長柄武器
時々、大振りで床を叩きつけて爆発のような風を巻き起こす以外、以外、大神官の振るう錫杖は、棒術に近いものだった。
弧を描き、流れるように次の動作へと繋がる無駄のない形。
見栄え重視ではない動きなのだが、それでも長身で顔が良い男の棒術は、それだけで、二枚目役者の殺陣のようにも見えた。
だが、それに見惚れるような余裕はない。
オレはその余波だけでもふっ飛ばされているのだ。
そして、この模擬戦闘が始まってからずっと、周囲の大気魔気や自身の体内魔気が不安定である以上、治癒魔法も役に立たない。
直撃を食らわないようにするのが精いっぱいだった。
爆破に高熱がなかったことだけが救いだ。
床の破片や爆風による擦過傷に、熱まで加わったら、目も当てられない症状になる。
既に、この契約の間は、元からそうであったかのように平らな場所が存在しないような床となっており、硬質さの欠片もなくなっていた。
その足場の悪さに、オレの動きもこれまで以上に制限されることとなる。
だが、それを作り出した原因の男は、その足場をものともせずに、攻撃を繰り出してくる。
これまで見てきた丁寧な物腰に反して、その攻撃は意外と豪快だ。
だが、その手にしているのは錫杖。
確かに人間界なら聖職者……、修行僧が持つイメージが強い得物ではあるが、その形状的に大神官の扱い方では別の物にした方が良い気がする。
長身に長柄武器は選択としても適切だと思うが、それならば、何故、重量のある戦棍を選ばないのかは不思議だった。
具体的には、戦鎚や、星球式鎚矛だ。
これだけの力だ。
それらを振るうのは難しくないだろう。
大神官がそれらの武器を知らないとは思えない。
つまり、この錫杖の形をした武器には何かあると思った方が良い。
見栄え重視をするような人間ではないし、何より意味なくこの得物を選ぶはずがない。
そこまで、オレが考えた時だった。
それまで表情を変えずに、錫杖を振るっていた大神官の口が弧を描いた。
警戒心を一段階上げるが、一段階では足りなかった。
突き出された錫杖の頭部から煌めいた何かが飛び出す。
魔法や法力の気配はなかったから、もともとの機能なのだろう。
「なっ!?」
あまりにも距離が近すぎて、回避行動は間に合わない!!
そのまま、オレはその光るモノによって、床に張り付けられる。
器用なものだ。
あちこちに床面に空いた穴を避けて、見事にオレの身体を縫い留めた。
大神官の錫杖の頭部から放たれたモノは、輪だった。
頭部の円形に通されたシャラシャラと音を立てていた12個の輪のうちの5個の一部が割れ、半輪……、いや、三分の二輪? となって、オレの両腕、両足、首に向かってきやがったのだ。
流石に首こそ守ったが、左手首と右足首は拘束された後、その輪は床に刺さり、オレの左手と右足の動きを封じる。
床と左手首、そしてほぼ半輪しか見えていないその金属の間には、無駄な空間がほとんどなかった。
さらによく見ると、拘束しているこの輪の外側は、鋭い刃となっていた。
どうりで、妙に光って見えていたわけだ。
初めて見るが、これは、円月輪ってやつだろうか?
さらに、自由を許されていた右手、左足、首に向けても、その輪が追加で放たれる。
こんどは半輪ではなく、輪のままで向かってきた。
普通に円形の刃を飛ばされるようなものだ。
そして、迷いもなく、首を取りに来る辺り、攻撃に容赦がないことが分かる。
咄嗟に、自由になっている右手で、その場にいくつも転がっている床の欠片を拾って投げつけ、首に向かってくる円月輪を弾き飛ばすしか回避の手段はない。
欠片を掴んで直接右手で払うには、体内魔気が不安定な今、不確定要素が大きすぎる。
左足については同時に動かして自力で避けるしかなかったが、これだけ少しだけ掠めた。
厚く、頑丈にしている靴底で受け止めようとは考えなかった。
それは恐らく良くない。
足がふっ飛ばされるような気がする。
そこに、再び、錫杖に残っていた輪が放たれ、半輪となった後、オレの右手と左足を絡め取って、床に突き刺さった。
ここで、完全に首と胴以外の自由がなくなる。
聖人の張り付け……、いや、迷いの森で、大木に張り付けられていた褐色肌の長耳族の方が近いか。
手足を穿たれていないだけマシだろう。
そして、大神官は床に張り付いているオレの身体の真横に立った後、頭部から円形しかなくなっている錫杖を首元に付きつけた。
よく見ると、この円形部分も刃となっている。
この時点で、オレは死んだ。
これは模擬戦闘と言っても、勝負ではない。
だが、この状態は生殺与奪の権利は完全に大神官の方にあった。
これだけで、十分に感じられる死の気配がここにある。
「抵抗はされませんか?」
聞き慣れた低く涼やかな声。
「ここで抵抗するなら、自爆覚悟で意図的に魔力を暴走させることぐらいですね」
「魔力の暴走はできませんよ」
オレの言葉に感情の籠らない答えを返す。
そうだろうな。
オレもそう思っている。
体内魔気の働きがおかしくなっている現状では、まともにできる気はしなかった。
魔力の暴走どころか、魔力が動く気配が全くないのだ。
そして、この半輪もオレの手足を押さえつけるために、隙間なくみっちり刺さっている。
しかも、固い。
今のオレの力ではピクリとも動かない。
それでも、本当に殺されるなら、手足が千切れることを覚悟して、強引にこの半輪から抜け出すしかないだろう。
「それが、貴方の神力の効果……、ですか?」
この異常な状況は、それ以外では説明ができない。
「いいえ。私の神力はただの身体強化でしかありません」
だが、それを大神官は否定する。
自分の心臓の音が大きくなった気がした。
「貴方のその状態は、私の種族的な能力のようです」
種族的……?
まさか、精霊族の力ってことか。
それなら、確かに法力でも、魔法でもない。
「申し訳ありませんが、これ以上はお伝え出来ません」
確かに自分の手の内を晒すような阿呆はいない。
「ですが、九十九さんのお考えは、そこまで大きく外れたものではないことだけは確かとは申し上げておきましょう」
それ以上は、自分で考えろということか。
外れていないと教えてくれただけ、十分な温情だ。
オレに向けられた双眸は、いつもとは全く違った。
感情の有無ではない。
一番、違うのはその瞳の色だ。
いつもは青く澄んだその瞳は、今、緑を混ぜたような碧に変わっていた。
それだけなのに、十分、その印象は変わっている。
首元にある長柄の先にある円形の刃が、死神の大鎌を思わせていた。
少しでも身動ぎすれば、その刃がオレの首をすっ飛ばすだろう。
幾重に施していた身体強化など、体内魔気が働かないこの状況では意味がなくなっている。
魔封石を使われても、ここまでの状態にはならない。
魔封石は体内魔気を阻害するだけで、そのものを打ち消す効果はないのだ。
だが、今のオレは、体内魔気そのものを感じられない状態になっていた。
それもあって、首筋の刃物がいつも以上に恐ろしく思える。
そして、同時に、自分がどれだけ体内魔気に頼って生きているのかも実感できた。
この世界に生まれ落ちた人間は全てその大小の違いはあっても、体内魔気に護られて生きている。
その恩恵は魔力が強いほど大きい。
これが、模擬戦闘……、大神官のストレス解消でなければ、オレは間違いなく死んでいるだろう。
本当に殺す気があれば、ここまで遊ばれることもなかったはずだ。
身体強化ができない状態で、身体強化された相手の一撃を避けること自体が、手加減されていたという証左だろう。
そして、ただ嬲ることが目的ならば、ここまで手の内を晒す必要もない。
尤も、手の内を晒された所で、体内魔気を無効化してくれやがる相手にどんな手が通じるかは分からない。
頭の中に一人の女が笑う。
自分なら、その通じる手があるとでも言うように。
阿呆言え。
いくら、何度も奇跡を起こしてきたお前でも、この方の相手をするのは無理だ。
栞は確かに神力を使える。
この状況が、神力に効果がないのなら、彼女の手は間違いなく有効だろう。
だが、それが歌から発動するのなら、その歌を封じさえすればどうにもできない。
歌い終わるまで待ってくれるほどの優しさはこの方にないだろう。
そして、大神官の神力が身体強化なら、栞とは相性が悪すぎる。
栞は筋力、体力は普通の女よりもあるが、単純な肉弾戦ではオレにすら勝てない。
簡単に吹っ飛ばされて、そのまま組み伏せられることだろう。
嫌な想像をしてしまった。
大神官が「発情期」が近いという話をするからだ。
それでも、このとんでもない能力の対策ができないことには、本当の意味で栞を護り続けることができないのはよく分かったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




