反省してください
「あと、二刻ほどで今日が終わるな」
シアが入浴している間に、オレはさっさと自分の部屋に戻ることにした。
もし、入浴後に彼女が厨房に戻ってきても、そこにオレがいなければ、素直に部屋に戻るだろう。
オレはそう思っていた。
だが、甘かったのだ。
―――――― ココンコン
少し焦りが入ったようなノック。
ノックの主は分かっている。
だが……。
「たのも~~~~~~っ!!」
オレが返答するよりも前に、すぐ、部屋の扉が開く気配と声。
鍵など当然かけていないのだから、あっさり開け放たれる。
「せめて、オレの返事を待て~~~~~~~~っ!!」
しかも、どこかの王女殿下のようなことを言ってんじゃねえ!!
扉を開けたのは、可愛らしい服を着た黒髪のシアだった。
風呂上がりだから、濃藍のウィッグを外しているらしい。
それにしても、このコンテナハウスの中でそんなひらひらした服って、かなり珍しくないか?
しかも生足!!
いやいやいや!
それどころじゃねえ!!
寧ろ、変に意識しては危険だ!!
「シア! お前……」
不用心にも男の私室にそんな無防備な姿のまま、自ら乗り込んでくる彼女を咎めようとして……。
「毎回、毎回、ちゃんとお片付けしてって言ってるでしょう!?」
怒りの形相をしたシアから、先にド正論を吐かれた。
「あ……?」
「厨房に書類を広げっ放し!! 部屋に戻るなら、ちゃんと綺麗にしてっていつも言ってるでしょう?」
そんな可愛い顔で怒られても、怖くはないのだが、その迫力に呑まれて思わず後ずさりをしてしまう。
「あなたの私室ならともかく、共用の空間は綺麗にしてくれる約束じゃなかったっけ?」
上目遣いでオレを睨みながらも、さらに唇を尖らせた。
「ああ、悪かった」
そう言いながらも、オレは彼女の姿を見ることができない。
なんで、よりによって、今、そんな恰好をしているんだ?
いつもの寝間着と違いすぎだろ?
妙に薄着だし、リボン付いているし、妙に裾がひらひらしているし!!
なんだ、その若宮の趣味全開な寝間着は!?
「片付けてくる」
だが、言っていることは正論である。
共用区域を散らかしていたオレの方が悪い。
この場とシアから逃げるようにオレは厨房に向かう。
全く、どうしてこうなった?
いや、彼女が言うように片付けをせずに部屋に戻ったオレが悪いのだけど。
シアが風呂から出たら、厨房にオレの姿がなかった。
しかも、書類は広げっ放し。
暫くは待っただろうけど、戻る様子もない。
ああ、うん。
彼女がキレるのは当然の流れであった。
インクを乾かすために書類を広げていたが、そのまま、シアが出てくる前にうっかり部屋に戻ったのが敗因だな。
普段、書類を広げたままにする癖や、部屋で報告書を作成する習慣が合わさった悲劇と言えるだろう。
「全く、ヴァルは本当に片付けが苦手なんだから」
そう言いながら、乾いている書類を手に取るシア。
「悪かったって」
「もう少し反省してください」
どうやら、お怒りはまだ解けない模様。
だが、それよりも……。
「シア」
「何?」
「髪の毛、まだ乾いていない」
それがどうしても気になった。
いや、他にも気になるところは多々あるんだ。
その可愛らしい寝間着の意外と首筋や鎖骨の主張をする襟元とか!!
細く白い腕を見せつけるような半袖とか!!
ハイウエストで結ばれた帯のために、女性的なラインをいつも以上に強調されている胸元とか!!
丈は膝下と長めではあるけれど、その足首はしっかり見えているワンピースタイプの寝間着の裾とか!!
童貞男のありったけの夢をかき集めて詰め込んで、理想の少女の寝姿を再現してくれそうな可愛らしい姿に、オレの意識が薄れそうになるが、なんとか踏みとどまる。
頭のどこかで、今日一日は恋人扱いして良かったんだよな? などと思いながら。
「じゃあ、乾かすのを頼んで良い?」
いや、頼むなよ。
もっと警戒しろよ。
そう思いながらも、その誘惑に抗えないオレの未熟さよ。
この可愛らしいシアをもっと間近で見たいという欲望に勝てなかった。
椅子に座らせて、その背後に回る。
項ってなんでこんなに色気があるんだろうな?
黒い髪の下にある白くて簡単に折れそうで頼りない首筋は、思わず我を忘れて食いつきたくなるほど美味そうだった。
いや、実際、その首筋を舐めたこともあるけど。
あれは仕方ない。
「嘗血」のためだったのだ。
それよりもっと前の「発情期」は、首筋だけで我慢できなかったが、それを今、思い出してはいけない。
「オレの片付けもだが、シアの髪の毛もいつになったら自分で乾かせるんだろうな?」
綺麗で艶やかな髪に触れながら、オレはそう独り言ちた。
いや、役得なんだ。
だが、苦痛でもある。
どうしても、男として、いろいろなモノに耐える必要があるのだ。
惚れた女の風呂上がりの色気が半端ねえ!!
「ん~、乾燥石は難しいんだよ」
「難しくねえよ」
髪に当てて撫でるだけだ。
そこに技術は要らない。
普通に5歳のガキだって使えるような魔石だ。
それなのに、いつまで経っても、この女は上手く使えないらしい。
謎だ。
「ほれ、終わった」
「ありがとう」
そのまま深々と礼をする姿を見て、思わず、自分の鼻の下が伸びそうになったのを自覚する。
その理由?
女に対して人並の興味や関心がある童貞や半童貞の健康的な年代の男の前で、襟の空いた服を着た魅力的な女が、目の前で深々とお辞儀をすれば、ほとんどは似たような顔をする。
覗き込みたくなるからな。
いろいろ、溜まっていることは分かった。
早く、部屋に戻りてえ。
「ここは片付けるから、シアは部屋に戻れ」
だが、その前に彼女を戻らせようとする。
「ヴァルはお片付け、苦手でしょう? 手伝うよ」
失敗した。
しっかり片付けて部屋に戻らなかったことがこんな形で後に引くことになるとは!!
半刻前のオレをぶん殴りてえ!!
「こんな時間にお前を付き合わせる気はねえ。とっとと寝てろ」
「安心できる状態になってから寝るよ」
オレが今の状況に安心できねえんだよ!!
それに気付けよ!!
それでも、シアはオレを気にした様子もなく、次々と書類を集めてくれる。
その動きに無駄はなかった。
だが、彼女が素直に戻らないなら仕方ねえ。
いつもの手段を使わせてもらうしかない。
即ち!
強制的に眠らせるのみ!!
眠らせてしまえば、こっちのものだ。
彼女の部屋に運んで、寝台に寝かせることができるだろう。
少しぐらい、頬や髪の毛は撫でたくなるが、それ以上のことをする気はない。
だが、飲み物は駄目だ。
この時間はもう彼女にとって警戒対象になっていることだろう。
夕食時に話題にしたぐらいだ。
それは、牽制の意味もあっただろう。
そんな状況ではどんなに美味そうな菓子を添えても、今のオレが差し出す物に対して、素直に飲んでくれるとは思えない。
下手すれば「識別魔法」を使われる可能性すらある。
そして、普通の魔法を使っても、恐らくは意識すれば簡単に弾かれる。
なんて、手強い女なんだ。
それなら……。
―――― 誘眠魔法
奇襲一択!!
無詠唱で無防備な背後から、シアに向かって魔法を放った。
だが、オレは甘かった。
「誘眠魔法返し!!」
「なっ!?」
小さく呟かれた言葉に驚愕するしかない。
オレの方を見もしないで、見事なタイミングで返された。
キ――――ンッと、妙に高い金属音が耳の奥で鳴り響き、急激に意識を奪われる感覚と、重くなっていく身体。
「今度はわたしの勝ちだね、ヴァル」
そんな勝ち誇った言葉だけが遠い意識の向こうで聞こえた気がしたが、全ては後の祭りである。
そして、再び目が覚めた時、オレの奇声が鳴り響くことになるのだが、意識を奪われたオレがそれを知る由もなかったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




