デートの前に
「あと、出掛ける前に、お前の呼び名を決めておくか」
「呼び名?」
「この城下に来てからずっと『お前』って呼んでいたけど、流石に恋人なら、名前か、それに準じた愛称で呼ぶべきだろう?」
そうなのか?
いや、これは、九十九の拘りかもしれない。
そう考えると、彼は自分の恋人を名前か、愛称で……って、既に名前で呼ばれているわたしには何も関係のない話か。
「だけど、お前の名前はどちらも城下で呼べないからな」
確かに「栞」は指名手配中だし、「ラシアレス」の方も「救国の聖女」と同じ名前だと知っている人はいるかもしれない。
呼ぶなら「ラシアレス」の方が良いかもだけど、九十九が「呼べない」と言ったのだから、呼ばない方が良い名なのだろう。
「城下に出る予定があるの?」
「昼飯は城下で食うつもりだ」
なるほど。
それなら、名前を呼べない以上、愛称を考える必要があるのか。
そして、やはり、この服装は正解だったかもしれない。
動きやすい上に、城下に出ても、歩いている姿も、止まっている姿もロングスカートに見えるだろう。
「日頃の名からとれば『シオ』が無難か?」
九十九は「栞」から考えてくれたのは分かるのだけど……。
「いや、それはちょっと、あまり、好きではない、呼び名、ですので」
その呼び名は、リプテラに住まう後輩のイメージや、ローダンセの知り合いの顔がちらつくためか、かなり落ち着かない。
わたしを「シオちゃん」と呼ぶのは、彼女たちぐらいだったけど、九十九にはあまりその呼び名で呼ばれたくなかった。
「それなら、『ラシア』、『ラシー』、『レシー』、『アレス』……、ちょっと変則にはなるが、『シア』辺りか?」
九十九はさらに候補を上げてくれる。
「ラシアは人間界の国名っぽくて、嫌。ラシーとレシーはなんか慣れない。アレスはとある神話の乱暴な神様のイメージが強いから、そうなると、最後の『シア』かな?」
「消去法かよ」
提案した九十九が苦笑する。
「ん~? シアは響きもいつもの呼び名に似ているし、可愛いから好きだよ」
彼は「変則」と言ったが、そこまでおかしくもない。
「だから、『シア』と呼んでくださいな」
「分かった、シアだな」
ほぎょっ!?
九十九の表情と声に甘さが増した。
ちょっと待って?
わたし、スタートからこの調子で今日一日、耐えられるの?
「えっと、あなたも呼び名を考えないとね」
自分の頬の赤さと熱を誤魔化すかのように、わたしはそう申し出る。
「オレは良くないか?」
「いやいやいや! 必要!!」
「だけど、オレの名から愛称って難しいぞ?」
おおう。
ツクモ。
たった三文字。
「つ、ツーくん?」
「呼びにくいだろ?」
確かに。
わたしも口にしてからそう思った。
「モーくん? いや、これはわたしが嫌だ」
なんとなく、牛っぽい。
「略称に向かない名前だよな」
いやいやいや、これはファーストネームで考えるから、駄目なのだ。
もともと「九十九」という名前自体が日本人っぽいから、略称に慣れない印象がある。
そうなると……。
「ヴァーレン?」
「あ?」
「ファーストネームじゃなくて、セカンドネームの方で攻めようかと」
「ああ、あまり名乗らないし、呼ばれないから反応できなかった」
そう言えば、彼は魔名をあまり名乗らない人だったね。
問われても、ファーストネームだけにしていた気がする。
「セカンドネームか~。そうなると、『ヴァーレ』、『ヴァル』、『アーレン』、『レン』か?」
九十九はまたつらつらと候補をあげていく。
「ヴァル!!」
「あ?」
「『ヴァル』がかっこいいし、呼びやすい!!」
何よりも、その響きは、今の銀髪碧眼の容姿に似合っている。
なんとなく、聞き覚えもあるし。
「そ、そうか?」
「『ヴァル』で良い?」
「オレは何でも良いから、構わない」
「では、今日一日、よろしくお願いしますね、ヴァル」
わたしはそう言って笑うと……。
「こちらこそ、よろしく、シア」
その青い瞳を細めて、彼はそう答えてくれた。
うん。
この顔には、「九十九」よりも、「ヴァル」の方が良い。
****
「あと、出掛ける前に、お前の呼び名を決めておくか」
オレがそう提案すると……。
「呼び名?」
栞は首を傾げた。
「この城下に来てからずっと『お前』って呼んでいたけど、流石に恋人なら、名前か、それに準じた愛称で呼ぶべきだろう?」
その方が親しさを感じるだろう。
いや、「あなた」も良いんだ。
すごく良い。
だが、オレが彼女の名を呼びたいのだ。
「だけど、お前の名前はどちらも城下で呼べないからな」
栞は「シオリ」という名で、この国の王子によって、国際手配中だ。
彼女は何もしていない。
それなのに、自分の名前が使えない状況にされてしまっている。
そして、本来の名「ラシアレス」は、使いたくなかった。
どこで、誰が聞いているとも限らない。
いずれ、誰かに知られると分かっていても、特に彼女を知っているヤツらにこそ、秘匿したかった。
特にあの紅い髪には知られたくねえ。
尤も、ヤツは知っているかもしれないが。
「城下に出る予定があるの?」
「昼飯は城下で食うつもりだ」
せっかく、城下で「デート」をするのだ。
いつでも食えるオレの飯よりも、ここにいる間にしか食えねえメシの方が良いだろう。
この城下に来たばかりの頃に、下調べもなく入った大衆食堂は外れだったからな。
リベンジもしておきたい。
幸い、栞が選んだ服もフレアスカートに見えるものだ。
この格好ならば、城下を歩いても違和感はない。
「日頃の名からとれば『シオ』が無難か?」
シオリから取れば、「シオ」や、「シー」、「シリー」、「オリー」だろう。
だが、どれも栞には合わないような気がする。
「いや、それはちょっと、あまり、好きではない、呼び名、ですので」
そして、栞自身もそれは嫌なようだ。
そうなると、「ラシアレス」の方か。
「それなら、『ラシア』、『ラシー』、『レシー』、『アレス』……、ちょっと変則にはなるが、『シア』辺りか?」
個人的には「シア」を推したい。
いつもの呼び名に近く、略称としては変則的な形になるために、魔名からやや離れていて予想しにくい。
だが、決めるのは当人だ。
「ラシアは人間界の国名っぽくて、嫌」
それについては、発音次第だと思うが、気持ちは分かる。
「ラシーとレシーはなんか慣れない」
まあ、普段の呼び名からもかなり離れているからな。
「アレスはとある神話の乱暴な神さまのイメージが強いから……、そうなると、最後の『シア』かな?」
「消去法かよ」
もっと前向きな形で選んで欲しかったが。
「ん~? シアは響きもいつもの呼び名に似ているし、可愛いから好きだよ」
栞はそう言って笑ってくれた。
「だから、『シア』と呼んでくださいな」
そうだな。
この濃藍、翡翠の瞳には「シア」が似合うとオレも思っていた。
「分かった、シアだな」
オレが気に入った名を受け入れてくれたことが嬉しくてそう口にすると、何故か、栞……、いや、シアが俯いた。
やはり耳慣れないためか?
「えっと、あなたも呼び名を考えないとね」
そのまま、オレに対しても、そう提案してくる。
「オレは良くないか?」
「いやいやいや! 必要!!」
顔を上げて断言された。
「だけど、オレの名から愛称って難しいぞ?」
オレの名は「ツクモ」と、かなり短いため、略称の必要がない名前である。
「つ、ツーくん?」
「呼びにくいだろ?」
でも、ちょっと、胸に来た。
少し、むず痒くなる。
「モーくん? いや、これはわたしが嫌だ」
「略称に向かない名前だよな」
栞が困っているのは分かるが、こればかりは仕方ない。
「ヴァーレン?」
「あ?」
耳慣れない言葉を栞から口にされた。
「ファーストネームじゃなくて、セカンドネームの方で攻めようかと」
攻めるのかよ。
いや、セカンドネームの方だったのか。
「ああ、あまり名乗らないし、呼ばれないから反応できなかった」
正直、そこまで必要なものだとも思っていなかった。
そして、ファーストネームとセットで覚えているために、セカンドネームだけを引き抜かれると、意外と反応できないものだな。
「セカンドネームか~。そうなると、『ヴァーレ』、『ヴァル』、『アーレン』、『レン』か?」
単純に「ヴァーレン」だけでも、良いとは思うが、どうせならと、略称をいくつか提案してみる。
特に気にいるのがなければ、「ヴァーレン」のままで……。
「ヴァル!!」
「あ?」
「『ヴァル』がかっこいいし、呼びやすい!!」
「そ、そうか?」
かっこいい?
分からん。
個人的には「レン」の方が呼びやすいと思う。
反応はできない気がするが……。
「『ヴァル』で良い?」
「オレは何でも良いから、構わない」
どうせなら、栞が気にいる名前の方が良い。
しかも、こんなに嬉しそうなのだ。
断る理由はなかった。
「では、今日一日、よろしくお願いしますね、ヴァル」
「こちらこそ、よろしく、シア」
そんなどうとでもない言葉を交わし合っただけなのに。
今日だけは互いに別の名で。
王族とそれを護る護衛ではなく、ただの男と女として過ごす。
そんな誓いをしたような気がした朝だった。
この話で102章が終わります。
次話から第103章「際会を前にして」です。
逢引の章です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




