早く二人きりに
「大神官さま。ここまで送ってくださって、ありがとうございました。後は護衛がいるので大丈夫です」
退室して良いという許可も下りたから、恭哉兄ちゃんに改めて御礼を言う。
少しでも早く、九十九に会いたいというわたしの我儘を叶えてくれたのだ。
これまで、大聖堂内からストレリチア城内へ一瞬で移動してくれたことはなかった。
つまり、かなりの特別待遇だと思う。
まあ、今回は恭哉兄ちゃん自身が、目的のためにわたしを利用したという負い目がどこかにあったのかもしれないけどね。
わたしの周囲にいる腹に一物抱えている人は、その黒さの割に、わたしを巻き込むと申し訳なさそうな顔をする。
わたしのことを何も考えず、利用すれば良いだけなのに、そこまでの非道さを持ち合わせていないのだ。
だから、今のところ、わたしは大きな心の傷を抱えることがほとんどなく過ごせているのだろう。
有難い限りである。
「いいえ。九十九さんに少しでも早く会いたいという貴女のお気持ちを汲んだまでですよ」
恭哉兄ちゃんはそう言いながら、少しだけ笑った。
「尤も、先ほどお伝えした通り、その御心を少しだけ私にも分けていただければと思います」
「承知しました」
わたしは九十九の傍に少しでも早く行きたかった理由を恭哉兄ちゃんに伝えている。
だから、それが終わった後でその成果を見せてくれということなのだと思う。
恭哉兄ちゃんも、今回のことを記録として残したいらしい。
それならば、それを手助けできるようなことはわたしもしたいと思うから、この申し出は悪くないと思って承諾する。
「ベオグラ、後で、ツラ、貸せ」
だけど、ワカが何故か、恭哉兄ちゃんに凄んだ。
「このような顔で良ければ、いくらでも」
だが、それぐらいで動じるような恭哉兄ちゃんでもない。
表情は変えていないのに、なんとなく楽しんでいるように見える。
ああ、これは邪魔をしてはいけないやつだね。
「じゃあ、ワカ。九十九をもう連れ出しても良い?」
「どれだけ早く二人きりになりたいのよ?」
それはワカの方じゃないかな。
早く、恭哉兄ちゃんと話をしたがっているように見えた。
オーディナーシャさまもそれが分かっているから苦笑している。
「それだけかな。わたしには、今、九十九がすっごく必要なんだよ」
そろそろ行動したくなった。
ここで話し込んでいる時間も惜しいくらいだと思えるほどに。
早く、早く。
そんな気持ちだけが急っている。
何が、自分をここまで急かしているのか分からない。
この胸にある気持ちが逃げるわけでもないのに。
ああ、でも、記憶は薄れるものだ。
わたしは、自分の記憶力に自信がない。
だから、余計に気持ちばかりが焦っているのかもしれない。
「理由を聞いても良いかしら?」
「ぬ? わたしに護衛が必要な理由って、それこそ、必要?」
わたしが九十九と一緒に行動すること自体は、珍しくない。
ストレリチア城でお世話になっていた頃からそうだから、寧ろ、一緒にいないことが不思議だと思われるぐらいだ。
それは、ワカ自身からもよく聞くほどのことである。
今更、確認されるのが不思議だと思った。
「ええい!! 持ってけ、ドロボー!!」
まるで、バナナを叩き売るかのような言葉を吐かれた。
ワカが扇子を持っているから余計にそう思える。
「九十九って、泥棒だったの?」
退室の許可をワカから貰おうとしていたのは九十九だから、彼に言ったんだよね?
並んでいるからどちらに向かって言ったのか分からない。
「いや、この場合、オレを持って行けってことだから、お前の方が泥棒になるんじゃねえか?」
「ああ、そういうこと?」
つまりは、わたしに向かって、九十九を叩き売ったような言葉だった……、と?
なんだろう?
このまま深追いせずに退室すれば良いだけの話なのに……。
「でも、九十九は安物じゃないんだけど……」
そこが凄くひっかかった。
ワカの言葉を叩き売りの言葉と認識してしまったからかもしれない。
「安物?」
だが、九十九は気にならないようで、首を傾げている。
「ほほう?」
ワカの目が妖しく光った。
「高田は笹さんがお高いモノだと認識しているのね?」
そんな挑発的な御言葉をいただいたなら……。
「おや? まさか、ワカはわたしの護衛が安い男だと思って、そう言ったの?」
ここは負けられない。
わたしは九十九の主人だから。
冗談とは言え、彼が貶められるような言葉を看過したくはなかった。
「いやいや? 気の利かない男だとは思うけれど、安くはないわね~」
「九十九は十分、気が利く男だよ」
痒い所に手が届く感じだ。
それに甘え過ぎている自覚はある。
そして、今からも存分に甘えるつもりでもあった。
「え~? 笹さん、鈍いっしょ?」
「一部に関しては否定しないけれど、基本的にわたしの護衛は鋭いです」
確かに、時々、すっごく鈍いとは思う時もあるけれど、本来の九十九はかなり鋭い。
わたし自身が気付いていない感情の揺らぎまでしっかりと見抜くほどの有能な護衛だ。
「否定しないんだ。苦労してるね、高田」
なんとなく、同情されるような目。
何に苦労しているかは置いておいて……。
「ワカほどの苦労はない」
なんとなく、恭哉兄ちゃんを見る。
わたしと「寵児の間」にいた時と違って、ほとんどその表情は崩れない。
「良いのよ。私はその苦労も楽しんでいるから」
そう言って、ワカはにやりと笑った。
「それに、高田と笹さんほど不憫な関係ではないわ」
「不憫?」
わたしは自分と九十九の関係を「不憫」だと思ったことはない。
確かに不思議な関係だとは思うけれど、居心地は良いし、わたしはこの距離を気に入っている。
「わたしも十分、楽しんでいるよ」
「高田はそれで良いかもしれないけれど……」
ワカはそう言いながら、九十九を見る。
九十九はいつの間にかわたしから離れた場所で、オーディナーシャさまと会話していた。
「笹さんはどうなんだろうね?」
「さあ? 九十九の気持ちは九十九にしか分からないから」
彼もわたしの傍にいる今の状況を悪くないと考えてくれていると良いなとは思う。
勿論、気持ちなんて強制できるものではない。
それでも、近くにいるなら、やっぱりお互いに居心地が良い方が良いよね?
「笹さんの気持ちを知りたいとは?」
「ぬ?」
思わない。
寧ろ、九十九の本心なんて知りたくない。
また拒絶されたくはないのだ。
「九十九は割と伝えてくれる方だと思うよ」
わたしの前で表情は隠さない。
嘘も言わない。
勿論、彼が全てを見せてくれているとも思わないけれど、今はそれでも良い。
「まあ、普通にしている時は、分かりやすい男ではあるわね。警戒心バリバリ状態になると、見事に隠すようになってくれたけれど」
その辺は、九十九が使い分けているということだろう。
「分からない?」
不意にオーディナーシャさまの声が耳に届いた。
少しだけ声が大きくなった気がするのは、こちらに聞かせようとしているのだろうか?
「全く」
対して、九十九は変わらない。
注意深く聞き耳を立てなければ、聞き逃してしまいそうなほどの声だった。
「あれだけしっかり自分の護衛を安く見るなと言われているのに?」
「あ?」
「最初はケーナが、ツクモの方に言ったと思ったから反応しなかったぐらいなのにね」
何の話をしていたのかと思えば、先ほどの「持ってけ泥棒」の話だったらしい。
わたしが何に引っかかったのか、九十九には本当に分からないようだ。
「気にすることでもないと思うが……」
さらにはそんなことを言うものだから……。
「なんで?」
行儀が悪いことは分かっているが、思わず、二人の会話に割り込んでいた。
「九十九は安くない」
だけど、これだけは主張したい。
わたしが、価値を認めていることを九十九には知っていて欲しいのだ。
だけど、わたしの感情を読める有能な護衛は、こんな時に限って、わたしの心を読み切ってくれない。
だから、こんなことを言うのだ。
「オレの価値はお前が知っていればそれで良い」
いとも簡単に。
何でもないことのように。
「ほげっ!?」
奇妙な言葉を叫ぶわたしは悪くないし。
「うわっ!?」
同じように流れ弾を食らったワカも今回は悪くない。
「ツクモは本当に天然だね~」
そして、口に手を当てて心底楽しそうにオーディナーシャさまは肩を揺らしている。
もっと言ってあげてください。
この護衛は本当に心臓に悪い言葉を、ごく自然に吐き出す。
だけど、そんな爆弾発言をした当人だけが不思議そうに首を傾げているのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




