手強いけど分かりやすい
部屋に響く形容しがたい音。
それは、ここに備え付けられている通信珠の音に他ならない。
この部屋は王女殿下の私室の一つと聞いている。
そして、そんな部屋に直接通信できる人間など、限られているだろう。
「あら、帰ってきたっぽい」
その音に動揺することなく、王女殿下は顔を向ける。
「時間切れだね、ケーナ」
「残念。時間内に笹さんを口説き落とせなかったわ」
王子殿下の婚約者殿と王女殿下はそう笑い合った。
どうやら、オレは何かの罠に嵌められるところだったらしい。
「え!?」
だが、王女殿下は部屋に備え付けてある通信珠の傍に行った後、目を見開いた。
何か、驚くようなことを聞いたらしい。
通信珠というカルセオラリアで作られた機械は、外に聞こえるように外部への範囲設定をしていないと、手が触れている人間しか声が届かないようになっている。
だから、基本的には通信相手にしかその声は届かない。
「どうしたの? ケーナ」
王子殿下の婚約者殿も、王女殿下のただならぬ雰囲気に気付き、少し驚いたように問いかける。
「ベオグラ、もう一回言って?」
だが、王女殿下の方は、通信相手の声しか聞こえていないようで、そのまま会話を続けた。
その通信相手は大神官だということは分かった。
だが、王女殿下が一瞬だけ、オレの方を見たのは気のせいか?
「高田が、本当に……?」
さらにそんな言葉を拾ってしまうと、オレの心中も穏やかではいられなくなってしまう。
これも、罠の一つかもしれないなんて考えが吹っ飛んでしまうほどに。
「ちょっと? え? 本気で言ってるの?」
耳をそばだてていると、明らかに動揺の気配が伝わってくる。
「あの高田だよ? なんで、いきなりそんなことになってるの?」
どの高田だよ?
とっとと、オレに教えて欲しいが、王女殿下は外に聞かせる意思はないようで、そのまま大神官と会話を続けている。
「なんであの子は、私の段取りとかお膳立てとかを全部、すっ飛ばす行動に出ようとするのよ~」
こちらの思惑、思い通りにならない女。
それが高田栞だから仕方ない。
どうやら、王女殿下の意図しない方向に突き進んでいるようだ。
「いや、私は良いのよ? どうせなら、特等席で見たい。は? 趣味が悪い? ベオグラほどじゃないわ」
特等席?
本当に何の話だ?
「幸い、身柄を確保しているから何も問題ないわ。あ? ちゃんと、ナーシャもいるっての!!」
ますます分からないが、この場合の「身柄を確保」は、状況からオレのことだろうとは思った。
「どこぞの浮気男と違って、私はちゃんと兄様の許可も……、あ? え? いや、ちょっと待って? 今、そこに高田もいるのよね? ちょっ!? 待って、正気? いや、待って? 本当に止めて、ごめんなさい」
いきなり勢いが削がれ、王女殿下はどんどん俯いていく。
「ああ、大神官猊下が反撃したっぽいね」
「見れば分かる」
顔を真っ赤にして俯くその姿は、いつものように自信に満ち溢れたものではなかった。
何を言われたのかまでは分からないが、あの大神官猊下のことだ。
ここぞとばかりに王女殿下が困るようなことを口にしていただろう。
それも栞の前で。
あの方もいろいろ溜まってそうだからな。
栞がその余波を受けて、顔を赤らめていなければ良いのだが……。
「ああ、うん。案内して大丈夫。こっち? 本当に思い通りになってくれないわ、この馬鹿ップル」
どさくさに紛れて酷いことを言われている気がするが、栞とカップル扱いされるのは悪くない。
「顔」
「おっと……」
王子殿下の婚約者殿に小さな声で指摘されて、自分の顔が緩んでいることに気付かされた。
「ツクモは確かに前より手強くなったけど、ある意味、分かりやすくもなったね」
通信珠でまだ会話中の王女殿下に気付かれないほどの声。
「ほっとけ」
それでも、オレの耳にはしっかりと届く。
「おや、いつものように否定しないの?」
「どうせ、王子殿下の婚約者殿にはバレてんだ。王女殿下にさえ餌を与えなければ良い」
この王子殿下の婚約者殿は、王女殿下との会話中に何度も意味深な視線を寄越しやがった。
顔には出していないタイミングにも関わらず、そんな目を向けられたなら、バレバレだってことは分かる。
「ようやく自覚したんだね。前、見た時は、まだ無意識レベルだったのに」
「おお」
無意識レベルだったのか。
それはそうだ。
オレが意識したのは、「ゆめの郷」に行ってからのことだった。
「それでも、相手に何も言わないのは、さっき言っていた『首輪』のせい?」
「それもある」
オレたちへの縛りは、「護るべき者たちに愛を告げたら自死」というだけの話だ。
言い換えれば、愛を告げずに行動するだけなら恐らく、問題はないだろう。
だが、そんなことはできない。
できるはずがない。
「手を出さないことが傍にいるための条件だ。それを破れば、傍にはいられない」
「相変わらず、真面目だね。愛を告げずに口説く方法なんて、いくらでもあるでしょうに」
「雇用主のことも裏切りたくないんだよ」
まあ、全く手を出していないかと言われたら、そうでもないわけで。
あの「発情期」になる前から、オレは結構、栞に手を出していたこれはような気がしなくもないのだ。
「それに、関係を壊したくない」
結局はそこに行きつく。
「へたれだね」
「知ってる」
この王子殿下の婚約者殿もなかなか辛辣だが、誰もいない時のこの女はそんな感じだ。
普段から、猫を数枚被っている。
勿論、それを栞も王女殿下も知っていて、彼女たちの前だけ脱ぐ種類の猫もあるようだが。
「頭の縛りが二種類。どちらも結構な呪術だね」
「分かるのか?」
「うん。私は本来、そっちが本職だから」
王子殿下の婚約者殿は苦笑しながらもそう言った。
「血と名前による魂の呪縛に似ているけど、私が知るのとは少し違う気がする。でも、剣と魔法が主のこの世界にも、そんなものがあるとは思わなかった」
「これは魔法じゃないのか?」
そのことにちょっと驚く。
「魔法よりも法力……、いや、神通力に近いかな? えっと、こっちの世界に住むツクモにも分かるように言えば、精霊に近しい力だよ」
「あ~、神通力ってことは、悪霊退散とかそんなやつか?」
白いひらひらした紙のついたものを振り回すイメージがある。
もしくはいくつもの金属製の輪が付いた錫杖か?
「ツクモからその手の単語が出てくることに違和感」
「人間界のオカルトには興味がなかったからな~。正直、仏教と神道の違いもよく分かっていないぐらいだ」
さらに言えば、あの世界で小学校、中学校と歴史を学んだ覚えがあるが、日本史、世界史問わず、宗教は戦争を引き起こす厄介なイメージしかない。
「それなら、高……、シオリに聞いてごらん」
「あ?」
「あの子の母親の実家。神社だって聞いたことがあるよ。仏教はともかく、神道の方なら分かるんじゃない?」
「は!?」
ちょっと待て?
栞の母親って、千歳さんだよな?
実家が神社!?
そんなの聞いたことがねえぞ!?
「あれ? 知らなかった?」
「知らん、知らん」
「だから、母親が若い頃に神隠しにあっても納得されたらしいよ?」
「はあっ!?」
おいおいおい?
なんだ、その新情報!?
兄貴は知ってんのか!?
知ってるよな。
オレたちがいない間に、千歳さんの身内と接触していたらしいから。
「何の騒ぎ?」
そして、王女殿下がお戻りになった。
「ツクモがシオリの母親の実家のことを何も知らなかったらしいよ?」
「おや、意外。笹さんって、高田のこと、何でも知ってそうなのに」
「あの世界にいた時はそこまで接触してねえんだよ」
そして、人間界での栞の親族関係をそこまで重視していなかったというのもある。
だが、考えてみれば千歳さんは人間なのだ。
そっちの繋がりを知らなかったのは、オレの不勉強ではあった。
「きゃっ、接触だなんて。笹さん、大胆」
王女殿下は頬を染めて両手を当てて照れたように笑うが……。
「悪いが、今、そっちの冗談には付き合えん」
いろいろ、ショックが大きかった。
「あら、冷たい」
「まあ、知らなかったことは仕方ないよね」
「その辺りは、高田があまり話さないからね~。母方の御実家で、まともに交流があるのは伯父さん一家だけらしいから」
そう言って王女殿下はふふん、と挑発的に笑った。
どうやら、優位に立てて嬉しいらしい。
ガキか?
「それより、大神官猊下は何って言っていたんだ?」
「おや? 知りたい? 知りたいよね~? 知りたいでしょ~?」
「…………別に」
水を得た魚のような王女殿下にこれ以上、餌を与えたくはない。
「高田がね。笹さんにすっごく会いたがっているんだって」
「あ?」
「おや」
王女殿下の言葉に嘘はない。
嘘はないと分かっているが、この表情と先ほどの台詞から、嘘だと言って欲しかった。
「あの子がだよ~? 情熱的じゃない? ここはいっちょ、その熱い思いに応えてあげるべきだよね? 笹さん」
さらにそう続けられたが、オレは素直にそうは思えなかった。
この言葉には裏がある。
オレは数々の経験からそれを知っていたのだった。
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