深夜の王城トーク
それは真夜中とも言える時間帯。
とあるお城の一室にて。
「どうした? ユーヤ。お前にしては珍しく表情に不快感が表れているが……?」
その国の王は、同じ部屋で雑務を行っている使用人に声をかける。
「失礼しました、陛下。何やら自身にとって不名誉なことをどこかで言われた気がして、なんとなく表情が歪みました」
そう言いながら、雄也は眉間と呼ばれる場所を撫でた。
王の言うとおり、そこにはくっきりと深いシワが刻み込まれている。
それは、王の前でどころか、人前で負の感情を見せない彼にしてはかなり珍しいことだった。
「こんな時間まで使っているから疲れでも出たか? 悪いな」
王は目の前の青年に、ねぎらいの言葉をかける。
それを言うならば、こんな時間まで王自らが仕事をしていることも問題なのだろうが、周囲を取り巻いている状況が国王という立場にいる彼を休ませてはくれなかった。
「だが、今回の件はどうしても、お前に頑張ってもらわねばならん」
「はい、承知しております」
そう言いながら、雄也は机の書類を少し手にとって、見比べる。
彼の目で確認しても、その状況はあまり良くないことが分かる。
「暫く顔をお前の見ることができなくなるな。淋しいものだ」
王は溜息を吐いた。
「その分、千歳さまのお顔を存分に眺めてください。今、会いに行かれてもよろしいですよ」
雄也はあまり表情を変えず、口元のみ笑みを浮かべてそう口にする。
彼が口にした女性は、結界に囲まれた私的空間にて休んでいる時間であった。
遠回しに、王も早く休めと雄也は言っていたのだが、それが通じるような人間なら、この時間も起きて仕事をしているはずもない。
「あいつはあいつで心配なのだ。できれば、今はゆっくり休ませてやりたい。余計なものを抱え込んでいるようだからな。今、あれをあそこまで根を詰めて急いでやることとは思えんのだが」
そう言いながら、王は先ほどより深く長い溜息を吐く。
「千歳さまにはお考えがあってのことかと」
「いや、考えていることは分かるのだ。俺も馬鹿ではない。ただそれを急ぐ理由が分からないだけなのだ。時間をかければ解決するというのに」
「それは仕方ありません。今回、報告を受けた件もあって、ますます意欲的になられたように感じます」
「何もしなくて良いのだがな。俺はそれを期待して彼女を傍に置きたいわけではないのだ」
「それで納得するような方ではありません」
「……確かに、あいつは昔からそうだったな」
そう言いながら、王は肩を竦める。
話題の女性は、彼が王子であった頃も、王になった後も、ほとんど自分から彼を頼ることはしなかった。
城下に出て、一人で子供を生み、その間にどれだけの苦労があったかも彼女は王に語ることすらなかったのだ。
互いの立場的に仕方がないとはいえ、それが、王には酷く哀しいことだった。
だが、その強さにこそ王は惹かれたのだ。
興味を持ったきっかけは彼の身の周りにいない珍しいタイプの女性であったことは否定しないが、知れば知るほど離れがたくなる人間だったことは間違いない。
勿論、そんな強い人間は支えを必要とせず、一人で動いてしまう。
自分が手を差し伸べても、笑顔で断るだろう。
そして、「自分は手助け無用だから、その分、他の人を助けてね」と言葉を付けて。
「確かにチトセは一人でなんでもやろうとする。だが、そのことをお前から指摘されるのは妙に腹立たしいわけだが」
少々、ムッとした面持ちで、王は拗ねるような口調でそんなことを言った。
自分の息子と変わらない年代の青年にまで悋気が働く辺り、今の王にはあまり心の余裕がないらしい。
大量の仕事に追われ、ゆっくりする時間など彼にはないのだから。
「それは失礼致しました。確かに出すぎた発言でしたね」
雄也は口元を隠しながら、目を逸らす。
恐らくは、笑いたいのを堪えているのだろう。
その両肩は少し震えていた。
「別に構わん。暫くはお前のそんな言葉も聞けないわけだからな」
そう言って、王は手元の書類を雄也に渡す。
「これほどある。特にこの件は任せた」
「はい。承知致しました」
雄也は微笑みながらその書類を受け取って、それぞれ確認していく。
そして、それらの書類を自分が仕事しやすいように並べ替えていった。
「それだけの仕事を託せる人間もそう多くはないのが、この国の問題点だな……」
「陛下がお一人で全てをこなしてしまうからですよ」
本来なら、周囲と分担してすることを、この王は一人で受け持っていた。
王子時代から、王を助けるべく事務仕事を中心に学んでいたのだ。
そして、生来、人任せにはできない性格が災いして、結果、この国の雑務と呼ばれる事務仕事のほとんどは、王が処理していくこととなっている。
いや、この国に所属する守護兵、親衛兵、近衛兵と呼ばれる集団に属している人間のほとんどが、机仕事を苦手としていることが原因でもあるかもしれない。
さらには、先日、大国相手に外交的な失敗をしたことで、ますます、交渉ごとなどを含めて頭脳を使った実務が敬遠される傾向にあった。
そんな状況でこの国の未来は、大丈夫か? と本気で思わずにはいられない。
「そこは反省している。もとより、私は上に立つ器ではない」
王は自嘲気味に言う。
この国で最高位という立場にある人間が、一介の使用人相手に零す愚痴ではないが、それも今更だった。
王が弱みを吐ける人間が彼ぐらいしかいないのも、この国の問題点なのだろう。
ただ、それでも彼がこの国の王でなければ、既にこの国は滅んでいたかもしれない。
彼は勤勉であり、良くも悪くも真面目だった。
民たちは王が国を思い、この国のために生きる姿を知っている。
些細な報告にも適切に対処し、小さな村も決して見捨てない。
時として、国王自らが出向くこともある。
さらに、数年前、この国の王子が城内で、理性がない魔獣に襲われるという警備は何をやっていたのだ? と突っ込みたくなるような事件があった。
その異形の魔獣は手強く、為す術もなく倒れていた兵たちに変わってその手に武器を取り、見事に討ち取ったのは、この王である。
人間は、力あるものに惹かれると言うが、そのことが、城内で時を経た今でも語り草になってしまうほどの衝撃で、それ以来、彼を護る近衛兵を志願するものが一気に増えたという。
誤解されがちだが、この王は気弱で甘い人間ではない。
王妃や王子を野放しにしていることにも重要な理由がある。
無能な貴族でも、この国の礎であることは変わりない。
足を引っ張る血縁でも、貴重な王族として国を支えてもらわねばならない。
彼は王族の血がそこに存在しているだけで、どれだけ国を護ることになるかを近隣の王より理解していた。
彼は魔界の王族の血の役割を正しく知っていたのだ。
だからこそ、簡単に切り捨てることもできない。
彼にとって最も不幸だったのは、この国に王族が少ないことだった。
せめて、あと一人ぐらい自分に近しい血族が欲しい。
それなら、王の勤めの一つとして、その血を増やすことを考えるべきではあるが、正妃である王妃との間に子を望むことはできない。
あの王妃にこれ以上の権力を持たせるわけにはいかないのだ。
ただそこにいるだけで役目を果たせるはずの王族が、明後日の方向に邁進するのは国にとって良いはずがない。
王の懸念も尤もだと言えよう。
そして、現状、自分が王妃以外の女性との間に新たに子を得ようとしても、簡単には得られないだろうという確信も王にはあった。
自分の娘と疑われた子どもが、何度も危険な目に遭っている。
それも、王族にとって最も安全であるはずのこの城で。
さらには自分が大切に思っていた友人も、この地で命を落としているのだ。
この国最高の地位にあっても、護れる人間の数は限られることを王は知った。
そして、政務に集中しなければならない自分が、周りに目も手も掛けるような余裕がないことが分かっている。
大事なものを護り続けるためにはある程度、信用できる他者に託す以外はない。
これ以上、失いたくなければ。
頭に浮かぶのは、黒髪、黒い瞳の小柄な少女。
自分が初めて愛しいと思った人間から産まれた希望の光がそこにあった。
「あの娘のことは頼んだ」
王は、雄也に向かってそう言った。
「承知しております」
「準備はできているのだな?」
「はい、勿論」
「悪いが、頼んだぞ」
「仰せのままに」
そう言って、雄也は深々と頭を下げたのだった。
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