護衛の能力
「見事に黒い」
「黒いな」
先ほど部屋に白い箱が届けられた。
そして、九十九の手によってその箱から取り出した服を見て、わたしと彼は開口一番にそう口にする。
それだけ、見事なまでに黒い服があった。
同時に、それはこの国で一番、よく着られている服の色でもある。
「いや、黒いけど、よく見ると袖と裾には銀糸の刺繍が凄く細かいものが入ってるよ」
一番上に着る神御衣を確認すると、薄手の生地にびっしりと細かい縫い目が刻まれている。
「なんだ? この文字」
「文字なの?」
わたしには模様にしか見えないが、九十九は文字だと判断したらしい。
「多少、崩しているが、これは文字だと思う。だが、文法的にはフレイミアム大陸言語に似ているのに、少し、何かが違う」
「ぬう?」
そう言われてよく見ると、三角や四角、半円のような形の組み合わせでアルファベットに見えなくもない。
ポップなデザインフォントのような、クッキーでアルファベットの形を模したような、そんな文字だ。
それを意識すると、妙に「A」の形や、「O」と「U」の上にローマ字の長音記号に似た付属品が付いているように見える。
フレイミアム大陸言語なら、「N」に何か付いているはずだ。
それを思うと、文字表記としてはスカルウォーク大陸言語に似ている気がするけど、文法が違う。
この国……、グランフィルト大陸言語は、一部の文字に、いろいろな記号が付くから、文字表記自体が違う。
わたしも九十九も知らない言語?
いや、単純に意味のない言葉の羅列、デザインかもしれない。
因みにそれ以外の、「神帯」や、「神表衣」、「神袿」にはそんな文字はなかった。
因みに、残りの「神衣」、「神足絆」は、自分が持っている物を使い回すことになっている。
洗浄の処置はしていても、知らない人が身に着けた肌着を着たり、ストッキングを穿いたりするのは、流石に抵抗があるのはわたしだけではないと思う。
「黒い服に銀の糸の文字……、か」
「こんな真っ黒な服は初めてだな~」
わたしが神女ならば、始めに着る服はこんな感じだっただろう。
見習神女は、皆、黒い服にポニーテールだ。
そして、正神女になったら、もう少し質の良い生地の真っ黒な服で主神の瞳の色をその服に入れることが許される。
例えば、導きの女神ディアグツォープさまを主神としたなら、彼女の瞳の色である橙色を入れることが許されるということだ。
まあ、つまりほとんどが、いつもの七色になってしまうわけである。
一般的な名神、動神と呼ばれる神さまは、七神の大陸神に繋がっている。
そのために、いつもの「赤」「橙」「黄」「緑」「青」「藍」「紫」のいずれかになるのは仕方のない話なのだ。
「改めて見ると、黒一色の服って、人間界の喪服みたいだよね」
辛うじて銀色の刺繍が入っているけれど、ここまで細かいと、遠くからでは見えない文字だろう。
「お前、もっと別の感想はないのか?」
「えっと……、黒い髪、黒い瞳だと、黒尽くしになるね?」
「ああ、うん。もう分かった」
わたしがなんとか捻り出した感想で、何かを分かられたらしい。
「濃藍の髪に、翡翠より緑が深いから、翠玉の瞳。そして、この黒い衣装なら……」
九十九は何か言いながら、次々に化粧道具を取り出していく。
「オレはこちらで選んでいるから、そっちで着替えろ」
そして、わたしに完全に背を向けた。
「らじゃ~」
ここで九十九が後ろを振り返るなんて、微塵も考えない。
これまでに何度も背を向けた彼の傍で着替えをしているのだ。
つまり、本当に女扱いされていないわけですよね?
いや、勿論、覗かれたいわけでもない。
どんなヘンタイだ?
だけど、最初は焦ったり、怒ったりしていたはずの彼のこの落ち着きように、いろいろ思うところはあるのは何故だろう?
「オレが寝た分、時間に余裕がねえんだから、さっさと着替えろ」
「はい!!」
背を向けたまま、不機嫌そうな声でそう言われたら、素直に従うしかない。
そもそも、九十九が寝たのだって、わたしが強制した結果だ。
それならば、今度はわたしが彼の言葉通りに動くのは当然だよね?
「うんしょっと」
神子装束は、神衣、神足絆、神袿、神表衣、神御衣の順で着付けた後、最後に神帯を留めて完了となる。
始めは本当に大変だったけれど、慣れたら一人でも問題はない。
日本の浴衣を一人で着付けるよりも楽なのだ。
その違いはやっぱり帯だろう。
前で結び、形を作ってから後ろにぐるんと回すという点では同じだが、その形は神御衣が崩れないように留めていれば良い! なのだ。
そして、ぶきっちょさん用に始めから形が作られている飾り帯もちゃんとある。
この世界は、わたしにも優しい。
「良し! 変身完了」
時間にして、六分刻。
和服に似た衣装にしては、早いと思いませんか?
「おいこら」
「ぬ?」
「せっかくの正装なんだから、もっとちゃんと着ろ」
振り返った九十九から神帯を直されました。
後ろに回した時のよれっと感が彼には駄目だったようです。
少し、神帯が緩んだかと思うと、そのまま、もう一度締められる。
そして、なにやらゴソゴソと背後で動く気配。
もしかしなくても、この護衛、着物とかの着付けもできちゃうんですかね?
あれ?
でも、雄也さんは着付けをお願いしていたとか昔、聞いたような覚えがある気が?
「軟らかい帯だから、兵児帯の結び方が良いか」
九十九はそう呟くが、その「兵児帯」って……、なんざんしょ?
よく考えれば、こうやって九十九の前でこんな風に、神子装束を着替えるのってあまりない気がする。
いや、神子装束姿で会ったことはあるのだが、「聖女の卵」用の化粧を先にしてもらって送り出されてから、お着替えを手伝ってくれる神女さんたちに着付けてもらうことがほとんどだった。
強いて言えば、カルセオラリア城でライトの来訪を予測した時ぐらいだろうか?
だが、あの時は、状況的にもこんな風に神帯の状態まで気にする余裕はなかった気がする。
雄也さんの前では、神子装束はないが、神装なら例の儀式の時に自分で着付けた姿で会っている。
今回は、わたしが肖像画家さんに描いてもらうと決まったのが急だったから、お手伝いできそうな神女がいないということらしい。
神女たちの仕事は「聖女の卵」の手伝いではない。
本来の神務が優先されるのは当然だ。
これが、聖女認定を受けた「聖女」ならば、その扱いは。「神子」となり。最優先事項になるらしい。
だが、わたしは、大神官よりも上の扱いは嫌だ。
「良し! できたぞ」
背後から満足そうな声。
出来が良かったらしい。
わたしの護衛は本当に有能すぎて困るが、同時に、なんでそんな技能まで身に着けていたのだろうか?
本当に彼ら兄弟は謎過ぎる。
「よく見えないんだけど」
なんか、背中で黒い神帯がひらひらしているのは分かる。
「あ~、鏡で見ても黒一色だから分かりにくいかもな」
「うぬう」
せっかくの九十九の会心の作を、自分の目で見ることができないとは……、残念!!
「でも、可愛いぞ」
ふごっ!?
この護衛は最近、「可愛い」って単語がお気に入り過ぎじゃないですかね?
「思ったより、時間を食ったな。とっととやるぞ」
「お願いします」
それでも、半刻とかかっていない。
だから、九十九なら余裕だろう。
「…………」
だが、正面に来た九十九が、何故か固まった。
「悪い。お前は自分で合わせを直せるか?」
「合わせ……?」
そう言われて、自分の襟元を見る。
さて、着物の合わせとは、身頃を重ねることである。
それぐらいは知っている。
そして、先ほど、瞬間的に神帯を緩めたために、神御衣のその部分が少しだけ変に膨らみ、その中に着ている神表衣もやや乱れて着崩れと言えなくもない状態になっていた。
因みにその下の神袿は和服と違って、合わせの形ではないためにちょっと暴れたぐらいで乱れることは全くない。
「うん、直せるよ」
こんな服を何度も着ていれば、これ以上の着崩れだって起きることは珍しくない。
特に、「神舞」だってするのだ。
自分で直せないといろいろ困る。
少しでも崩れると、「直すので別室へご案内しましょう」と、分かりやすく下心が見える神官たちから声がかかるから。
冗談でも言われたい言葉ではない。
いや、その頃はこんな幼児体型に物好きな冗談を言うなと思っていたのだが、いろいろなことを知った今では、隙あらば、と本気で考えている神官は少なくなかったんだなと思う。
「だから、少し後ろ向いてくれる?」
「ああ」
流石に下着が見えなくても、着物で言う「身八つ口」……、神御衣の脇口に手を突っ込んで、襟を引っ張るような行為はいろいろ見せたくない。
なんとなく、あれは恥ずかしいから。
ワカから着崩れの直し方を教えてもらっている時に見たものの印象が強すぎるのだ。
いや、わたしにはそれによって強調されるようなご立派な胸はないのだけど、それでも、あまり見て欲しいものではない。
「これで、どう?」
着崩れを直した後、背を向けた九十九に声をかける。
「おお、大丈夫だ」
振り向いた彼は、わたしの姿を見て嬉しそうに笑った。
「じゃあ、今度はオレの手で綺麗にしてやる」
そして、さらに続けられたこの護衛の言葉に、わたしはいつものように、頭を抱えたくなるのだった。
作中の「兵児帯」とは、柔らかい帯のことです。
昔は男性用だったらしいのですが、子供の浴衣などに使われ、現在では大人の女性でも使われるようになりました。
浴衣の着付け、帯を結ぶぐらいはできる護衛兄弟。
但し、正装である羽織袴、振袖とかになると、流石にプロを頼りたくなる模様。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




