唆されて
―――― 栞が借りた部屋に、侵入者があった。
そんな理由から、オレは大神官の元を訪ねることにした。
ほんの数時間前にも会話した相手と、再び面談に臨む形であるが、問題は、今の時間が、夜中や深夜というよりも、未明と呼ばれる時間帯の方が近いことだろうか。
まだ明け方にはちょっとあるような中途半端な時間だ。
事前に約束があったとしても、そんな時間帯の訪問者なら、お断りの時間帯だとはオレも思っている。
だが、今回は人目に付かない方が、互いに都合が良い。
それに、早く処理をした方がすっきりするだろう。
それでも、こんな時間帯に事前の面会予約も、訪問するという先触れすらなしというかなり無礼な行い。
普通なら、会うことはできないだろう。
だが、オレは会える気がしていた。
大神官の私室ではなく、少し前に会話した部屋でもなく、大神官が立つに相応しいあの場所で。
「お待ちしておりました」
大聖堂の扉を開けると同時に、その声が響く。
身廊の奥、内陣と呼ばれる祭壇がある場所にて、白い祭服に身を包んだ大神官が立っていた。
その言葉から、オレを待っていたこともよく分かる。
だから、オレは……。
「大神官猊下への供物です」
身廊を歩き、そう言いながら、担いでいた頭陀袋を放り投げた。
「これはご丁寧にありがとうございます」
自分の傍に転がされた大きな袋を一瞥し、その中身の確認もせず頭を下げられた。
先ほどの言葉や、その様子から、この状況も予想されていたことはよく分かる。
いや、この時間帯にこの場所にいる時点で察してはいるのだろう。
「不敬ながら、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、構いません」
「大神官猊下は我が主人に何が起こるかを予想していましたか?」
「いいえ」
意外にも大神官はきっぱりと否定した。
しかも、その言葉に嘘がない。
「私はただ、先ほどあの部屋で何が起きたかを存じているだけです」
それはあの部屋を覗いていたということに他ならない。
それはそれでどうなのか?
まあ、そんな気はしていたから驚くほどのことでもないが。
「まさか、お二人が部屋を入れ替えるとは思いませんでした」
……なんだと?
流石にこの発言は、自分の思考を一瞬だけ停止させるには十分であった。
「あの方の護りに特化させたことが徒となったようです」
さらに続いたこの台詞は、間違いなく、オレたちが勝手に部屋を取り替えたことが問題だったと言われている。
栞の不安を取り除くためにオレから提案したことだったが、確かに家主の許可は得なかった。
「これは私の説明不足ですね。あの部屋であの方が寝台で落ち着かれると、特殊な結界が発動するようになっていました。但し、かなり特別なものだったので、あの方以外では起動しないようになっていたのです」
特定個人の行動によって、起動する結界だと!?
その発想が既におかしい。
……違う。
それは事前に説明していて欲しかった。
せめて、彼女の護衛であるオレだけに伝えることはできなかったのだろうか。
いや、オレだから伝えなかったのかもしれない。
これが、同性である水尾さんや若宮だったなら、大神官は伝えていただろう。
栞の安全のために、必ず、彼女を指定された部屋の寝台で休むように仕向けろと要請すらしたと思う。
だが、オレや兄貴なら、ああ、オレでも伝えない。
その結界がどういう種類のものだったかは分からないが、恐らくは、眠っている栞に近付こうとする不埒者を罰する方向性のものだったと思う。
「どのような結界だったかを伺ってもよろしいでしょうか?」
「はい。あの部屋の寝台に特定個人の方が一人でお休みになると、部屋の入り口に強制移動の法力円が現れるようになっておりました」
これについては、栞から聞いたことがある。
この大聖堂の現在の管理者は、許可なく勝手に大聖堂の部屋を使用しようとする形跡があれば、即、「裁きの間」という特別で素敵なお部屋にご招待されるように手を打っている、と。
その「裁きの間」とは、兄貴が言うには、神官たち限定の懲罰部屋で、その審判は神に委ねられるらしい。
具体的にはどんな神罰が下るかは分からないが、大神官自らが使う程度には、きつい仕置が待っているのだろう。
そして、その強制移動の法力円とやらは、常時発動しているわけでもないらしい。
それだけでもホッとした。
法力の方は分からないが、魔法の場合、対象の意思を無視した強制移動は、実は、かなり難しいのだ。
その法力円というのはよく分からないが、結界の一種か、魔法陣……、魔法円と呼ばれているものみたいなやつだと思う。
自分の知識のなさが恨めしい。
栞ならば、知っているだろうか?
「それ以外にもいろいろな仕掛けがあったのですが、今回、動いたのは一番、優しいものですね。『麻痺』、『脱力』、『魔法封印』、一時的な『記憶混濁』と長期的な『法力封印』の措置をした布地に軽く触れただけに留まりましたか」
大神官は自分の足元に転がされている頭陀袋を見やり、困ったように首を傾げた。
この方が言っているのは、オレが被っていたタオルケットに施されていたものだと推測される。
その全ては看破できなかったことも悔しいが、本来、オレが想像していたよりもえげつない仕掛けだったようだ。
それも、その仕掛けが「一番、優しい」とか、本当ならあの部屋で栞が寝るだけで、どれだけのものが仕掛け……、罠が発動する予定だったのか?
考えるだけで恐ろしい。
この大神官は、どこか兄貴と似たところがあるから、追い込み漁のように逃げ場をなくしていくのだろうな。
そして、本来、栞が寝ている予定の部屋だったのだ。
それならば、罠に嵌りまくった侵入者の叫び声で起き……ないようにするための、「鎮静効果」のある寝台ってことか。
まあ、栞は一度、寝たら余程のことがない限り起きることはないのだが。
頭陀袋はオレが背負っている時から、既に動いていない。
言っておくが、殺ったわけではないからな。
「その中身は、女ですよ」
「そうでしょうね」
オレは侵入してくるなら、男だと思っていた。
室内でそのまま悪さをするのは間違いなく男だろうし、部屋から連れ出すにしても、力を持っている男の方が都合も良いだろうから。
だが、大神官は部屋に侵入するであろう相手の性別まで読んでいたらしい。
「大聖堂の結界は害意に反応するものがほとんどです。命令されて已む無くという体をとれば、それらが反応することはないでしょう。それ以外の対策については、女性が対象ならば、男性の対策をとると考えるのは自然なことです」
実際、オレもそちらを警戒していた。
いや、女だろうが、栞に対して何かをする気だと分かった時点で、容赦をする気もない。
「下神女が、正神官以上に唆されてこのような行いに出ることは珍しくありません。それらは、高神官以上が大聖堂から離れている時に行われていたようですが、この中身やその命令者は、既に時代が変わっていることも見抜けなかったようですね」
それは、自分の代になってからは、見逃さないということだろう。
「先の事件でかなり粛清したのですが、やはり、撲滅となると、なかなか難しいみたいです。貴方にも、ご主人にも不快な思いを抱かせて、申し訳ございません」
さり気なく物騒な単語を散りばめながら、大神官は深々と頭を下げた。
本来、オレのような一般人にここまで礼を尽くす必要はない。
それでも、この方は頭を下げる。
オレではなく、「聖女の卵」のために。
「いえ、こちらも気にしていないので、大丈夫です」
栞はまだ夢の中だ。
離れても、落ち着いて眠っているのは分かるし、寝返りを打っている程度の動きしかない。
そして、オレが言った通り、通信珠と魔力珠のヘアカフスを何らかの形で身に着けているようだ。
だから、知らない。
自分が休むために与えられた部屋に侵入者があったことも、オレが動く必要がほとんどなかったことも。
侵入者は、大神官が施していた仕掛けの一つで、ほぼ動けなくなった。
食らった直後は違和感だけようで、オレが見た時は、まだ、よろよろとしていたものの、動いてはいたのだ。
だが、じわじわと侵食するようにその全身に効果を発揮していったようで、最初は布を掴んだ右の手のひらからだった。
そして、腕を伝って、血が巡るかのように全身を侵していく気配。
それは、暗闇の中でも分かりやすい身体の動きや反応、意識混濁による思考の緩慢が見て取れた。
もしかしたら、この侵入者は、最後まで自分の身に何が起きたか分からないままだったかもしれない。
その方が幸せか。
最終的にどんな神判が下されるか分からんが、少なくともこの大聖堂において、「聖女の卵」に手を出そうとしたんだ。
どんなヤツに唆されたかは知らんが、碌な最期ではないだろう。
オレとしては、その芋の蔓を引っ張ってやりたい所なんだが、この場所に置いて、そんな権限はない。
引っかかるものは多々あるが、栞の平穏のために呑み込んでおこうか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




