魔界人の眼
セントポーリアの城下町を出てからどれくらい経っただろうか?
何度か日が暮れて夜が更けて、また日が昇る、を何度か繰り返したことは分かっているけど、正確な経過時間は分からない。
時計もカレンダーもない場所で、しっかりと覚えていろというのは、便利な世にすっかり慣れてしまった現代日本人には難しいと思うのですよ?
しかも、わたしたちは、まだ街道から外れた場所を歩いていたから、余計に感覚がおかしくなっているのだと思う。
ここはいつも光が差すところばかりではないのだ。
基本的に森の中というのは、時間の経過が分かりにくい。
水尾先輩のかなり正確な腹時計がなければ、食事の時間もずれていたかもしれない。
「それにしても、本当にまったく兵たちと遭遇しないもんだな。一人ぐらいは出会う気がしていたんだが……」
「できるだけ会わない道を選んでいるので、一人でも遭遇するというのは困るんですが」
水尾先輩の言葉に、九十九が笑いながらそう返す。
ごめん、九十九。
前にも思ったけれど、こんな所は「道」って言わない。
わたしは心の底からそう口にしたかった。
人が通るように整備されていない地面で、草木が生い茂っているような所って「森」って言うと思うのだ。
城下にいた時から思っていたけれど、あなたの「道」の定義って、かなりおかしい。
「人が歩けばそれは道」、「私の前に道はなく、私の後が道となる」って思考は、ちょっと何か違うと思うのだ。
確かに、国語の教科書にありそうで、前向き考え方ではあるのだけど。
……そして、魔界って自然がかなり豊かだよね。
人間界で行った温泉があった山奥ほどではないけれど、この辺りはかなり自然が多い気がする。
それ自体は、良いことなのだろうけど、そこを歩く人のことを考えればもう少し森の中でも整備してほしいと思う。
人間界の山道だってアスファルト舗装してなくても、もう少し歩きやすい所だってある。
いや、わたしにだって分かっているんだよ。
人目につかない場所を選んでいるってことぐらい。
それでも、頭の中でいろいろと愚痴ることぐらい許して欲しいのだ。
今は、息があがっていて、口に出せる状況じゃないから。
でも、何か歩く以外のことを考え続けていないと一気に疲れが出てしまう気がした。
そして、こんな足場だと言うのに、相変わらず、二人の歩みはかなり速い。
わたしは、会話に参加しないまま、なんとか足を前に出す。話をする体力だって今は惜しいのだ。
「ユーチャリスの国境手前で引き返して、何日だ?」
水尾先輩が九十九に尋ねる声がする。
「えっと……、ユーチャリスの国境手前で引き返したのが6日前。セントポーリアの城下を出てからは12日目ですね」
九十九が考えながらもそう答えた。
彼はちゃんと数えていたらしい。
日付感覚が無くなりつつあったけれど、もうそんなに歩いていたのか。
足が棒になるわけだよ。
用意されていた疲労回復の薬草ってやつもほとんど効果がない身としては、本当に辛い。
「……ってことは、そろそろスタート地点に戻るってことか?」
「いえ、ルートがかなり違いますので、もうジギタリスの国境に近いですよ」
「そうか……。思ったより早かったな」
時間がかかっている気がしたけど、これでも早かったのか……。
ああ、でも、海外旅行を考えれば……、確かに早いかもしれない。
「セントポーリアの城下が三国の国境に近い位置にありますからね。予定では明日にはジギタリスとの国境に近いグロッティ村に着く予定ですよ」
「でも、村に立ち寄って大丈夫なのか? 流石に国境近くの村なら、兵とかだっているんじゃねえか?」
「長居しなければ大丈夫でしょう。野宿の環境が整っているので、買い物するだけでも良いと思っています。そろそろ食材も買っておかないといけませんから」
「食材……。なるほど、最重要項目だな」
なんであのペースで進んでいるのに、こんな会話までできるんだろう。
二人はまったく息も切らせてない。
普通の人間は早足で歩きながら会話し続けると息も上がり、多少ペースが落ちると思うのに、魔界人の体力は本当に可笑しいと思う。
だから、わたしは悪くない!
しかし、今にして思えば、水尾先輩がいなければわたしは九十九と二人でここを歩いていたことだろう。
そして、彼は過保護だし、わたしの護衛でもあるが、そう言った方面で気を遣ってくれるような男ではない。
人に出会わないことを良いことに、本気で背負子を使って、背負われていた可能性は高いと思われる。
どこまでも荷物扱い。
せめて、おんぶ紐を用意して欲しい。
「おい、高田。生きてるか?」
わたしの心の声が聞こえてしまったのか、九十九が足を止めて振り返る。
いけない。
完全に思考に気を取られていた。
さっきより歩調が落ちていることがバレたかもしれない。
「い、生きてる。だから、気にせず進んで」
できるだけ短く答える。
だが、九十九は少し遅れ気味のわたしの方へと向かってきた。
「九十九……?」
その表情は少し険しく、わたしは思わずびくりとなる。
「離れるな」
「へ?」
九十九の言葉は普通ならときめく台詞なのだろうけど、そんな心に余裕もないし、何より、彼の口調と表情がちょっと刺々しい。
だから始めは遅れていたわたしを咎めたのかと思った。
でも、ちょっと違うみたいだ。
水尾先輩も黙ったまま、こちらに来る。
その表情は固く、どこか緊張しているように見える。
一体、何があったというのだろう?
「いつの間にか囲まれているな」
「……そうですね。相手はかなり訓練されているみたいだ。実戦慣れしているかもしれませんね」
「ふへ?」
突然、二人の間で交わされる不穏な会話。
それらの言葉から連想されるのは、あまり良いことではない。
「どうやら、転移魔法を使ったな。そうじゃなければ、いきなり包囲するのは無理だ」
「進路だけではなく、退路もしっかり押さえられましたね。簡単に逃してくれる気はないかもしれません」
そう言う九十九と水尾先輩には何かが見えているらしい。
見回してみたけど、わたしにはさっぱり分からない。
目の前には相変わらず森の木々が広がっていて、他の景色と変わらなく見えた。
いつもながら、彼らの感覚は本当に不思議だと思う。
それが魔法によるものなのか、単純に敏感なのかは分からないけど。
九十九たちの言葉をそのまま信じるなら、わたしたちは姿の見えないある程度デキる何者かに周囲を取り囲まれてしまったということだろう。
いや、見えてないのはわたしだけなのだけど。
「ど、どうするの?」
わたしはそう言うしかなかった。
「なんとかするさ。そのためにオレがいるんだからな」
そう答えを返す九十九だったけど、いつもの余裕が無い気がした。
わたしは思わずごくりと言葉を飲み込む。
「相手は分かるか?」
水尾先輩が厳しい顔で九十九に尋ねる。
「恐らくは……。でも、水尾さんの方が分かるでしょう?」
「……まあな。でも、目的までは分からん」
「素直に話し合いに応じてくれると良いですけれど……、この様子では難しいかな。ちょっと戦闘態勢に入られている気がします」
九十九はそう言って、周囲に目をやる。
そして……。
「勝てるかなあ……」
九十九がそうポツリと一言、零したのが聞こえる。
彼は、魔界に来る前から常に言っていたことがあった。
「自分より強い人間など魔界に行けばいっぱいいるはずだ」と。
今、周囲にいる人達がそんな九十九より強い可能性があるってことかもしれない。
気のせいかもしれないけれど、先ほど彼が握りしめた拳は震えていた。
魔法も使えない、相手の姿も見えない今のわたしにでも分かることは、これが「ピンチ」と呼ばれる状態だということだけだったのだ。
この話で第10章は終わります。
次話から第11章「旅は道連れ、世は情け」。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




