敵か、味方か
九十九の言葉にわたしは目を丸くする。
「もし……、水尾先輩が敵だったら?」
「明らかに格上の相手に対して、オレは手心を加えるような余裕はない。だから……」
九十九が言い淀んだ。
「……状況によっては九十九が水尾先輩を殺しちゃうかもしれないってこと?」
この世界には、魔法というものがある。
その力は強大で、そんなものと無縁の人間界で育ったわたしには恐ろしいものとしか思えない。
そして、この世界では、命というものが人間界より扱いが軽い気がしている。
「その逆もある。いや、……どちらかと言うと、現状ではその可能性の方が高い」
九十九は冗談を言っているような顔ではなかった。
ここ数日、いろいろと考えてくれたんだろう。
わたしに、どうやってこのことを伝えるかを。
だから、わたしもちゃんと答えを出しておかなければいけない。
いつか来るかもしれない未来。
その時のために、心構えを含めてわたしの中でちゃんと結論は準備しておくべきなのだろう。
いろいろな考えが頭の中を駆け巡ったけど……。
「……その時は、九十九の判断に任せるよ」
そう口にした。
「九十九か水尾先輩のどちらかを選ばないといけないなら……、そうだね。今は、九十九のほうがちょっぴり重たいや」
これが今の自分にとって素直な答えだと思う。
それは付き合いの長さとかそんな話ではない。
これまでの過程、これまで自分を守ってくれている信頼とかそういった話になるんだろう。
「そうか……」
九十九はわたしの言葉を聞いて、ちょっとだけ拍子抜けしたような、でも、どこかほっとしたような顔をした。
その表情で、彼がどれだけ悩んでその確認をしたのか、少しだけ分かった気がした。
「でも、やっぱり個人的には敵じゃないことを祈りたいっていうのが本当の気持ちなんだけどね」
「そうだな……。あの人相手では、今のオレは多分勝てないと思う。知識も力量も違いすぎるからな」
「いや、そんな勝ち負けの問題じゃなくて……、今まで良くしてくれた人がいきなり敵に回るなんて……、やっぱり嫌じゃない?」
「別に珍しい話じゃない。利害が一致しているときはつるむ。決裂すれば離れる。普通のことだろ?」
確かに仲良しだったはずの兄弟姉妹が遺産相続でモメて激しく仲違いするというような話は人間界でも聞いたことがある。
争うほどの遺産って想像もできないんだけど。
「思うんだけど、九十九」
「あ?」
「水尾先輩にわずかでも危険があるなら、その雄也先輩が同行の許可をしてないと思うよ」
雄也先輩はわたしに決定権を委ねてくれた。
それは、水尾先輩に害意はないと判断したからだと思う。
「兄貴はお前に甘いんだよ、昔っから」
「甘いかはともかく、それでも自分の手が届かないようなところで何かある可能性があれば、雄也先輩はやんわりと反対するんじゃないかな」
少なくとも危険があれば、何らかの措置はとりそうな気がする。
「……随分、兄貴のことを信用してるんだな」
「九十九は自分のお兄さんが信用できないの?」
傍目に見ているとお互い信頼しあっている兄弟にしか見えない。
表立った行動を九十九に任せて、雄也先輩は裏で計画を立てる人っぽいけど、それはある程度、動く人間を信用しないとできないことだろう。
人間界でも、RPGなどのゲームで、自分の指示通りに動かないNPCには本当にイライラしたものだった。
なんで今、ソイツに攻撃するんだよ!? って、わたしは何度叫んだことか……。
「できん。オレと兄貴は完全に別モンだからな」
「不思議だね。あの人はどんなことがあっても裏切らない気がするんだけど……」
「真っ先に裏切りそうなツラしてんじゃねえか。実際、あちこちで潜入、暗躍、スパイ活動しているんだぞ?」
九十九はそう言うが、言い替えれば、敵陣に切り込んでそれだけの危険を冒してくれているということだ。
しかも、こちらにそれを伝えてくれている。
そんな思考を巡らせるわたしをどう見たのか……。
「お前は本当に暢気な人種だよな」
九十九が大きな息を吐いて肩を落とした。
「九十九が疑い深いだけじゃないの?」
「兄貴にそこまで気を許すな。勿論、水尾さんにも、だ。敵として認識しなくても、完全な味方ってやつではないんだからな」
「自分なりに警戒しておけってこと?」
「確かに兄貴がお前に何かすることはない。それは確かだ」
おや?
不思議。
その言葉は十分、雄也先輩のことを信頼しているってことじゃないのかな?
わたしは、彼の言葉に少し嬉しくなった。
「でも、他人や……、特に弟には容赦がない。それらを見て全くショックを受けないほど、お前は平和な頭をしていないだろう。水尾さんにしても、今のところは何かしてくる様子はないが、油断はできん」
「……ぬぅ。それじゃあ、わたしは九十九しか信用したらいけないってこと?」
それはそれでどうなのかとも思う。
正直、信じる人間が少ないというのはちょっと寂しい話だ。
「む……?」
わたしの言葉に九十九は少しだけ考えて……。
「オレはオレの意思でお前を裏切る気は全然ないが……、この先、ある意味、オレが一番信用してはいけなくなるかもしれない」
「ふへ?」
それはわたしにとって、なんだか意外な言葉だった。
九十九は「この先何があってもオレだけは信じろ! 」ってタイプだと、勝手に思っていたから。
でも、わたしが九十九のことを信用できなくなる?
そんな日が本当に来るのかな?
今だってこんなに真剣に話してくれているのに?
どうしても、わたしにはそう思えなかった。
「オレが、万一お前に危害を加えるようなことがあったら、迷わず『命令』しろ」
九十九は強い口調でそう厳命する。
「ど、どういうこと?」
人間界で見せてくれた、わたしが「命令」しただけで、その言葉に従ってしまった二人の姿を思い出す。
特に九十九の方は表情がなく、機械的にわたしの指示に従っていたので、あまり思い出したくはない。
「オレが何かに操られることが絶対にないとは言い切れないからな」
「ああ、九十九は単純だから?」
「……お前には言われたくねえな」
「でも、アレ……。あんまり使いたくはないのだけど」
相手の意思とは無関係に、自分の命令に従わせてしまう「強制命令服従魔法」とかいう魔法。
その存在を思い出して、昨日の水尾先輩が口にした「相手が望まないことを魔法で強制に従わせたくはない」の意味が理解できた気がした。
確かにあれは良い気分にはなれない。
分かりやすく相手を操ってしまうのだ。
それはちょっとした恐怖だろう。
そして、それと似たような魔法の存在が他にもないとは言い切れない。
人間界でも「催眠術」とか「洗脳」って言葉があったのだ。
それ以上のことは魔法ならできても不思議じゃない。
そう思うと、身震いした。
九十九が操られる可能性よりも、どう考えたって魔法に耐性がないわたしが誰かに操られる方が、可能性としては高いだろうから。
「今現在、魔法が使えないお前にとって、唯一、オレたち兄弟に対抗できる手段だ。その呑気な頭にしっかり入れておけ」
「うぬぅ……。でも、使わないからね」
「……最終判断は当然ながらお前自身だ。いつまでも甘いことを言い続けるなら、その結果は観念して受け入れろよ」
「う、うん」
いつになく強い言葉、鋭い目つきだった。
この時、九十九が何を頭に入れながらこれらの言葉を口にしていたのか。
わたしには全然分かっていなかった。
それは魔法、いや、魔界人と言うものに対しての知識が全くなかったこともあるのだろう。
でも、かなり後になってから思う。
九十九は、もしかしたらこんな早い時点でその可能性までもしっかりと考えていたかもしれない、と。
彼はわたしが考えるよりも、ずっと未来を見ていたのではないか? と。
だけど、九十九があんな状態になってしまうなんて、この時点のわたしには想像することもできなかったのだ。
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