溢れる想い
胸の鼓動が激しい。
まるで自分を呑み込むかのように。
ずっとずっと、走りたくて走りたくて。
飛び出したくて、飛び出したくて。
この溢れんばかりの熱い想いは、どうやったら伝わるのだろう?
***
恭哉兄ちゃんに連れられて行った「寵児の間」という場所で、わたしは、気が付いたら、「境界」と呼ばれる場所に招待されていた。
そこで、「救いの神子」とも呼ばれる聖女たちの時代を白黒写真のような映像を、次々と見せられたのだ。
そして、意識が戻った後、暫く経ってから、ふつふつと湧き起こる衝動。
これまでにない感覚に、自分の方が戸惑った。
―――― 会いたい
一度、そう思ってしまったら、もう止められなかった。
まるで恋心を抱くかのような高熱にこの身が焼けそうになる。
このままでは焦げる。
いや、燻る?
上手く燃焼せずに、無駄に空回りそうだ。
それだけの熱が、今、身体中を駆け巡っていた。
「それでは、移動しましょうか」
先ほどまで、少し離れた場所で誰かと通信珠でやり取りをしていたっぽい、大神官さまがそう言いながら微笑む。
「ほへ?」
わたしが返事をする間もなく、美貌の大神官さまに抱き込まれる。
そして、移動魔法のような気配がした。
「ここは……?」
抱き込まれているために、周囲は全く見えない。
「『神触の間』ですね」
どうやら、あの神さまたちの姿絵が貼られている部屋に来たらしい。
だが、それを自分の目で確認する間もなく、また移動の気配がする。
「ふおっ?」
そして、恭哉兄ちゃんから解放されると、なんとなく見覚えのある場所にいた。
恐らくは、大聖堂からストレリチア城内の通路に出たのだと思う。
だが、見覚えがあっても、ここがどこかは分からない。
ストレリチア城の通路だということは分かるけれど、似たような扉が並んでいるのだ。
見ただけで場所の特定ができる能力をわたしは持ち合わせてはいなかった。
それでも、分かることはある。
目の前の扉の奥から覚えのある気配がするから。
「近道にも程がある」
思わず、そう口にしていた。
「一刻も早く、お会いしたいのでしょう?」
「うん」
だけど、そのために恭哉兄ちゃんに抱き締められるのはちょっと違う気がする。
移動魔法って、身体に触れているだけで良かったはずだ。
「魔法ではないので、こればかりはご容赦ください」
「ぬう」
恭哉兄ちゃんは、魔法よりも法力の方が得意な人なのだ。
だから、魔法とは違った手段を使うことは仕方ないし、わたしは法力に関しては完全に素人なので、そう言われてしまうと反論はできない。
「誰かが通るような場所ではありませんから」
「そんな問題でもないと思うのだけど」
だけど、わたしが言葉を続けるよりも先に、恭哉兄ちゃんは目の前の扉を三度叩く。
「開いてるわ。入っても大丈夫よ」
その部屋の主が中から入室許可の声を出す。
なんだろう?
ちょっとだけ緊張する。
「失礼します」
わたしの前にいる恭哉兄ちゃんの低い声が耳に届く。
その手によって、部屋の扉が開けられると、中には、二人の女性と青年の姿があった。
ワカとオーディナーシャさま、そして九十九だ。
なんとなく、その三人を見て顔がニヤけてしまった。
―――― 懐かしい
この三人が並んでいたことが、そう多かったわけではない。
でも、この光景は確かに何度か見たことがあるのだ。
それは「もう戻ることのできない得難い宝物のような日々」の一部。
そんなことを考えていると……。
「我が敬愛する王女殿下におかれましては……」
突然、恭哉兄ちゃんが跪いて、ワカに向かってそう切り出した。
「おいこら? なんで、この状況で長くなりそうな挨拶を始めようとするの?」
その状況はワカからすれば、腹立たしいことだろう。
「何も御声がかからなかったからでしょうか? そのために、私は挨拶を求められていると判断しました」
そして、恭哉兄ちゃんも、分かっているはずなのに、そう答える。
まあ、これはあれですね。
好きな子に意地悪したくなる小学生の心理?
いや、そんなタイプの人がいることは知っているが、恭哉兄ちゃんも意外と大人気ない。
でも、余計なことは言うまい。
わたしも、馬に蹴られたくはないので。
この世界の馬は、何度か見たことはあるが、いずれも力強そうだった。
中には、どこかの神話の八本脚の軍馬のような脚が四本以上の魔獣だっているのだ。
そんなのに蹴られたら頑丈な人間でも大怪我をしてしまうだろう。
ふと九十九と目が合った。
なんとなく、笑いかける。
朝、会ったばかりだけど、凄く久しぶりな感じがする。
そして、胸が騒ぎだす。
彼ならわたしの望みを確実に叶えてくれることを知っているからだろう。
そのために、少しだけ、落ち着かなくて、そわそわしてしまう。
遠足前の小学生みたいだ。
わたしも恭哉兄ちゃんのことは言えないらしい。
「特等席、用意してもらえるかしら?」
「それについては、お答えしかねます」
ぬ?
何の話?
恭哉兄ちゃんがこちらを見たことは分かるけれど、二人の間で何の話があった?
「ああ、もう!! まどろっこしいやり取りは止めよう!! 高田!」
「はい?」
突然のワカの叫びに対して、わたしは何とも言えない返答をする。
「高田は笹さんに会いたかったんだよね?」
「へ? あ、うん」
そう言えば、さっき、恭哉兄ちゃんがワカにそう伝えると言っていたね。
だから、ワカと通信珠で会話していた時に伝わったのだろう。
だが、客観的に聞かされるとかなり恥ずかしい。
わたしはなんてことを言ってしまったのか。
だけど、ワカから何故か抱き締められた。
「ワカ?」
「ケーナ?」
わたしだけでなく、オーディナーシャさまの声が重なる。
それだけ突然の行動だったからだろう。
「あ、つい……」
そう言って、ワカはすぐに離れてくれた。
本人も無意識の行動だったようで、少し戸惑っていることが分かる。
「笹さん!!」
ワカが再び叫んだ。
先ほどの行動の照れ隠しなのか、少し耳が赤くなっている。
「なんだよ?」
それに対して、ちょっとばかり不機嫌そうな声で答える九十九。
わたしと目が合った時は、いつもと変わらなかったのに、この反応。
どうやら、ワカに振り回されてお疲れのようだ。
「お待ちかねの高田よ!!」
そう言ってワカは歓迎を示すかのように手を広げた。
「待ってたの?」
「お前は目を離すと何をしでかすか分からんからな」
本当に待っていてくれたみたいだけど、相変わらずの保護者目線である。
「今回は、わたし、何もしてないんだけど」
確かに何かあった。
だけど、恭哉兄ちゃんに誘導されて、「神の影」さまにお会いすることになったのは、わたしのせいじゃないと思う。
「見てよ、奥さん。この二人の甘いこと、甘いこと」
ワカがいつものように、扇子を取り出して仰ぎながら、オーディナーシャさまに同意を求める。
「私にはいつもと大差がないように見えるけどね」
だけど、オーディナーシャさまは困ったように肩を竦めるだけだった。
「甘いわ!! ナーシャ!! コンビニで売っているようなカロリー数値の馬鹿高い菓子パンよりもずっと甘い!!」
そう言いながら、ワカはオーディナーシャさまに持っていた扇子を突きつける。
その芝居がかった動きもどこか懐かしい。
そして、その無茶苦茶な言い回しも実にワカらしい。
人間界にいた頃はよく聞いたものだった。
「私、家の方針で、コンビニの菓子パンを食べたことがなかったかな」
笑いながら、オーディナーシャさまがそう答える。
オーディナーシャさまもワカの言葉に懐かしさを覚えていることがよく分かる。
「このお嬢が!!」
「まさか、本物の王女に『お嬢』と呼ばれる日が来るとは……」
さらにオーディナーシャさまが苦笑した。
確かに、人間界にいた頃のオーディナーシャさまは「お嬢さま」だったと思う。
私立のお嬢さま学校に通っていたぐらいだし。
だけど、世界は違うとはいえ、本物の王女さまから「お嬢」と言われても、確かに困るよね?
「寒い日の中華まん。暑い日のアイス。そんなコンビニの醍醐味を知らないなんて……」
ああ、中華まんは懐かしい。
それとおでん。
コンビニは高いので買ったことはなかったけれど、季節限定商品は見るだけでも楽しかった覚えがある。
「中華まんやアイスは母が作ってくれたからな~」
オーディナーシャさまはそう答えた。
そこにあるのは少しの懐かしさ。
わたしと違って、血縁と完全に離れることを決意した彼女は、どんな気持ちでその言葉を口にしたのだろうか?
その強さはわたしにはないものだ。
「そして、コンビニの菓子パンはどこ行った?」
そして、律儀に突っ込む九十九。
どこにいても変わらない彼の存在は、ある意味、本当にほっとする。
「なんでわざわざクソ高いコンビニの菓子パン、買わなきゃいけないのよ 買うなら、スーパー行くわ」
ワカはそう憎まれ口を叩く。
オーディナーシャさまに少し気まずそうな視線を向けながら。
「いや、先に若宮が言ったんだよな? そして、口が悪い」
「コンビニでアイスは買うのに、菓子パンが高いとか。ケーナの感覚は本当に不思議だね。そして、口が悪い」
九十九とオーディナーシャさまはさらりと、ワカを責める。
「酷い!! 二人して、私をいぢめるわ~」
そう言いながら、ワカがわたしによろよろともたれかかってくるが……。
「でも、さっきのワカは口が悪すぎるよね?」
ここはちゃんと流れに乗る。
少しでも、嫌な気分にならないように。
「この部屋には味方がいない!!」
「姫の口が悪いことが敵を作った原因なので、仕方ありませんね」
さらに恭哉兄ちゃんも涼しい顔でそう言った。
「お前も敵か!?」
流石に、ワカが気の毒になってしまうけれど、オーディナーシャさまが二人を見て普通に笑っているからこれで良いのだろう。
わたしはそう思うことにしたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




