名前を付けられない感情
雄也は九十九とある程度話したためか、リストに再び目を走らせ始める。そして、一通り眺め終わった後で、こう言った。
「栞ちゃんの靴は?」
彼も、あの少女の靴の状態が気になっていたのか、弟の作成したリストに入っていないことに疑問を持ったようだ。
それだけ彼女の靴は分かりやすくボロボロの状態だったと言える。
「いらないそうだ」
「……そうか。あの意匠……デザインはセントポーリアでは珍しいからな。ジギタリス国内に入れば、似たような物もあるかもしれんが」
雄也はそう言いながら溜息を吐いた。
見た目にボロボロの状態でも、当人がそれで良いと言うなら、仕方がないことではある。
「……なんでアイツが『いらない』と言った理由がデザインだって分かるんだよ?」
「人間界にいた頃の服装を見ていればなんとなく分かるだろう? あの子は華やかな服装より柄が少なく、どちらかというと単色が好きみたいだな。休日でもアクセサリーも身に付けていなかった覚えがある」
「つまり、洒落っ気が無いということか」
九十九は人間界にいた頃の少女を思い出してそう言った。
彼女はその装いについて、夢魔にすら呆れられていた覚えがある。
洒落っ気がないと言うよりも、服装に無頓着と言った方が近い。
同年代の少女たちに比べて、明らかに華やかさはなかった。
もしかしたら、服は着ることができれば良いと思っているのではないだろうか?
「……華美を好まないと言うのだ。スカートも制服以外では見なかったな。それらを考えると、セントポーリアの様式とは合わないだろう」
「それで兄貴が用意していた服も飾りっ気がないやつだったのか」
よく見ているなと感心する。
「女性にとって自分の好みではない物を着せられるのは苦痛だと思ってな。寒色の方が好きなのは知っているが、色についてはある程度諦めていただくしかなかった」
セントポーリアの服は、基本的に赤や橙などの暖色系の色合いが多い。
暗めの赤もないわけではないが、圧倒的に明るい系統の物が市場を占めている。
「兄上のその寛大なる御心を少しばかり可愛い弟にも向けていただけませんかね?」
「男は知ったことか」
「ひでえっ!!」
そんな九十九の叫びを無視して雄也は続ける。
「魔界は装飾品が付いているものが主体だからな。ああ、機械国家のカルセオラリア製なら装飾品無しでも耐魔法効果が高いから良いかもしれん。少し、検討してみるか」
「それにしても……、服に付いてる飾りとかってそんなに気になるものか? 効果が高ければ見た目は二の次だろ?」
ある意味、彼女以上に洒落っ気がないようなこと九十九は口にする。
「それは効果を実感できる人間の話だ。栞ちゃんは魔力が封印されているため、錬石や魔石、魔玉、宝石、宝玉等の効果も感じられない。そうだな……、封印を解除できれば少しは変わるかもしれないが……」
「ああ、人間界でも天然石を見てもさっぱりだと言っていた。アイツにかかれば最高ランクの聖玉もクズ石扱いかもしれん」
九十九は妙に納得した。
人間界では「宝の持ち腐れ」と言う言葉があったが、まさにそのとおりだと。
この魔界では装飾品に石が付いていることが多い。
その石とは人間界で言う天然石、宝石と思っていただければ良いだろう。
魔界で産出される自然石はそのほとんどが魔力を含んでいる。路傍に転がる石ですら、僅かながら魔力があるのだ。
勿論、価値ある石がその辺りに転がっていることなどほとんどないのだが。
自然界に存在する魔力の含有量が少ないものを「クズ石」。
その「クズ石」を加工し、魔力を外部から込めやすくした石を「錬石」。
元から魔力がそこそこ含まれている「天然石」と呼ばれる「自然石」や、「錬石」に魔力を込めたものを「魔石」。
魔石をさらに加工し、球体にして装飾品等に使いやすくしたものが「魔玉」。
「宝石」、「宝玉」と呼ばれている物は「魔石」、「魔玉」の上位版と考えてほぼ間違いない。
他には、魔力だけで創り上げられた「魔力珠」というものも存在するが、ほとんど市場には出回らない。
そして、それらと一線を画し、この魔界にあるにも関わらず、一切の魔力が含まれていないのに特殊な力を秘めている「玉石」を「法石」、「法玉」、「聖石」、「聖玉」などとと呼ぶ。
その中でも、「聖玉」と呼ばれるものは法力を秘めた「法具」に付いていることが多いため、神官が所持していることが多い。
そして、それをさらに越える神々が作ったとされる「神玉」と呼ばれるものが存在するらしいが、まず一般的な魔界人が目にすることはないだろう。
「魔石が付いたアミュレットを一つぐらいは身に付けていて欲しいと思ってはいるんだが……。オレたちの目が届かなくても時間稼ぎくらいにはなるだろうし」
「お守り……いや、護符と言えば受け取ってくれるだろう。通信珠のようにな。但し、効果の実感が無い状態だから、うっかり忘れてしまうことも我々の方も頭に入れておく必要がある」
「……過去の経験からそれは理解している」
九十九は、少し前のことを思い出して、肩を落とした。
自分たちが護るべき対象は、その効果を知っていてもうっかり忘れる図太い神経の持ち主なのだ。
「しかし、この辺りで強力な加護があるのはあまり望めないだろうから……そこが難しいな」
「用意していないのか?」
それは兄にしては意外だと思った。
「多少の持ち合わせはあったが、チトセさまの護りに全て使ってしまった。思ったより栞ちゃんの露見が早かったこともある。お前の方は?」
「城下を覗いたけど、あまり強力なのはなかった。そこそこのヤツならあったが、水尾さんを休ませている間の結界に使っちまったし」
水尾が魔力を暴走させかけても、周囲に変化がなかったのは、そのおかげであった。
「まあ、仕方ないな。ある程度、あの家の結界の強化をしていて助かった部分もある。そもそも上質な護符が簡単に手に入れば苦労はない」
「いつもみたいに『無能』とか言わないのか?」
言われたいわけでもないが、言われないのは落ち着かなくて思わずそう口にしていた。
「ほう、言って欲しいのか? そもそも俺も用意していない時点でお前を無能呼ばわりはできないわけだが……」
「用意周到な兄貴にしては珍しいな」
「俺も2個ほど思わず使用してしまう場面があったのだ」
「2個もあったんかい」
彼女の母親を護るためにいくつ使ったかは分からないが、それ以外にも2個、余剰分があったことに驚く。
さらに、それをうっかり使用しなければならないような状況というのは一体……?
「だからお前を責める立場にない。お前のご期待に沿えず申し訳ないがな」
「いや、責められることを一切、期待してない」
「そう考えるとこのリストにお守り追加だな」
そう言いながら雄也はリストにさらさらと追記していく。
「後はもう少し考えてみるか。明日の買出しには俺が行こう。掘り出し物があるかもしれん。お前はそろそろ保存食の準備を頼む。今あるものでもある程度できるだろう?」
「ああ」
九十九は多少なりとも植物の知識がある。
だからこそ道中、森の中に自生している植物の採取も忘れてはいなかった。
欲を言えば、肉も獲りたかったが、何故か魔獣に出会うこともなかったため、狩ることができなかったのだ。
魚については、安全のために水場の近くを通ることがなかったから仕方がない。
護るべき人間が余計な好奇心を出して、川で溺れるとかよく聞く話でもある。
そんな間抜けな話になることは避けたかった。
「兄貴は……、今後、どうなると思う?」
「なるようにしかならん」
あっさりと答えた雄也の言葉は身も蓋もないものであったが、九十九にとってはそれも予想済みのものだ。
投げやりに聞こえる返答ではあるが、いつも兄は様々な状況を想定している。
弟である九十九の考えが及ばない部分も含めて。
だから、九十九は任されたことだけはきっちりやろうと思っていた。
元々、難しいことを考えるようにはできてないのだ。
その分、動くことに特化していれば良い。
そして……、彼女がこの先、どんな道を選ぶことがあっても、自分は最善を尽くさねばならない。
それが、周囲には喜ばしい道ではなくても、彼女が心から望むのならそれを叶えることが自分の務めだと、九十九は思っている。
その感情を何と呼ぶのか……。
今はまだ、彼自身もその周囲も名前を付けられずにいたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




