今回は勝負ではない
「シア、そろそろ、ボールを打ちたくないか?」
キャッチボール中に、そう言われて、断ることができるソフトボール、野球好きはいるだろうか?
少なくともわたしには無理である。
「でも、ボール、無くなっちゃうよ?」
ヴァルが投げて、わたしが打つ。
それだけで十分だろうと思われそうだが、そんなに単純な話ならば、野球は九人もの野手を必要としない。
打った球が、どこに飛ぶか分からないから、九人という最低限の数で守ることになるのだ。
個人的に、遊撃手という守備位置を考えた人は天才だと思っている。
野球、ソフトボールをよく知らない方は、一度、守備位置一覧表をご覧になることをお勧めしたい。
本当に、合理的な場所に人員が配置されていることが一目でわかるから。
「まあ、印付けしているだろうから、多少は大丈夫だと思うけど……」
所有物に自分の魔力で印付けをしている彼なら、ボールがどこに飛んで行っても、引き寄せることも、探すこともできる。
「いや、今のシアだと、この球を金属バットで打てば、力加減ができずに破裂する可能性があるぞ」
「ほげっ!?」
「投げる方は調整できるようになったけれど、打つ時にそこまで気を遣えるか?」
ヴァルにそう言われて、初めて、この世界でキャッチボールをした時のことを思い出す。
わたしは魔力を解放した後の自分の運動能力を計算しきれずに、かなりの悪送球を彼に向かってやらかしている。
どちらが経験者か分からないぐらいに。
今度はバットだ。
打つのだ。
振るうのだ。
「勢い余ってバットを飛ばしちゃうかも」
ボールを破裂させてしまうイメージは全くないが、そちらは可能性として考えられた。
初めての試合などで、バットを振る時に無駄に力が入りすぎて、すっぽ抜けてしまうことは、たまに初心者が経験する話である。
「それは考えなかったが、シアは『ゆめの郷』で、兄貴とソフトボール勝負をしただろう?」
「魔法勝負ね」
ソフトボールの道具を一切使っていないのだから、アレは一応、魔法勝負になるはずだ。
「どちらでも良い。今度は、それをオレとやらないか?」
「ああ、なるほど」
それなら……、それなら?
「だが、オレは兄貴のようにソフトボールの投げ方を知らん。キャッチボールと同じく、上投げになるが、それでも良ければの話でもある」
「それは良いのだけど、アレってかなり疲れたんだよね~」
光の棒を維持するのが特に。
「今回は別に勝負ってわけじゃねえんだから、そこまでやることなくないか?」
「おお」
言われてみればそうだ。
あの時は、真剣勝負。
今回は遊戯だ。
遊びだ。
休養だ。
魔法力の限界までやる必要は全くない。
「じゃあ、やりたい」
わたしは、そう返答した。
単純にやりたいというのもあるけれど、ヴァルがいろいろ考えた上で提案してくれたのだ。
それなら、やらないわけにはいかないだろう。
「野球やソフトの球の大きさをよく知らんから、このボールを参考にするぞ」
「分かった」
わたしも野球のボールについてはよく知らない。
ソフトボールより小さくて、妙にバウンドするイメージが強い。
外野に飛ぶと、かなり跳ねるから大変そうだなと思っていた。
でも、野球部にいた少年たちが言うには、ソフトボールのバウンドの方が怖いらしい。
要は、慣れってことなのだろう。
「あと、兄貴ほどのコントロールを期待するな。オレは、魔法を投げるなんて非常識をしたことがねえ」
「雷撃魔法を剣にしてしまう非常識な方が何をおっしゃるやら」
それも、雄也さんが光球魔法を投げる前にやっているのだ。
それに雄也さんがそれをやれたのは、その話を弟から聞いたからじゃないかな?
あの人は、固定観念の塊に見えてかなり柔軟な思考を持っている。
弟にできても自分にできるはずがないなど考えることもなく、弟にできたなら、自分にも絶対できると考えてもおかしくない。
「いやいや、契約もしていない魔法を使いこなす非常識なシアにはオレも兄貴も到底、敵わないよ」
無駄な爽やかな笑顔でそんなことを言われた。
「契約もしていない魔法?」
「お前の一言魔法のほとんどはそうだろう? その最たる例が、最近多用させた識別魔法だ」
言われてみればそうなのだが……。
「多分、誰にでもできることだよ」
「できねえよ!!」
そうかな?
強い思い込みがあれば、誰でもできる気がする。
だけど、この世界の人たちは、契約をしていない魔法は使えないものという思い込みが強すぎる。
だから、その固定概念を覆すのは相当難しいだろう。
そう考えると、人間界という別の星に行った人たちの方が、新たな可能性を秘めている気がする。
その世界で、いろいろな意識を壊されて帰ってきているだろう。
わたし以上に柔軟な発想を持っていれば、とんでもない魔法を生み出す可能性も否定できないのだ。
「でも、この森の中で光球魔法を打つのか。ミタマレイルの花とか大丈夫?」
こんなところで打てば、確実に打球は当たるだろう。
「お前、午前中、散々、風魔法をかましておいて……」
どこか呆れたようなヴァルの返事。
まあ、確かにかなり魔法に巻き込んでいた気がする。
「ここに生えている植物は結界の範囲内だ。魔法での影響はほとんどない」
そう言えば、ミタマレイルの花を取ったり引っこ抜いたりする時は、彼は魔法を使わず、手で採取している。
いや、ほとんどの植物採取は手でしている気がするか。
多分、自分の魔法が植物に影響を与えないようにしているのだと思う。
よく使う「薬物判定植物」も、彼の魔力の影響を受けないように、内側が魔力封じの布で覆われているケースに入れられているのだ。
「いや、魔法を打ち返した時の衝撃の話をしているのだけど」
「同じことだ。切ったり叩いたりしたぐらいではこの森の植物に影響はないな」
思った以上に頑丈な植物たちらしい。
いや、結界の効果か。
でも、周囲を気にしなくて良いのは助かる。
普段、歩く時は気にしていても、流石に打球が飛ぶ先までは気にすることはできない。
「それじゃあ、始めるか」
ヴァルは、湖を背にする。
「背水の陣?」
「そんな大袈裟なもんじゃねえな」
そして、わたしは、彼から距離をとる。
ソフトボールではなく、野球なら、このぐらいの距離かな?
確か、ソフトボールよりも野球の方が、投手からホームベースまでの距離が長かった覚えがある。
野球場をソフトボールの試合会場にする時は、どうしてもマウンドの山になったところが、二塁手の守備の邪魔をする位置にあったから間違いないだろう。
「……っと」
わたしはグラブを下に置いた。
野球経験者である雄也さんならともかく、未経験っぽいヴァルなら、投げる位置が目で分かった方が良いはずだ。
「ベース代わりか?」
「うん」
意外にも説明する前に分かったらしい。
「昔、兄貴もやってた」
そう言いながら笑った。
それなら、話は早い。
「ストライクゾーンの説明はいる?」
「いや、大体は分かるし、兄貴ほどの精度を期待するな」
「死球は止めてね」
「善処する」
ヴァルにしては歯切れの悪い答えに、少し考えたくなる。
彼は、雄也さんの相手を務めていたこともあって、キャッチボールはできた。
だが、バッティングピッチャーをやったことはあるのだろうか?
キャッチボールと、バッティングピッチャーでは投げる位置が全く違う。
少なくとも、キャッチボールのように、胸元の高さに投げてはボール球となる。
経験がなければ、軽く投げてもらって、トスバッティングでも良いのだ。
それだけでも、わたしは十分、楽しめる。
「投球練習は?」
「さっきキャッチボールをやっているから、肩は大丈夫だぞ」
わたしが心配しているのはそこではないのだけど、まあ、良いか。
「捕手がいないから、慣れるまでは後ろに行くかな?」
そう考えれば、立ち位置は逆の方が良いのではないだろうか?
わたしの後方を湖とした方が良い気がした。
「シアにはもともと捕手なんか、要らないだろ?」
「いや、要るよ?」
わたしにというよりも、普通、女房役は、投手のために必要な存在である。
「水尾さんから聞いているぞ。『捕手要らず』ってな」
「そう呼ぶのは、水尾先輩ぐらいだよ」
懐かしい呼び名だった。
でも、確かに送りバントが主力だったために、空振りは少なかったけれど、打ち損じがなかったわけでもない。
後方への飛球、捕手飛球だってたまにあった。
まあ、バントのサインが出た時に、それをやらかすほどで下手でもなかったけどね。
「まあ、ここでは気にするな」
そう言ってヴァルが光球魔法を出す。
大きさは、先ほどまで握っていた野球ボールと同じぐらい。
確かに彼は野球を知らないのだろう。
構えがキャッチボールの時と変わらないから。
わたしも野球の正確な投法を知らないのだけど、ソフトボールと同じでピッチャーズプレートがあるのだから、それを意識する必要はあったはずだ。
少なくとも、雄也さんは投げる前に意識していた覚えがある。
長年の習慣か、あの人の拘りかは分からないのだけど。
でも、せっかくの機会だ。
わたしも、光の棍棒を出す。
「じゃあ、いくぞ」
そう言いながら、ヴァルの手から光球魔法が放たれたのだった。
軟式野球とソフトボールのボールの跳ね方の違いはツーバウンド目にあるそうです。
ソフトボールの方が意外にも、硬式野球のボールの動きに近いと知って驚いたことがあります。
軟式野球のボールも何度か規格が変更されていますが、この時点ではまだされていない時代ということで。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




