ずっと有耶無耶にしてきたこと
今年最後の投稿です。
「ところで、体調は大丈夫か?」
その言葉を口にするか迷った。
だが、確認しておく必要はある。
オレは……………………、栞の護衛だから。
「ぬ? 体調?」
だが、そう問われた栞本人は首を傾げた。
「昨日、何度も血行障害のような症状を起こしていたじゃねえか」
「ぬ? 血行……?」
オレの言葉に栞はさらに不思議そうな顔をした。
当人に自覚はない。
それはそうだろう。
昨日の、アレはただのショック症状だ。
それも「心的外傷後ストレス障害」と呼ばれるもの。
過去に起きた出来事が目の前で、現在も行われているかのように思い出されることもある「逆行再現」など、その最たる症状だ。
「ああ、あの立ち眩みみたいなやつ?」
栞がようやく、思い至ったようで手を叩いた。
「大丈夫だよ。大したことじゃないから」
「本当か?」
「うん。ちょっといろいろ嫌なことを考えてしまっただけ」
何でもないことのように笑うが、その「嫌なこと」というのが、自分がしでかしている可能性が高いから、余計に胸が痛む。
「やっぱり、女だからかな。救国の神子たちが意に添わぬ行為を受け入れざるを得なかったっていうのはちょっとショックが大きくて……」
栞はそう言いながら、目を伏せた。
伏せられたその瞳からは読めない。
だが、体内魔気は思ったよりも落ち着いていた。
昨日の様子ではもっと混乱していてもおかしくはないのに。
「でも、心配かけてごめんね?」
そう言いながら、上目遣いで謝られた。
それだけでいろいろ放り投げたくなる。
違う。
それでは駄目だ。
何も解決しない。
「無理だけは、するなよ?」
だが、なんと声を掛けて良いか分からなくてそんな言葉になってしまう。
このままでは駄目だと分かっていても、どうしても、保身を選ぼうとしている自分がいた。
「うん。無理はしないよ」
その言葉と表情に、「嘘を吐け」と返したくなる。
この女はオレや兄貴がなんと声を掛けても無理をするのだ。
本当に、これだけは何年経っても直らない。
無理、無茶、無謀な行いを平気で実現させようとする。
このままでは、何も変わらない。
「あと、言っておくけど、そういったことが許せないのは男女に関係ねえ」
気付いた時には、そんな言葉が口から出ていた。
「へ?」
栞がきょとんとした顔をオレに向ける。
黒く大きな瞳が少しだけ、不安げに揺れた。
「お前がさっき言ったことだよ。意に添わぬ行為……、相手の同意なく無理矢理コトに及ぼうとすることを許せる人間の方が少ない」
そこまで言い切って……。
「お前に無体な所業を強いたことがあるオレが言うのもおかしな話だけどな」
その上で、オレはそう口にした。
確かにその原因を作り出したオレが言うのは、身勝手極まりない話ではある。
それでも、このまま黙っていることもできなかった。
「無体な、所業……って……」
栞の声が震えている。
まだ今なら、有耶無耶にすることは可能だろう。
そして、栞も多分、それを望んでいる。
だけど……。
「オレの『発情期』は十分、お前にとって非道な行いだっただろ?」
大神官と話した時から、オレたちはこの問題にちゃんと向き合うべきだと思っていた。
そうしなければ、ずっと、栞の傷に触れることもできない。
その傷をさらに深める可能性は高いが、それでも、触れないことには癒すこともできないのだ。
そして、向き合うためには周囲からの邪魔も入らない、今、この時しかない気がした。
アレは、それまで信頼していた護衛からの裏切りだった。
そこに至るまでに「男を信用するな」と何回も言い聞かせてきたからって、それで警戒心を持たなかった栞が悪いとは言わない。
それはただの言い訳だ。
罪から逃れるための、加害者側からの勝手な言い分にしかならない。
この世界では許される「発情期」中の行いは、被害者側から見れば、ただの暴力行為に他ならないのだから。
「アレが非道な行いだったのかは正直、分からない」
栞も、オレの言いたいことを理解したのか、そんなことを口にする。
「まあ、怖かったことも否定はしないけど」
さらに、そう続けたものの、先ほどまでのように、もうその身体は震えてはいなかった。
「九十九は、アレをどこまで覚えている?」
向けられた瞳は、逃げることを許さない強さを持っていた。
どうやら、栞も向き合ってくれる気らしい。
こうなると、彼女は強いことをオレはよく知っている。
それならば、オレも逃げない。
「最初から最後までだな」
「…………」
珍しい顔をされた。
唇を突き出すのはよくあるけど、頬が膨らんでいない。
そして、その唇は固く窄められてもいる。
器用な口だな。
さらに眉を下げて、眉間に縦皺が刻まれていた。
何か言いたそうな顔ではあるが、すぐに言葉が出てこないようだ。
「それだけだと説明不足か。オレが通路で倒れていたのを栞が発見して、嫌がってるのに部屋に連れ込んだところから記憶はある」
その直前までは、身体や頭に熱が籠ったように、ぼーっとしていた覚えがある。
そして、駆け寄ってきた栞の声と気配で、思考が急速にソッチ側へと引き摺られたことは、今も忘れられない。
―――― ああ、やっとこの熱さから解放される
オレはあの時、そう思ったのだ。
思ってしまったのだ。
それが何を意味するのかは、今なら、よく分かる。
「それだけ聞くと、わたしが酷いみたいじゃないか」
栞は今度こそ、頬を膨らませて唇を突き出した。
これはよく見る顔だ。
「その後のことはともかく、その点においては絶対にお前が悪い。オレが止めろと言ったのは聞こえたはずだ」
直後に「止めない」と強く返しやがったからな。
「じゃあ、九十九は、通路でわたしが倒れていたら無視する? 部屋じゃないよ? 通路だよ?」
「するわけねえだろ」
部屋だろうが、通路だろうが、栞が倒れていたら、すぐに抱き上げて助けるに決まっている。
「同じことじゃないか」
「違う」
「違わない。九十九は熱でわたしが倒れていたら、わたしを絶対助けてくれるように、わたしも九十九が熱で倒れていたら助けたいと思う」
確かにその行動は酷く栞らしい。
「お前は主人で、オレは護衛だ。その時点で同列に扱えるはずがねえだろ?」
だが、その前提がある。
オレたちは同じ立場にないのだ。
「じゃあ、配役を変えよう。水尾先輩やワカが熱で倒れていて、手を貸そうとしても助けを拒んだら、九十九はやっぱり助けない?」
「それは……」
栞からそう問いかけられて、考える。
水尾さんなら、意地を張ることを知っているから、オレは助けてしまうだろう。
若宮なら? 一度は罠や芝居を疑うかもしれないが、すぐに助けを拒んだ時点で、それらの可能性が低いと判断して助けてしまうかもしれない。
「薬師志望の青年が、具合が悪くて、倒れている人を見捨てられるはずがないよね?」
まるで、そんなオレの迷いを見透かしたように栞が笑う。
「兄貴やトルクなら見捨てる」
なんとなくそれが悔しくて、オレはそう言った。
「雄也は状況によると思うけど、トルクのことは見捨てない気がするな。そんなことができる人はカルセオラリア城の崩壊の時に、城下に向かうことを選ばないと思うんだよ」
さらに笑みを深める。
悔しいが、その通りかもしれん。
兄貴は確かに状況によるだろうし、トルクは世話をしているが、世話になっている部分もあるのだ。
先ほどの答えで嘘を吐いた覚えはないが、栞から指摘されるまでそこに気付きもしなかった。
「だから、わたしも助けたいと思っちゃったんだよ。九十九にはいつも、かなり護られているから、助けられるなら助けたいと思った」
栞ならそう思ってしまうだろう。
あの時、オレが通路に出て無様を晒していなければ、そんなことにはならなかったはずなのに。
「友人って、そういう存在でしょう?」
だけど、あの時、通路に出なければ、この言葉に苛立つ意味も分からなかったんだろうなとも思ってしまうのだった。
今年も無事に毎日投稿することができました。
読んでくださる皆様に本当に感謝です。
そろそろ毎日投稿も難しくなりそうですが、できる限り頑張らせていただきます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




