本当の顔
ずっと見たかった姿と表情を見ることができた。
最初に思ったのはそんなことだった。
これらのことは全てシアのためだと口にしながらも、なんのことはない。
勿論、シアのためもあるが、大部分は自分のためだった。
そんなオレの本心を知れば、彼女はどう思うのだろうか?
兄貴との勝負では、離れた場所からしか見ることが許されなかった。
初めて正面から見ることができたのは、その一瞬を切り取った写真でしかなかった。
ずっと見たかった「高田栞」の本当の顔。
誰よりも何よりも真剣な表情。
オレが繰り出す、普通の投法ではない光球魔法を懸命に追いかける視線。
そして、それを確実に捉える正確な動き。
魔界人になる前の、彼女の原点となり、起点とも言える姿がそこにある。
オレたちのように何かを倒すためでも、誰かを護るためでもない、彼女自身のためだけのもの。
惜しむべくは、それが本来の姿ではないことだろうか。
今のシアは動きやすいように、過去の自分の姿に変身していた。
服装ではなく、本体を変えると言う発想は彼女にしかできないだろう。
何故、そんな着想に至ったのかは、本当に分からない。
記憶にある「高田栞」よりもやや背が低い気がするが、その当時の正装と思われるものに身を包み、さらには、その黒い髪の毛は纏めているものの、かなり長いように思える。
その服装はともかく、よくあの長さでソフトボールのように動きの激しい競技ができるものだと感心するほどだ。
彼女の先輩である水尾さんや、リプテラで会ったあの後輩が見れば、羨ましがるだろうな。
だが、これはオレだけのモノだ。
この姿を誰にも見せたくはなかった。
心が狭いと自分でも思うが、ここは譲れない。
オレの光球魔法はお世辞にも良いコントロールとは言えない。
できる限り目標物であるグローブの上を狙ってはいるが、「高田栞」に当たらないように、どうしても、彼女の身体からやや離れた位置に投げてしまう。
兄貴のように、身体に向かって抉り込むような内角球など投げる度胸はなかった。
だが、シアはそれでも楽しそうなので、問題はない。
初球こそ、バントと呼ばれる姿勢を取り、打ち返すというより当てただけといった様子だったが、その一瞬は本当に鳥肌が立つものだった。
どれだけの集中力だったのか?
魔法勝負でも彼女はあれほどの表情を見せない。
間近で見て、ゾクリと寒気がして、それだけで、脳が揺さぶられた。
―――― コツリ
直後、そんな魔法同士がぶつかった時に聞こえるはずのない音が、聞こえた気がして、現実に引き戻されたのは、我ながらちょっと情けない話だ。
「よし!!」
そして、見覚えのある表情。
自信がある時の高田栞の顔だ。
「九……、ヴァル!! ジャンジャン投げて!!」
そして、本当に嬉しそうにオレを呼ぶ声。
ああ、本当に敵わない。
「おお、食らえ!!」
「なんの!!」
オレが投げる光球魔法をいとも簡単に捉えた上で、さらに打ち返す。
それは彼女の研鑽の結果なのだろう。
これはちょっとだけ悔しい。
どれだけの動体視力だ?
そして、その動きを可能とする鍛えられた身体も凄い。
これは、オレが知らない時代。
まさか、それを僅かでも見ることができるとも思ってもいなかった。
今日一日はシアの望みを叶えるための時間だったはずだ。
だが、オレの望みが叶う時間にもなっている。
この時間が、オレにとって、どれだけ幸せなことか、彼女には全く伝わらないし、伝えることが許されないと分かっているのに。
「よっと」
「あ、悪い」
考え事をしていたせいか、少し光球が逸れてしまった。
それでもシアの身体とは逆の外角と呼ばれる方向にすっぽ抜けたのは幸いだった。
普通ならボール球と呼ばれる位置であるにも関わらず、彼女は手を伸ばし、体勢を崩しつつも、器用に当てる。
これは確かに「捕手要らず」と呼ばれるだろう。
これまでのコースから大きく外れたと言うのに、慌てることなく、自然に対処されたのだから。
「器用だな」
「ボールをカットするだけなら、誰でもできるよ」
シアはそう言って照れたように笑ったが、それが簡単ではないことぐらい素人のオレでも分かる。
緩いボールならともかく、そこそこの速度がある速球で、しかも、彼女も棍棒を振っているのだ。
オレの手からコースをある程度予測したとしても、速度に合わせるためには振り始めがどうしても早くなる。
そして、棍棒を途中で止めたとしても、さらには自身の体勢も崩すほどの状態だというのに、見事に当ててくれた。
それを魔法も無しに軽々とやってのけてたのだ。
その領域に至るまで、どれだけ体幹を鍛え上げたのだろうか?
そして、現役時代、そんなものを常に見せつけられていたチームメイトはどんな気分だっただろうか?
オレが知る彼女の先輩は気にしなかっただろう。
もともと、本人が規格外なのだ。
人間界にも凄いやつがいるなと思ったぐらいでそこまで深く考えなかったとは思う。
彼女の後輩もそこまで重要視しなかったと気がする。
恐らくは「シオちゃん先輩だから」と、素直に納得をしていたところまで想像できてしまった。
だが、普通の人間ならば?
魔法も持たない、何の才もない、ごく普通の、人間界によくいるような女子中学生なら、その異様さが伝わっていたのではないだろうか?
目立つ能力ではない。
容易に捉えきれないほどの速球や絶妙なコントロールで相手を翻弄するような投手ではなく、打てばダイヤモンドを一周する大打者でもない。
だが、確実に当てる。
自分のバットが届く距離ならば、多少、体勢を崩しても。
高校生ぐらいのずっと野球少年だった人間ならたまにいるらしいが、彼女のソフトボール経験年数は、聞いたとおりなら、二年と少しだ。
それも、部活の練習時間と自主練習をしたぐらい。
当人が言うように、単純に技術を磨き上げた結果、辿り着いた境地であることは間違いないだろうが、それだけでは説明できない何かがある。
それは一つの才能だったのだろう。
もしくは、魔力と記憶を封印されていても、身体は半分魔界人だ。
魔力を持たない人間よりもその肉体や能力が優れている可能性はある。
それが、筋力や体力等の分かりやすい部分に反映されなかっただけの話。
それなのに、高田栞自身はなんでもないようなことだと思っている。
自分にできるのだから、他の誰でもできるだろうと平然と口にするのだ。
そこに悪意はない。
だが、そんな彼女に対して、才能を持つ人間の驕りだと感じていた人間も少なくはなかった気がする。
知らぬ間に敵を作っていても、驚かない。
そして、あの呑気な性格で切り抜けてきたのだろう。
あるいは、そんな「高田栞」という名の少女を気に入った友人たちが、ずっと護ってきたか。
そんな能力を持っている「高田栞」だから、同じ魔界人であった深織の目にも付いた可能性がある。
ごく普通の、魔力を全く感じさせない人間が、魔界人すら驚かせる芸当を披露する。
本当に普通の人間にしか見えないのに。
これまで「高田栞」は、出会った魔界人たちを惹き付けてきた理由も、そんな彼女の在り方にあるのかもしれない。
「ヴァル、疲れた?」
「いや、大丈夫だ」
考え事をしているためか、少しずつ乱れていく制球に、シアがオレを気遣った。
だが、それでも、彼女は全て当てている。
ど真ん中にいった時は、迷いもなく振り抜いて、オレの足首を狙いやがった。
いや、元は自分の光球魔法だし、当たっても怪我することはないが、それでもオレにだって男の誇りってもんがある。
ちゃんと左手で受け止めたよ、グローブではなく、素手だったけど。
だが、これ、本職の投手だったら、矜持ごと打ち抜かれているんじゃねえか?
「もともとオレに兄貴ほどのコントロールを期待するな。投手に関しては素人なんだぞ?」
「投手としては素人かもしれないけど、魔法としてはわたしよりずっと細かい制御ができる人だと思っているよ?」
確かに、投げるという方法を取っていなければ、考え事をしながらでも、もっとマシなコントロールではあるだろう。
魔法を手から放つということが、どれだけ楽なのかがよく分かる。
まあ、魔法は本来、投げるもんじゃねえからな。
「オレは魔法を投げた経験が少ないんだよ」
兄貴が「ゆめの郷」でやってみせたから、少し練習しただけだ。
まず、握ったままの状態を維持することが意外と難しかった。
兄貴はいつ、練習したんだろうな?
「およよ? それなのにチャレンジしてくれたの?」
「キャッチボールだけじゃ物足りないだろ?」
あの「ゆめの郷」で楽しそうな「高田栞」の姿を見た。
それを与えたのが、オレじゃなかったことが悔しかった。
キャッチボールでも喜んでくれたが、それでもあの表情には程遠かった。
彼女は、投げるよりも打つ方が好きだと思ったから、この一週間でなんとか形にしたのだ。
だから、胸を張って宣言できる。
「オレはシアのためなら、何でも挑戦するよ」
それが途轍もない無理難題であっても。
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