深く考えずに
「そう言えば、九十九はどこで寝る予定?」
栞は暫く腕を組んで考え込んだ後、話題転換を選んだらしい。
「この隣室」
今、いるのは「迷える子羊」の客室。
その介助担当の神官、神女でもない未婚の男女が、こうして二人きりでいることも良くはないのだが、もともと「迷える子羊」は秘匿性などの観点から、大聖堂の奥まった場所にあり、人通りも少なく、監視の目は緩い……、と表向きには謳われている。
裏?
あの大神官が、そんな甘いはずがない。
昔ならともかく、今の「迷える子羊」たちが来る部屋のほとんどは、かなりの措置が施されている。
旧来の考えのままであった神官たちは、この三年間でかなり一掃されたらしい。
この「迷える子羊」の部屋で、弱った人間に付け込んで、馬鹿をやらかそうとしたヤツらも、ことごとく処罰の部屋へと放り込まれている。
そして、今、オレがこの部屋で栞と一緒にいることを許されているのも、見逃されているだけだ。
「今日は、一緒の部屋って無理?」
その衝撃的な問いかけに対して、様々な言葉や思念がオレの脳裏に猛スピードで走り去ったことだけはよく分かった。
「疲れているのか?」
そうして、なんとか絞り出した言葉。
頼むから、それだけであって欲しいと願いながら。
栞とオレは同じ風属性の魔力が主で、さらに乳兄妹であるためか、魔力に影響を与える感応症がお互い良い方向に働きやすい。
だから、単純な魔法力の回復だけでなく、精神的な疲労の快癒、体力の回復、治癒効果の上昇など、人間界の通信販売番組で喧伝されるような驚きの効果が付随する。
その効果を同室の理由とするなら良いのだ。
その願いに応えられなくても、その理由としては納得もできるから。
だが、それ以上の理由があった時は……?
「それもあるのだけど、ちょっと……」
オレの問いかけに栞が言い淀んだ。
彼女自身、整理できていないことなのか、その表情と仕草、気配から伝わってくる感情は実に複雑だった。
そして、それを見て、オレの心も決まる。
「流石に、この大聖堂でそれはできん」
様々な上昇効果は、こうして同じ部屋で過ごしているだけでも十分に発揮されている。
今は差し当たって対処しなければならないような危機もないため、そこまで急いで回復させる必要性もないだろう。
まあ、昼間、大神官とどんな話をしたのかは大まかな話は聞いていたし、その時に渡された紙の補足によってある程度は把握できている。
それは例によって箇条書きされていたが、意外と情報を引き出していたことに驚いた。
オレ自身も、かなり大神官よりいろいろな御言葉を頂戴したための疲労は感じているものの、それらのほとんどは想定内のものだったためにそこまで大きな影響はない。
「無理なら仕方ないか」
栞は、残念そうに笑いながら、拳を握って、その手を自分の胸元に寄せる。
その位置にあるのは、通信珠。
恐らくは、無意識だったのだろうけど、それは、栞からの目に見えない呼びかけのような気がした。
「何か、あったのか?」
「いや、何かあったわけじゃないんだけど、なんか、妙に引っかかるような?」
掌で胸や首を擦りながら、栞はそう口にする。
その黒い瞳にあるのは困惑。
漠然とした不安があるものの、自分でもよく分からず、戸惑っていることは分かる。
だけど、その奥にあるのは確かな助けを呼ぶ色。
「それなら……」
こんなことで解決できるようなことかは分からないが、一応、口にしてみる。
流石に同室は見逃されないだろうから、これは妥協案だ。
だが、主人の方から伸ばされた手を振り払うような護衛は、……違う。
好きな女から頼られて、喜ばない男などいるものか!!
オレの提案に、栞は何度か目を瞬かせた後。
「お願いしても良いかな?」
可愛らしく笑いながらそう言った。
「そうと分かったら、そろそろ寝ろ」
王女殿下の部屋で過ごした時間が長かったために、日付こそ替わっていないものの、栞が起きている時間としては、かなり遅いものにはなっている。
「うん。そうする」
嬉しそうに、そう応答する彼女に先ほどまでの不安な様子はなくなっていた。
そうなると、その原因は限られてくる。
そして、オレの提案も的外れなものではないことも。
普通なら、隣室に護衛がいれば、十分であるし、実際、これまではこのストレリチア城や大聖堂で居候している時は、ずっとそうしてきた。
だが、今は、そう思えない何かが栞の中であったということだ。
思い過ごしであれば良い。
何事もなくて良かったと笑うだけだから。
「魔力珠のヘアカフスと通信珠を絶対に離すな」
「らじゃっ!!」
それがあれば、別室でも、なんとか対応はできる。
栞の護りを考えれば、万一、何らかの方法で結界をすり抜けるような襲撃をされても、魔力、法力、神力のいずれも簡単には彼女の身体を害せない。
不安があるとすれば、精神的な部分のみだ。
目の前で残虐、凄惨な行いをされれば、栞の心は簡単に折れてしまうだろう。
それが一番避けたいことだ。
次いで、避けたいのは彼女が引っ攫われることだが、もともと栞の気配を掴むことは得意だし、そこに通信珠と魔力珠があれば、かなりオレの追尾性能が上がる。
「念のため、『神足絆』を穿いとけ」
「らじゃっ!!」
そこでふと気になった。
「そう言えば、『神足絆』の『応報』効果については、結局その詳細を確認しなかったのか?」
栞が大神官より渡されている「神足絆」についていた機能だ。
普通に考えれば、因果応報のように、自分の行いが返ってくることと解釈できるが、そのことについて、箇条書きのメモには触れられていなかった。
どこか不穏な響きがあるために、栞は、真っ先にその効果を細かく確認している気がするのだが……?
「あ~、うん?」
そして、それに対して、複雑な、どうとでも解釈できそうな返答。
「確認したから、わたしはその効果を知ったし、理解はできたと思うけど、大神官さまが言うには、護衛たちにその効果の詳細は告げない方が良いんじゃないかって言っていたんだよね」
「あ?」
それは、オレたちが信用できないって話か?
いや、違うな。
それならば、こんな無防備な状態の栞と二人きりでいること自体を見逃してはいないだろう。
あの大神官が、護衛であっても分かりやすく好意を抱いているような危険な人物を即、排除していないことがその証だと思っている。
この部屋にいながらも、なんとなく首筋にヒリヒリしたものを感じるのだ。
現在も監視中であることは間違いない。
黙認されているだけでも御の字だ。
そうなると、その効果が単純に「神足絆」を損壊した人間を害するものだけのではないということになる。
でも「応報」だよな?
オレはあまり仏教用語とかは詳しくないが、「因果応報」という言葉から、自分の行いがそのまま返ってくるようなイメージがあった。
だから、栞が穿いた「神足絆」を破ろうとすれば、それを行おうとした指が吹っ飛ぶとか、手が裂けて血が噴き出るとか、それぐらいのものはあるだろうと思っていたのだ。
だが、大神官が栞に口止めをする程度の効果?
そして、この様子から、栞の精神に影響があるほどのことではない?
分からん!!
「そんな警告があったけれど、聞きたい?」
栞が上目遣いで確認してくる。
「聞きたいと答えれば、教えてくれるのか?」
「効果の説明をすること自体は問題ないらしいよ。だけど、護衛たちには詳細の説明はしない方が良いって言っていた。わたしとしては、痛々しい話だけど、あなたは痛みに強い人でしょう? だから、大丈夫だと思っている」
痛みを伴う話か。
それぐらいなら大丈夫だとは思う。
栞が耐えられる程度のことのようだし、話すことにも抵抗はないようだ。
だが、わざわざ、大神官が警告したという点が気になる。
栞に教えても支障がなく、オレたちは知らない方が良い?
どう聞いても、オレたちが疑われているとしか思えない。
「どうする? 聞く?」
彼女にそんな意思はないと思う。
だが、上目遣いで尋ねられ、オレは栞からも何かを試されているような気分になった。
そんな気分になってしまったのだ。
「聞く」
そのために、深く考えずにそう頷いてしまった自分をぶん殴りたい。
半刻後の自分は、そう思うのだった。
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