真夜中の訪問者
オレが借りている部屋の扉を叩く音がした。
既に日付が替わるような時間帯。
主人である栞は隣室から寝ている気配がする。
つまり、栞以外の誰かであることは間違いないだろう。
そうなると、こんな時間帯にも関わらず、事前の約束もなく、訪問するような心臓の太い持ち主などそう多くはない。
襲撃ならわざわざ来訪の合図などしないだろう。
念のために警戒をしながらも、扉を開けると、そこには真っ白な服に身を包んだ長身の男が立っていた。
「今、お時間はよろしいでしょうか?」
そう問いかけてくる相手の表情は読めない。
普通に考えれば、こんな真夜中にいきなり来て、良いと即答できる人間は夜型ぐらいだろう。
あるいは、この男から夜這いを掛けられたいと常日頃から夢見ているような女か。
オレとしては、事前準備も、心構えすらないような状態で会いたいような人間ではなかった。
「はい。大丈夫です」
それでも、元からオレに断るという選択肢があるはずもない。
訪問の用件に心当たりもあったし、何より、オレ自身も会って話をしておきたかった。
だが、出方を窺っているうちに今日は無理だと思っていたのだ。
昨夜は訪問する理由があったために問題なかったのだが、今夜は私用以外の理由が思いつかなかったという理由もあった。
そういった意味では、相手の方から来てくれたのは、好都合だと言えるだろう。
だが、来るなら来ると、事前に準備をさせてもらいたいとは思う。
主に心の方の。
「少々、お耳に入れたいことがあります。場所を変えてもよろしいでしょうか?」
「はい。どちらへ?」
確かにこの部屋は狭い。
しかも、向かい合って座るとなれば、かなり難しい。
相手が栞なら、彼女を椅子に座らせて、オレは寝台に腰掛けるという荒業も使えるが、この方にそんなことができるはずもない。
「大聖堂の契約の間などはいかがでしょうか?」
どうやら、説教コースらしい。
契約の間は総じて、魔法の気配が外に漏れない。
それは魔法国家の第二王女殿下の使用率からも分かることだ。
聖堂にある契約の間となれば、魔法だけでなく、法力の気配も漏らさない優れものだと聞いている。
そんな場所を選ぶと言うことは、大神官が、魔法か法力の使用を想定しているということになる。
そして、オレが魔法を使用するよりも、大神官が法力を使用する確率の方が高い話と言うことになるだろう。
その理由にも心当たりが先ほどから何度も脳裏を掠めていた。
オレの所業は、大神官にとっても、許し難いものだと判定されたと言うことだろう。
「承知しました」
素直に礼を取る。
大聖堂の契約の間は、地下にある。
いや、契約の間はその性質上、地下にあるものではあるのだが。
あまり、栞から離れたいわけではないが、昨日の話では、栞が寝ている部屋にはかなりの防犯対策がされているということだ。
それならば、彼女が目覚めて、部屋から抜け出しでもしない限りはその身の安全が保障されることになる。
できれば、このまま一晩、目覚めることなく安眠をしていて欲しい。
「それでは、参りましょうか」
目の前の男は、オレの手を掴むと、そのまま、移動……魔法ではないナニかを使った。
そのことにオレは驚く。
これまで、この大聖堂内で、この方がこういった移動距離を短縮するような行為をしたことはない。
大聖堂は決して狭いものではないが、必ず重そうな祭服を着たままで、普通に歩いて移動している。
そして、同時に、栞の気配が急に王女殿下の私室前に現れたのもこういった理由からだったのかと納得した。
何らかの行為が行われていることは分かっていたが、確信はできなかったのだ。
気付けばオレは見覚えのある場所にいた。
大聖堂地下にある契約の間である。
ここは、水尾さんが何度も栞の体内魔気の調整と称して魔法をぶつけまくった場所であると同時に、オレと栞が初めて共闘をした場所でもある。
あれからかなりの月日が経った。
それでも、この場所は変わらない。
オレと男……、大神官は、向かい合って座ることになった。
座っていても、誤魔化しようのない身長差。
それを羨ましいとは思うが、これだけ目立つ容姿となれば、本人としては不本意だろうとも思う。
神官たちの中には神々が与えた美貌とまで言うヤツもいる。
実力世界のようであって、その実、足の引っ張り合いも絶えないこの神官世界では生き辛い面も多々あったことだろう。
「それで、お話とは?」
なんとなく、分かってはいる。
あの栞の様子から、大神官はいろいろと察したのだろう。
一昨日もサシで話すことになったが、その時も、まあ、結構な目に遭った。
だが、今回はそれ以上かもしれない。
分かりやすく栞の精神状態に激しい影響が出ていたのだ。
これまで曖昧にしていた部分まで引きずり出されることになるだろう。
それでも、誰も罰してくれないのなら、オレはこの方に裁かれたいと思ってしまう。
「まずは、貴方方に謝罪を」
「謝罪?」
なんのことだ?
大神官の言葉はあまりにも予想外すぎた。
「栞さんから伺っていませんか?」
「少しだけ話を聞きましたが、あの後、主人はひたすら、絵を描くことに没頭していたために、全ては聞いておりません」
正しくは、会話を続けさせなかったのだ。
あれ以上、彼女と話を続けることができなかった。
自分がしでかしたことの罪悪感に押しつぶされそうで。
「ああ、それで思い出しました」
そう言いながら、オレは栞から預かったものを召喚する。
「忘れないうちにお渡しいたしましょう。これは主人から大神官猊下へと預かった物です。お納めください」
それは、昼間、栞が描きまくった絵を複製したものだった。
オレたちがリプテラに戻る前に渡そうと思ったが、先に会えたので手間が省けた。
大神官はそれを受け取ると、一枚ずつ、ゆっくりとそれらを確認する。
「栞さんは本当に絵がお上手ですね」
「私もそう思っています」
本人は、「自分ぐらいの人間はどこにでもいる」などと言っているが、そんなはずがない。
どれだけ記憶力がよければ、見たものをそのまま描くことができるのか?
オレや兄貴は人が話したこと、書物に記されていることについての記憶力はそれなりにある方だと思っている。
だが、見たものを記憶だけで描くには限度があるのだ。
兄貴だって自身の記憶だけでは、細部の再現までは不可能だと言っていた。
どうしても、曖昧な部分は誤魔化すか、想像で補填することになる、と。
そして、彼女が最近、使えるようになった「一言魔法」の神髄がそこにある。
自分が見たことがあるモノ、記憶したモノをその手によって再現できてしまうようになったのだ。
それは単純な思い込みだけの能力ではない。
それらの想像力と創造力による魔法は、間違いなく、栞の絵を描く技術から始まっている。
「ありがたく頂戴致します」
大神官は、栞の絵をどこかに収納する。
魔法の気配とは違うものだったために法力なのだろう。
「栞さんにもそのようにお伝えください」
そして、そんなことを言った。
「私は、今日から『禊』に入りますので、今回はもう栞さんにお会いできないのです」
「え?」
驚きのあまり、素の返答となってしまった。
そんな予定は聞いていなかった。
王女殿下も栞も何も言っていなかったと思う。
それに、大神官の「禊」……、つまり、発情期に入るのは、これまでの周期から計算して二カ月ほど先だと思っていたのだが、狂いが生じたのだろうか?
「少々、予定外のことがありましたので、仕方がありません」
予定外?
だが、その辺りは私的な部分だろう。
だから、オレは追求を避ける。
これが何かの誘いだったとしたら、面倒だ。
「分かりました。主人にも伝えておきます」
そう答えるに留めた。
栞には大神官は急用ができたとでも言っておこう。
嘘は言っていない。
本当のことを隠すだけの話だ。
「それでは、こちらの用件をお伝えしましょう」
大神官は微かに笑って……。
「私は、貴方と雄也さんにお詫びしなければならないことをしました」
そんなことを口にしたのだった。
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