自分の意思で
「このド阿呆おおおおおおおおっ!!」
渾身の絶叫が空気を震わせる。
「お前は、何を考えてるんだ? 普通、男を眠らせた上で、その部屋に自ら連れ込むか!?」
うん。
相手の口から聞くと、かなり非常識なことをしたと実感する。
それでも……。
「もとをただせば、ヴァルがわたしを眠らせようとしたことが悪いんじゃないの?」
そこだけはきっちりと主張したい。
まあ、その時は既に、彼は鬘を外して黒髪状態ではあったが、まだ日付は跨いでいない時間帯だった。
だから、「ヴァル」と呼ぶこと自体、問題はないだろう。
「わたしも非常識だったかもしれないけど、背後からわたしを眠らせようとしたあなたも十分、問題行動ではないかな?」
護衛でなければ許されない行動である。
いや、護衛だからこそ許されないと思う。
彼がやったことは、主人の背中を任せられない護衛ってことだもんね。
でも、勿論、そこに害意などなく、寧ろ、わたしを心配した結果なのは重々承知のことなのだけど、九十九が一般論を主張すると言うのなら、こちらだって主張してやる。
「ぐ……」
案の定、真面目な彼は言葉に詰まる。
「わたしがあなたの魔法で寝たらどうする予定だったの?」
「お前の部屋に運ぶ」
即答である。
まあ、当然か。
その点において、わたしは彼を疑わない。
「わたしがやったことも同じだと思うよ?」
魔法で眠らせた後、部屋に運んだだけだ。
それの何が違うというのか?
「その後、一緒に寝る必要はねえ」
おっと、そこに気付いてしまったか。
確かに、彼がわたしを眠らせて部屋に運んだ後、一緒に寝るとは思えない。
「あなたを運んだ後、力尽きて同じ寝台に倒れたとは思わないの?」
それは過去にも何度かあることだった。
だから、今回もそんな言い逃れをさせていただこうと思ったのだが……。
「思わない」
おおう。
これも即答された。
「その状態なら、体勢がおかしい」
「ぬ?」
体勢?
「広いベッドならともかく、シングルだ。普通、オレをその中央に寝かせたら、お前の入る隙間はほとんどねえ。オレに重なるか、ベッドの端からずり落ちるかのどちらかだ」
確かに、わたしは眠っている九十九を寝台の奥、できるだけ壁際に置いた。
そうしなければ、わたしが横に寄り添えなかったのだ。
そして、さり気なく彼の口から出てきた「オレに重なる」って言葉は、ちょっとえっちな響きがする。
いや、実際、添い寝する時に少し、彼の肩に頭を乗せちゃったけど。
「床に寝た後、わたしが寝ぼけて寝台に上がった可能性は?」
「…………」
その可能性は否定できないらしい。
彼はわたしをどういう目で見ているのか?
「オレは多分、その気配で起きる」
気配とな?
「厨房で眠らされて、部屋に運ばれても起きなかった人が?」
それはちょっと無理があるんじゃなかろうか?
「お前はどうやってオレを運んだ?」
「ほぎょ?」
「同じ部屋ならともかく、厨房からこの部屋には扉もあるし、さらに、距離もある。お前の細腕で簡単に寝ている男一人を運び込めるとは思っていない」
「細腕……?」
自分の腕を見る。
二の腕がぷにぷにしているので、自分ではあまり細いとは思っていないのだけど、がっしりしている九十九の腕に比べたら細いかもしれない。
「『重量軽減』と唱えた」
「なるほど」
九十九の言う通り、眠っている彼を普通に運ぶのも大変なことは、以前、思い知った。
だが、あの頃と違って、わたしには一言魔法がある。
九十九の重さを軽くすれば運べると思ったのだ。
「なるほど。浮遊魔法の類ではなかったんだな」
「それを使うという発想がなかったよ」
九十九は浮遊魔法が使えるけど、わたしは今のところ使えない。
確かに彼の身体を浮かせることができたら、もっと楽だったかもしれないね。
「まあ、どちらにしても、その時点でお前が疲労で倒れたとは思えない」
「ほへ?」
「お前はそんなに疲れてないだろう?」
「いやいやいや、一日しっかり遊んだから十分疲れたし、あなたを運んだ時点で、気が抜けて眠くなったのは確かだよ」
だから、癒されたかったのもある。
彼の傍は疲労回復効果が高いのだ。
だが、彼の視線はやや冷ややかである。
まだ疑いは晴れないらしい。
尤も、嘘は吐いていないけれど、本当のことも言っていない。
よく考えれば、確かにわたしのやったことは褒められたことではないのだから。
自分の欲望に忠実になり過ぎたなと今更ながら、反省している。
「疲れたか?」
「うん。体力を使うことが多かったから疲れたとは思う」
午前中、魔法勝負。
そこから城下と往復。
それも、結構な距離があり、道には見えない森の中を突き進むのだ。
さらに戻って、キャッチボールをした後に、魔法を使ったバッティング。
それらは楽しかったし、自分でもはしゃいだ自覚がある。
しかも、その後にあったことを考えれば、疲れないはずがない。
わたしは鍛えまくった護衛青年ほど体力はないのだ。
「そうか……」
だけど、九十九は少し目を伏せた。
「でも、楽しかったよ」
「疲れたのに?」
「心地よい疲れってやつじゃないかな」
それは本当のことだ。
昨日一日、わたしは楽しかったのだ。
普通の女の子として扱われたことも嬉しかったし、幸せだった。
十分、満足だ。
「そうか……」
先ほどと同じ言葉。
でも、今度の「そうか」には少しだけ嬉しそうな響きがあった。
「シアは楽しかったんだな?」
「うん。楽しかったよ」
九十九がそう笑って問いかけてくれたから、わたしも笑顔でそう答えた。
それが、一種の罠だとは気付かずに……。
「それで、お前はオレの布団に潜り込んだんだな?」
「うん!!」
そう力強く返事をして……。
「あれ?」
自分の失言に気付いた。
「その言葉にも、嘘はなし……、か」
さらにそう続く言葉に、わたしの背中にひやりとしたモノが流れ落ちる。
これはマズい。
まさに絶体絶命のピンチってやつだ!!
「なあ、我が主人?」
さらに笑みを深めるわたしの護衛。
既に退路はなかった。
笑顔の九十九は、掛布団を被ったままのわたしをジリジリと追い詰めてくる。
「お前は、自分の意思でオレの寝台で寝ていたってことで良いか?」
「ふぐぐぐ……」
わたしはさらに迫ってくる護衛によって壁際に追い込まれてしまった。
彼の両腕が、さらに逃げられないように、壁に当てられて、わたしを囲む。
「なあ? シア?」
黒髪でその名前を呼ばれる違和感。
でも、その声に少しだけ、昨日まであった甘さと熱が込められている。
わたしは布団をぎゅっと握りしめた。
さらなる圧力がわたしに迫って……。
「このド阿呆おおおおおおおおっ!!」
再度、叫ばれた。
至近距離でのこの声はいろいろ辛い。
でも、仕方ない。
「もっと、考えろ!! お前が疲れて体力を回復したかったっていうのは分かったがやり方が悪すぎる!!」
「御尤もです」
確かにそこは反省すべき点である。
「でも、同意はしなかったでしょう?」
あの時点では「一日限定恋人」ではあったのだが、それでも、九十九がそれを受け入れてくれたとも思えない。
加えて、体力よりも回復したかったのは精神的な部分ではあったのだけど、それを言っても大差はないと思う。
駄目なモノは絶対にダメ。
特に男女の線引きについては譲らない。
それが、わたしの護衛である。
「当たり前だ。オレでも呑めることと呑めないことはある」
そして、添い寝は彼にとって呑めないことらしい。
上位者からの命令でもない限り、九十九は従わないってことだろう。
でも、それはちょっと違うし、何より、わたしが「命令」したら、洒落にならない。
「そんなに嫌がらなくても……」
そこまで嫌がられたら、いろいろと複雑な気持ちになってしまう。
「嫌、良いの問題じゃなくて、もっと別次元の話だ」
「別次元?」
はて?
でも、そこで嫌じゃないなら「良い」とならないのは九十九らしい気がする。
「とりあえず、お前は部屋に戻れ」
「分かった」
そこでふと気付いて……。
「この布団、ちょっとだけ借りても良い?」
そう確認した。
せっかく、今の薄着状態を覆い隠してくれているのに、これから出ては意味がない。
九十九はそんなわたしの問いかけに、どこか納得できないような顔をしながらも……。
「勝手にしろ」
そう言ってくれたのだった。
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