全て描き終わって
「今、何時?」
「あ~、二十刻を過ぎたところだな」
あれから、さらに絵を描きまくった栞は、ようやく落ち着いたのか、筆記具を置いて確認する。
いつも以上に大量生産された絵は、一枚も残さず、既にオレの手によって収納されている。
「わたし、どれぐらい描いた?」
「時間か? 枚数か?」
「できれば、どっちも」
オレは少し考えて……。
「時間なら十刻ぐらいだな。実際は、合間に飯や休憩入れてるから、描いている時間に限定するなら、もう少し短くはなる」
「うわあ……」
栞が一気に疲れた顔をする。
それまで意識していなかったようだが、明らかにその表情には疲れが見てとれた。
「枚数は百を超える」
「ふへ?」
オレの言葉で、栞が自分の指を折り出す。
「あれ? いろいろ、おかしくない? 一枚当たり……、単純計算でも十二分刻ぐらいになるよ?」
ようやくそこに思い至って、計算したらしい。
「それだけ、お前が描くのが速いんだよ」
正しい枚数を口にするならば、131枚だった。
何度か数えたから間違いないだろう。
確かに、一枚当たり驚異的な速度で仕上げていることになる。
「色を使わずに黒一色で描いていたから? でも、それにしたって、早すぎるかな。だけど、手を抜いた覚えもない」
栞はそう首を捻る。
ここで無意識の身体強化の話をしようかと思ったが、何も意識していない時の方が、栞は魔法の使い方が上手い。
ここは、変に意識させない方がよいかもしれない。
「慣れだろ」
実のところ、これが一番の理由だ。
身体強化をしているにしても、自分で意識しないほど自然にこなしている。
無詠唱で無意識。
呼吸をするかのように自然とそれを行える人間が、この世界にはどれだけいることか。
「慣れ? そうなのかな?」
だが、当人はどうも納得はできないようだ。
「気になるなら、枚数を数えるか?」
「いや、いい。九十九の言葉だから間違いない」
疑いもせず、栞はそう言い切った。
信用され過ぎてるな、オレ。
「それよりも、一部の絵をもう少しだけ、綺麗に仕上げたいんだよね。でも、流石に時間が足りないかな」
「時間?」
栞の絵は趣味で描いているため、締め切りなどの時間制限は特にない。
描く場所にしても、このまま大聖堂に長居せず、別の場所で描くことは可能だとは思うが……。
「さっき描いた絵を、大神官さまに渡したいんだよ」
「大神官猊下に?」
どうやら、そんな約束をしたらしい。
「急ぎなら、さっき描いた絵を渡した上で、後日、改めて描き直した絵を渡せばいいんじゃねえか?」
「あ、そっか。九十九、頭良いね」
栞は嬉しそうに手を叩く。
「じゃあ、絵を出してくれる? 全部渡すのは難しいから、一部だけ複製もお願いしても良い?」
「分かった」
そう言って、先ほど栞が描いた絵を、再び、机に取り出す。
「うわぁ、本当にいっぱい描いたもんだね」
机の上から、滑り落ちそうになるほどの絵を見て、栞は嬉しそうな顔をした。
収納する時には揃えていても、紙の束を纏めていなかったために、空間から取り出した時に広がってしまうのは仕方ない。
「人物ごとにある程度、保管してくれていたのは助かるな~」
そう言いながら、広がった紙を順番に見ていく。
そして、その中から数枚の紙を選び、見比べ始めた。
「ぬう……」
どこか気に食わないのか、栞が眉間に皴を寄せる。
「こっちの方が上手く描けているけど、こっちの方がバランスは良い」
どうやら、拘りの話らしい。
だが、傍で見ていても、オレにはその違いが分からない。
絵を描くことができるだけでも十分凄いと思ってしまうから。
「良し! これと、これと……、あとはこれも!!」
そして、ようやく腹が決まったようで、次々と複製するための絵を選び始めた。
「今回は、この20枚を複製してもらえる?」
「分かった」
その指定枚数は思ったよりも多かったが、描いている人間の数が多いから仕方ないのだろう。
特に種類を描いた人物の絵を厳選することが難しかったようだ。
黒髪の……、栞によく似た栞と同じ名前の神子。
だが、よく見ると一部分だけ随分、違うな。
これは描き手の願望か?
オレは全く気にしていないのだが、当人が妙に気にしている部分が誇張されている気がした。
栞から手渡された「救国の神子」と思われる女たちを正面から描いた全身図と、協力者と思われる神たちの同じく全身図と、日常から切り抜いたような数枚の絵。
全部で確かに20枚を複製する。
「見事なコピー製品」
「それは、何か意味合いが違う気がするぞ」
なんとなく、複製品というよりも、偽ブランド商品のイメージが強くなるのは気のせいか?
「自分の寸分違わぬ絵があるって、なんか、不思議だね」
栞は複製された紙と、その元となった絵を見比べながらしみじみと言う。
「そうか? さっき言ったように複写と一緒だし、お前は、本も作ったことがあるだろ?」
「コピーや印刷しても、絵って完全に一緒になることはないんだよ」
「あ?」
「なんだろう? 印刷のムラとかコピーの微妙な掠れとかがあるし、自分の元絵……、原画の線の汚さを完全再現するのって難しいんだろうね」
「ああ、なるほど。どうしても、普通のコピーや印刷だと、紙とインクの材質が違うし、筆圧までは完全に再現はできねえな」
「紙やインクの材質はともかく、筆圧の再現まではいらないな~」
そうだろうか?
書き癖は最大の特徴となる。
見た目だけならある程度、書体で誤魔化せても、無意識の筆圧の強弱は意外と馬鹿にできないのだ。
そのために、人間界では筆跡鑑定というものもあったはずだ。
尤も、オレの「完全複製魔法」で複製されたものは、栞の「識別」で見破られてしまうものだと先日、証明されたため、本当の意味で完全に再現することはできないのはよく分かっているのだが。
どんなに似せても、近づけようとしても、やはり、本物とはどこか違うということだろう。
「九十九はまだ時間、ある?」
栞が複製された20枚の紙を机で揃えながら問いかけてきたから……。
「それを大神官猊下に届ければ良いのか?」
てっきりそのことだと思って、手を差し出す。
今の時間なら、大神官はまだ大聖堂で仕事をしている頃だろう。
面会の先触れは、通信珠で行って……、そう考えていたのだが……。
「いや、これは明日に手渡すよ」
そう言って、栞はにっこりと笑った。
「ちょっと話がしたいけど、大丈夫?」
どうやら、このまま、報告をしてくれるらしい。
「長くなるか?」
「うん」
「それなら、茶を淹れるから待ってろ」
長くなるなら、喉も乾くだろう。
「ありがとう」
栞は、オレに礼を言うと、近くにあった白い紙に何か書き始めた。
恐らく、話の内容を簡単に纏めておくつもりなのだろう。
前に「盲いた占術師」と二人だけで話した後も、オレと兄貴にその内容を伝えるために、そんなことをしていた。
だが、あの時ほど長い時間の話ではなかったはずだ。
どれだけ短時間で濃い話をしていたのだろうか?
内容がそこまで予測できないために、オレは首を捻るしかない。
まるで何かに突き動かされるかのように、栞は絵を描き続けた。
しかも、それらの絵を描くために、「オレに早く会いたい」と口にしてしまうほどだったのだ。
それだけの何かがあったことは分かるが、やはり、想像もできなかった。
しかし、そうなると、オレも気合を入れて臨む必要があるようだ。
「救国の神子」という言葉から、オレはある程度、覚悟はしたつもりだった。
それでも、覚悟が足りなかったと言える。
その後、栞の口から告げられた話は、この世界の過去の話。
当時の人類と神による罪。
そして、オレは、決して消えることのない栞の傷を知ることになるのだった。
この話で107章が終わります。
次話から第108章「再び廻さないように」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




