【第109章― 再び改することで ―】致死量の衝撃
この話から109章です。
よろしくお願いいたします。
「そっか。大神官さま、会えない状態になっちゃったのか」
朝、栞を迎えに行った時、大神官のことを伝えた。
「なんか、昨日、様子が変だったんだよね」
頬に手を当ててそう小さく息を漏らす。
「変?」
「ん~? 上手く言えないんだけど、ちょっと距離を取りたくなるような?」
どうやら、栞は本能的に大神官の危険性に気付いていたらしい。
「妙に触れてくるような?」
「ちょっと待て?」
「ぬ?」
「『ぬ?』じゃねえ。触れてくるってどういうことだ?」
そんなことは全く聞いていなかった。
大神官は勿論、昨日の栞からも。
「昨日の『寵児の間』、神子たちの記録がある書棚の部屋に連れて行かれる時とか、いつもよりもスキンシップが多いなと思った」
「具体的には?」
「ぐ、具体的?」
オレの剣幕に押されたのか、栞が少しだけ身体を退く。
分かっている。
嫉妬だ。
これは明らかに嫉妬なのだ。
それでも聞き逃せなかった以上、追求したくなる。
「そこに行く前は凄く暗い通路だったから手を引かれるのは仕方ないとしても、部屋の登録はあんなに引っ付く必要はないと、今なら思う」
「具体的には?」
部屋の登録?
やはり、登録した人間しか入れない特殊な部屋なのか。
それに引っ付く?
全く繋がらない。
「えっと……、あの状態は……? ああ! ストレリチア城下でこの御守りを使って、結界を破ろうとした時、九十九が手を握った上で、後ろで支えてくれたでしょう? あれによく似ていた」
手を叩いて思い出したようにそう言った。
栞の説明でどんな体勢だったのかは、分かった。
そして、その前にオレがやっているために、これ以上、下手に追求ができない状態であることも理解した。
確かにあったな、そんなこと。
いや、あれは栞に治癒魔法をかけながら支えるために仕方のない体勢だったと言い訳したい。
それでも、今にして思えば、あれは好意のない相手にすることはなかなか難しい体勢だ。
いくらオレの方が女装していたとしても、栞もよく嫌がらなかったとも思う。
「確かに、大神官にしては過剰なスキンシップだな」
「まあね。暗かったから声だけでドキドキしたけど、明るくなった時に顔が近くてびっくりした」
「ドキドキ?」
「うん、ドキドキ」
オレの疑問をそのまま、笑顔で返す小悪魔。
「お前にそんな感性があったのか?」
「あの大神官さまの顔が間近にあれば、九十九だって胸が高鳴ると思うよ?」
「何を馬鹿なことを……」
そう言いかけて……。
「まあ、あの顔だからな」
思わず、納得してしまった。
困ったことに確かに否定できない。
男のオレから見ても、あの方の顔はそれほど綺麗なのだ。
「ワカも大変だよね」
オレの答えに満足したのか、栞は苦笑しながらそう言った。
「若宮は面食いだから問題ねえだろ」
王女殿下は、自他共に認めるほど「面食い」である。
それは、小学校のころから当人が公言していたほどだ。
それならば、あの顔を近くで見るのはご褒美と言っても過言ではないだろう。
「ワカは面食いだけど、過剰な甘さは苦手なんだよ」
栞が苦笑しながら、そう言った。
「過剰な甘さ?」
「低音ボイスで歯の浮くような甘い言葉をかけられること。九十九も大聖堂の修羅場で聞いたでしょう? あんな感じの言葉を言われると逃げ出したくなるっぽいよ」
照れ隠しってやつか?
いや、アレは女じゃなくてもこっぱずかしくて、逃げたくはなるだろう。
童貞の自分を未来のお前がなんとかしてくれるだろ? なんて……、かなり自信がなければ言えない台詞だ。
オレは、言えなかったな。
言うこともできなかったし、何よりその資格すら持つことができなかった。
「意外だな」
そんな純な性格の女とは思えないのに。
「そう? ワカは結構、男性に免疫はないよ」
言われて思い返すと、確かにそんな面もあることに気付く。
「まあ、大神官さまもあの顔でさらりと女殺しの言葉を吐く人だからね。そういう意味では、ワカもやりにくいかと思うよ」
「殺されたのか?」
その言葉が引っかかった。
「致死量を食らったことはある」
「致死量なら死んでるな」
栞はさらりと返してきた。
当人は気にしていない。
だが、オレは気になる。
オレが近くにいる時に、そこまでの台詞を大神官が口にした記憶はなかった。
だが、あの大神官のことだ。
オレや兄貴の前では見せたことはない顔を、栞にだけは見せている可能性がある。
もしかしたら、王女殿下にすら見せたことのない面も。
「『貴女がこの世界にいなければ、私は大神官である意味がない』なんて、十分過ぎる威力があると思わない?」
そんなどこかで聞いたことのある言葉が飛び出し、オレは思わず眩暈がした。
やはり、言われたのはお前だったのか。
あの王女殿下の勘は当たっていたらしい。
思わず、高笑いする王女殿下を幻視した。
だが、こんな時だというのに、あの女が傷付いたり、神妙な顔をするイメージがオレは湧かないらしい。
「それに対してお前はなんて答えたんだ?」
胸部に鈍い痛みを覚える。
それに伴って、鼓動もおかしくなるほど強く早くなっていた。
あれほどの男からそんなことを言われたのだ。
しかも、当人が致死量というほどの衝撃があるほどに。
それで、心を全く揺らされないとは思えない。
「その直後に、『忘れてくれ』って言われたから、忘れることはできないって答えたよ」
それは、大神官にとっても衝動的な言葉だったということだろう。
言うつもりはなかったのに、思わず、口から出てしまったということか。
だから、忘れて欲しいと願ったのに、この女は忘れないと返したらしい。
厄介なことに、その場面をあの王女殿下は未来視で視てしまったわけだ。
暗かったとは聞いていたが、どこまであの王女殿下は視てしまったのだろうか?
「だけど、この先、わたしが『聖女』の道を選ぶなら、身命を賭して仕え、その生涯を護るなんて続けられたら、やっぱり複雑になるよね?」
「それは……」
さらに続けられた言葉の方が致命傷だった。
そして、そこまでの覚悟をあの大神官に言わせたのか?
大神官はあの王女殿下を想っているのに?
その想いの方向性は違っても、その重さは匹敵する気がした。
「だから、それは不要だし、そんな未来はあり得ないって思いっきり否定した」
「ばっさりだな」
そのことに安堵はしたものの、そう返された大神官の胸中を思うと複雑ではある。
「それだけ大神官さまの様子がおかしかったってことだよ」
果たして、それが「発情期」の兆候が出ていたからなのか?
それは大神官本人にしか分からない。
そして、その答えは知りたくもなかった。
「それ以外にも唇に触られたし、『寵児の間』では、案内のために割とずっと手を繋がれていたかな。でも、今にして思えば、それらはちょっといつもの大神官さまの行動とは違った気がする」
「唇っ!?」
ちょっと待て?
それだと、いろいろ変わってくる。
特に唇に触れるって行動は普通ではないだろう。
どんな触れ方にしても、兄貴ならできるかもしれんが、オレは栞以外の女にはできる気がしない。
「一昨日から、妙に抱き締められていたしね」
栞に疚しい気持ちは全くないのだろう。
先ほどからポンポンととんでもない発言をしている。
王女殿下が聞いたら怒り狂うんじゃねえか?
そして、大神官の発情期が早まったのって、もしかしなくても、この栞の無防備さが原因の気がしてきた。
王女殿下が甘い言葉に慣れてなくて逃げ出すなら、それなりにいろいろなモノが溜まっていることだろう。
そこに、それなりに好意を持っている相手がホケホケと無防備に近付いてきたら、「発情期」に悩まされている人間は迷うかもしれない。
しかも、その無防備な方は触れることすら簡単に許してくれるのだ。
男なら、それを逃す理由はない気がした。
「お前……、男に簡単に抱き締められるなよ」
「検診、神力の確認、体勢を崩したわたしを支えるため、移動のため。一応、理由があるんだけど」
つらつらとその理由を述べられる。
そのどれもが納得できるようであり、同時にそれを納得したくないと思う自分がいた。
尤もらしい大義名分を掲げて栞に触れるのは、オレだってやっていることだ。
そして、曖昧な理由であっても栞は納得してしまう。
そのことがかなり腹立たしい。
それが許されるのは、自分だけではないと分かっていたから。
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