人間界の呼称
「さて、準備も整ったようだし、『第108回聖女の卵奪還計画』について話し合いましょうか」
王女殿下は机に両肘を立てて寄りかかり、両手を顔の前で組んでその口元を隠すような姿勢となっているが……。
「煩悩の数だな」
オレはまずそこに突っ込んだ。
「ケーナ。机に両肘をつくなんて、行儀が悪すぎる。少なくとも、女性が人前でとって良い姿勢ではないと私は思うよ」
そして、王子時殿下の婚約者殿はその姿勢に対して突っ込みを入れる。
「頼むから、キミたち。もっと、他のことに突っ込んで? このポーズとかちょっとばかり懐かしくない?」
「「それが分かっているからあえて無視した」」
王女殿下の言葉に対して、オレと王子殿下の婚約者殿は声を揃えて答える。
「仲良しさんか!? しかもまさかの長文。これが噂の同調100%状態!?」
「いや、本当に何がしたいんだ?」
そこが分からないことには、オレも動きようがない。
「まず、このポーズに突っ込んで欲しかったんだけど」
「オレ、あのアニメを観てねえんだよ」
「私はアニメ自体、ほとんど観てなかったかな」
王女殿下のポーズは、日本で有名なアニメに出てくる登場人物がよくやっていた姿勢だということは分かっていた。
そのアニメに詳しくなくても、それだけそのポーズは有名だったってことだろう。
だが、そんな分かりやすい誘いに乗ってやるほど寛大な心など、オレは持ち合わせていない。
「くっ!! ここに高田がいれば……、あの子も、笹さんと同じ煩悩の数の方に気を取られそう」
「まあ、突っ込みやすい数字だからな」
栞と同じという部分に少しニヤけかけたが、留まる。
ここで、この女どもに餌を与える気などない。
「それで、『第108回聖女の卵奪還計画』だっけ? それだけの回数、計画を立てても奪還できていない時点で諦めた方が良いんじゃない?」
まあ、本当に108回も企てて、その全てが失敗しているならそろそろ諦めろって話だよな?
いや、普通なら三桁になる前に相手が悪いと察するだろう。
「うわあ、他者の口から改めて聞くと頭悪そうなネーミングだわ~」
王女殿下は頬に手を当てて溜息を吐いた。
「ケーナが考えた計画名だよね?」
「あ~、雰囲気? いや、ノリと勢いで言ったから。これなら、『聖女の卵救出大作戦!!』の方がマシだったか」
「いや、寧ろ、悪化したよ」
「マジか」
先に聞いた計画名もどうかというような名称だったから、オレとしては似たようなものだと思うが、王子殿下の婚約者殿は後者の方が酷いと判断したらしい。
「どうでも良いけど、本題に入れ」
そう言いながら、温めた菓子を王女殿下と王子殿下の婚約者殿の前に出す。
「え~? 笹さん、ノリが悪~い……って、何、これ!? 久しぶり~!!」
オレが差し出した菓子に対して、驚愕の声を上げる王女殿下。
「フォンダン・オ・ショコラ……に見えるね。いや、柔らかそうだから、モワルー・オ・ショコラの方?」
そして、さり気なく正式名称を口にしながら、興味深そうに目の前の菓子を眺める王子殿下の婚約者殿。
「ショコラを一切、使っていないから、フォンダンショコラもどきだぞ」
「「これ、チョコじゃないの!?」」
二人して、その部分に反応した。
まあ、チョコケーキにしか見えないからな。
だが、この世界にチョコレートの元となるカカオと呼ばれる植物がない。
だから、似たようなものを作るしかないのだ。
「フレイミアム大陸でしか取れない『強固な豆』を使ったものだな。カカオの種子を発酵させたり、焙煎したものではないからチョコレートとは言えん」
「ちょっと待って! 話は食ってから!! いただきます!!」
「いただきます」
王女殿下は焦ったように音を立てて合掌し、王子殿下の婚約者殿は静かに手を合わせて、目の前にあったフォンダンショコラもどきを口にする。
「あれ? 前、食べたのと味が少し違うような?」
王女殿下は首を傾げた。
確かに、最初にこの城で「発情期」になった頃に、この王女殿下に似たような菓子を食わせたことがあった。
その時の味をまだ覚えていたらしい。
「よく分かったな。あれからちょっと改良した」
より栞好みの味になるように。
「改良までできるのか」
「大したもんだね」
呆れたように言う王女殿下と、感心したように言う王子殿下の婚約者殿。
「でも、ここまで似ているなら素直にフォンダンショコラで良くない? 『もどき』なんか付けなくても、立派にフォンダンショコラしてるよ」
さらにそう言ってくれるが、残念ながら、その菓子の名称は「フォンダンショコラもどき」らしい。
栞がそう識別してしまった。
だから、もう変える気もない。
「チョコレートを全く使っていないのに、『フォンダン・オ・ショコラ』って時点で、意味が違うだろうが」
「相変わらず、その辺りは、あったま、固い男ね~」
ほっとけ。
自分で考え出したわけでもないモノに対して、自分の手柄のようにしたくないだけだ。
「まあ、人間界の呼称をそのまま使いたくないっていう気持ちは分からなくもないかな。名称、語源には、ちゃんとその時代、その国、その人々の思いが込められているわけだしね」
「それなら、笹さんが名付ければ良い。『アムー・ドゥ・ショコラ』なんてどうよ?」
「ただのチョコ好きになってるじゃねえか」
その言葉を直訳すれば、「チョコレートへの愛」だ。
そして、別にオレはそこまでチョコレートに愛を込めているわけではない。
「ああ、笹さんは『アムー・ドゥ・シニエ』だったっけ?」
「あ?」
ニヤニヤしながら、王女殿下はそう言った。
この女どもは、時々、自動翻訳をさせないことがある。
オレたちのように意識的に脳内で切り替えを行っているかは分からないが、時々、グランフィルト大陸言語の綺麗な発音しか聞こえないことがあるのだ。
自分が頻繁に使う単語や熟語なら、ある程度は頭に叩き込んでいる。
それだけ、オレたちはこの国に滞在することが多いのだ。
あの「迷いの森」で、自動翻訳は脳内で話し手、聞き手の言葉が意図的に切り替えられると知ってから、できる限り、意識して相手の言語の発音を聞くようにして訓練をしているのだ。
だが、それでも先ほどの単語の意味が分からなかった。
「シニエ」ってなんだ?
あまり聞き覚えがない単語だと思う。
普段、使わない言葉か?
オレがそう首を傾げていると……。
「ツクモ。『シニエ』は、英語なら、『ブックマーク』って意味だよ」
「あ、ナーシャ!!」
それを見かねた王子殿下の婚約者殿が、助け舟を出してくれた。
そして、オレは理解する。
先ほどの単語の意味と、この王女殿下の品のない笑いの意味を。
「ブックマーク」……、本の印。
転じて、本に挟む「栞」を意味する。
そう、栞だ。
「阿呆かああああああっ!!」
「失敬な」
「どさくさに紛れて人を嵌めようとすんな」
「知ったかぶりしない限りは嵌らないと思うけど。笹さんのことだから、分からなければ素直に分からないから教えろって言うだろうし」
この時点で、この女も意図的に相手の自動翻訳を無視できることが分かった。
だが、こんな情報を得てどうしろと言うんだ?
オレが一方的に腹を立てるだけじゃねえか。
「しかし、まさか、そんなにムキになるとも思わなかったわ。成長ね、笹さん」
「オレはもう帰って良いよな?」
これなら、部屋で報告書や記録を纏めていた方が、有意義な時間の使い方だと判断する。
「ここからが本題なのに、良いはずがないでしょう? このままじゃ、私たちが文字通り美味しい思いをしただけになっちゃうじゃない」
「それなら、とっとと、本題に入れ」
オレがイライラするだけだ。
尤も、そんな苛立ちも、栞が戻れば吹っ飛んでしまうのだろうけど。
つくづく、オレは単純な男である。
「どうせ、高田が戻るまでは暇でしょう? 付き合ってよ、笹さん」
「暇つぶしに付き合えってか?」
「いや、割と真面目な相談よ?」
そう言って、王女殿下は背筋を伸ばす。
「さっきも言ったけど、ベオグラの気配が大聖堂から消えたの」
「さっきも答えたが、『聖女の卵』と仲良く出かけただけだ。行き先までは知らん」
「笹さんはそう言うけど、それはおかしいのよ」
「あ?」
オレは王女殿下を見る。
その表情からどうやら、ふざけているわけではないようだ。
オレも居住まいを正す。
「大聖堂のど真ん中で、『聖運門』も使わずに、完全にこの国から大神官が気配を消すなんて、ありえないの」
王女殿下は、そう言い切ったのだった。
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