直球で
「は?」
言われた意味が分からなくて、オレは目の前の濃藍の髪をした女に短く問い返す。
「時間はあるのでしょう?」
「いや、確かにあるけれど……」
それでも、どういう意味かが分からない。
「『オレの時間を寄越せ』ってどういう意味だ?」
「そんな言い方はしていないつもりなんだけどな」
濃藍の髪を揺らしながら、栞は困ったように笑った。
確かにそんな言い方はしていない。
彼女はただ……。
―――― リプテラに戻る前、一日だけあなたの時間をください
こう言っただけだ。
だが、その意味が分かりかねた。
欲しいのはオレの時間。
それは単純に、オレの時間を使って何かしろということか。
オレと一緒に何かしたいのか。
オレと過ごしたいだけなのか。
その意味が分からなかったのだ。
「ぬう。ちょっと回りくどかったか」
栞は口を尖らせた。
「いや、回りくどいとかそんな話じゃなくてだな?」
「じゃあ、直球で」
栞は軽く咳ばらいをして……。
「一日だけ、わたしを主人扱いするのを止めてくれる?」
「断る」
「早っ!? 即答すぎる!?」
そんなことは考えるまでもなく、言うまでもないことだ。
「お前を主人扱いしないことは、オレにとって無理なことだから」
栞が主人だから、オレは傍に居られる。
栞が主人でなくなれば、オレが傍にいる理由がなくなる。
だから、それだけはできない。
「えっと、誤解のないように言っておくけど、護衛をクビにするって話ではないんだよ?」
それは分かっている。
そうでなければ、一日だけとは言わないだろう。
だが……。
「オレを休ませるためって言うなら止めてくれ。お前が目の届かない場所にいると思う方が落ち着けん」
離れていても、彼女の気配は分かってしまう。
だからこそ、オレが落ち着けないのだ。
確かに栞自身の護りは万全である。
日頃から身に着けている物、身に着けるようになった物にも過剰すぎるほどの防衛効果があった。
それは栞の識別結果からも明らかだ。
当人は、「わたしの保護者たちは本当に過保護だなあ」などと呑気なことを抜かしていたが、それぐらいの護りが必要な身だと自覚して欲しい。
そして、栞本人も「魔気の護り」が有能すぎるし、何より、彼女自身の恐ろしいほどの魔力と魔法力は、この国の王とも互角となっている。
それでも、オレの目が届かない所、手の届かない場所にいるのは不安になってしまう。
「ああ、そうか。そんな意味にもとれるけど、わたしは、別にあなたをゆっくり休ませる気はないよ」
「あ?」
「寧ろ、いつも以上に疲弊するんじゃないかな?」
「どういう意味だ?」
いつも以上に疲弊?
オレが?
まあ、栞が近くにいないとそうなるだろうな。
「えっとね。わたしとデートして欲しいんだよ」
「あ? 城下に買い物か? それとも、書物館で読みたい本でもあるのか?」
この城下に来て、意外と栞は外出をしたがらなかった。
基本的に、オレの行動予定に合わせてくれていたのだ。
だが、自分でも出かけたくなったか?
「うぬう。予想外の反応」
「あ?」
栞がいつも以上に眉を下げた。
絵に描いたような「ハの字」眉である。
「あなたは『デート』って聞いて、一般的にはどんなイメージがある?」
「あ?」
栞の質問の意味を考える。
一般的な「デート」の意味?
「日付」
「他には?」
「付き合ってるヤツらが日時を定めて会うこと」
「そっち!!」
「そっち?」
そっちって……?
付き合ってるヤツらが日時を定めて会うこと?
あ?
「誰と誰が?」
「まさか、そんな風に確認されるとは思っていなかったけど、この場合、わたしとあなた以外にいるかな?」
栞が何故か肩を落とした。
「いや、四六時中、顔を付き合わせている相手に日時を定めて会うって難しくねえか?」
それを「デート」と言うなら、オレたちは常日頃どころか、一日中「デート」をしていることになる。
朝食も、昼食も、間食も、夕食も、それ以外でも時間を合わせて行動しているのだ。
その事実に、ちょっとだけ顔がにやけそうになる。
いや、オレたちは別にそういった男女交際的な付き合いではないのだけど、その単語だけで浮かれたくなるのはなんでだろうな?
「駄目だ。わたしの護衛は絶望的に、いろいろ足りない」
「待てこら」
自分でも何かが足りないと思っているけど、「絶望的」は言い過ぎじゃねえか?
「あ~、うん。えっとね。一日だけ恋人になってくれ。これで通じる?」
「あ? 恋人?」
なんだと?
「うん。恋人。彼氏。ラバー」
その発音だと、「ゴム」だ。
どう聞いても「恋人」とは聞こえなかった。
違う!!
今、この女、なんて言った?
「ああ、ようやく通じたっぽい。良かった~」
「良くねえ!!」
反射的に言葉を返した。
「おまっ!? なんっ!?」
だが、その後が続かない。
本当に、彼女は何を考えている?
「『お前』、『なんで』ってことだと思うけど、そこまでおかしなことかな?」
栞は可愛らしく小首を傾げる。
「今まで何度かあった『彼女(仮)』を、一日だけ『(仮)』を外して欲しいってお願いしただけだよ?」
「訳が分からん!!」
いや、意味は理解したが、その意図が分からない。
特に「一日限定」という部分だ。
その時点で、オレのことが好きとかそういった甘い感情から来た申し出ではないことがよく分かる。
「ソレを願って、お前に何の得がある?」
「ローダンセに行く前に疑似恋愛ができる」
「あ?」
オレの問いかけに対して、まるで用意していたかの即答。
「わたしって、異性に慣れていないんだよ」
「知ってる」
栞は男慣れしていない。
オレが顔を覗き込んだだけでも、頬を赤らめたりするほどだ。
兄貴や大神官相手でも、手の届かない距離なら大丈夫なようだが、至近距離となれば、顔を真っ赤にしながらかなり慌てる。
「でも、見合い話が出ている以上、それだと相手に悪いじゃない?」
その言葉に一瞬、思考が止まりかけるが、何とか、再起動させた。
これぐらいで、思考を止めているわけにはいかない。
「そうか? 変に男慣れしている女よりも好感が持てると思うが」
少なくとも、初対面でベタベタ触れてくる女よりはずっと良い。
「相手がトルクスタン王子並の顔の良さなら、慣れるまで、接近されると身体が強張ると思う」
「顔かよ」
「外見の判断基準は顔が八割だと思うよ」
言わんとすることは分かる。
「だが、これまでに何度もオレと一緒にいても、その状態だぞ? 一日、ちょっとそれっぽい振る舞いをしたぐらいでどうにかなるものでもねえと思うぞ?」
オレは既に、栞に何度も触れているし、大変申し訳ないが、それ以上のこともしている。
それでも、こんな状態だ。
つまり、男慣れをしていないように見えるのは、体質とか性質的なものなのだと思う。
実際、ストレリチアで「聖女の卵」として振舞う機会がある時は、普通の神官とかが近付いても、取り繕った笑みを崩さない。
さらに、「聖女の卵」として、あの美形の大神官から手を取られても、平然としているように見える。
それらを思えば、単純に意識の問題なのではないだろうか?
「貴重品なんだよ」
「あ?」
何の話か分からなくて問い返す。
「あなたが『彼氏(仮)』の状態でいる時は、わたしは、貴重品扱いされている気がするんだよ」
「貴重品だからな」
この世界で唯一であり、言葉にできないほど大事な存在。
自分の命を救い、生きる理由を与え、存在意義すら目の前の女にある。
それを貴び、重んじらないはずがない。
「だから、一日だけその『主人』の枠組みを外して欲しいなって思ったの」
無理だ。
そう言いたかった。
主人であっても、そうじゃなくても、オレにとって、栞は誰よりも大事なのだ。
この考えがオレの根底にある限り、簡単に捨てることも、一時的に忘れることすらできない。
「一日だけで良いから、普通の女の子として扱って欲しいって思ったんだよ」
それでも、栞が真剣で、同時に何かを思いつめたような顔をしているから……。
「分かった」
そう答える以外、オレにできるはずがなかった。
「ホント?」
「だが、期待はするなよ」
「うん、ありがとう!!」
オレの複雑な心境を解せずに、栞は本当に嬉しそうに笑った。
阿呆か。
オレが、今更、お前を普通の女として扱えるはずがないのに。
だが、それならオレにも考えがある。
「一週間後だ」
「へ?」
オレがそう言うと栞は目を丸くした。
「そして、扱いは『普通の女』を『オレの恋人扱い』で良かったんだよな?」
「え? あ、うん。そういう話だったよね?」
栞は少し目を泳がせながら、そう言った。
多分、本人はオレたちから「大事な物」として扱われる過保護な状態がずっと嫌だったのだと思う。
何をするにも許可がいる。
どこに行くのも人が付きまとう。
十年以上、人間界で暮らしてきた彼女には、それが苦痛で、この世界に来たばかりの頃は、一人になりたがっていた。
目を離すとふらふらと出掛けたがっていたのはそのためだ。
だが、「聖女の卵」になった後は、自分の立場をある程度、自覚してくれたと思っている。
その分、息をつく暇もなくなったことも。
だから、その過保護状態から離れて、少しだけ息抜きをしたいのだと思う。
単純に、男慣れをするために「疑似恋愛」を与えて欲しいと言うのはただの口実だろう。
それなら、栞の近くにはもっとオレ以上に適切な人間がいるのだから、わざわざ女の扱いに不慣れな方を選ぶ理由はない。
だが……。
「覚悟しておけよ?」
「何を!?」
せっかくの機会だ。
それを逃がすほど、オレも甘くはないつもりだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




