抱き締められたいものではない。
それを幸運だなんて思えないのだ。
だけど、誰よりもわたしを抱き締める回数が多い目の前の護衛は、さらに考え込んでしまったのだった。
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