神足絆
「それじゃあ、最後に『神足絆』を単体で識別するよ」
栞がそう言いながら箱から取り出したモノに、これまで以上に見覚えがあった。
その形状、色、薄さからして恐らくは間違いない。
「ちょっと待て」
「何?」
「オレは人間界で、コレと似たようなモノを見たことがある気がするのだが……」
「タイツみたいなものだからね」
さらりと言われた言葉に、自分の考えが間違っていないことを確信するが、それを口にしようとして、動きも思考も止まった。
これって、正式名称か?
何より、男が口にしても良い言葉か?
「いや、もっとこう……」
単純にストッキングというのも何かが違う気がする。
あれは薄い靴下というイメージが強い。
じゃあ、この名称は、オレが考えている通りか?
「パンストに似ているよね」
「それだ!!」
栞が口にしてくれた。
やはり、アレはパンストと呼ばれていたモノに似ているというオレの認識に間違いはなかったらしい。
そして、その正式名称はもっと口にしにくい単語だったはずだ。
それよりは、まだトランクスやブリーフの方が口にしやすい。
「これも、確かに殿方の前に出すのはちょっとアレかもしれないけど、『神装』の一部として出してしまったから、このまま識別するね」
「おお」
確かに先ほどの「神衣」と違って、目にするのも抵抗はないものだった。
確かに薄手のタイツではある。
形としては、股引と靴下が一体化したようにも見えなくもない。
そのまま、オレは栞が書いた文字を見た。
そして、そこには驚愕すべき事実が書かれていたのだ。
「やってくれるな、大神官猊下」
この事実は、恐らく、兄貴も知らない。
そして、伝えなかったことに意味もあるのだろう。
護衛であるオレたちに伝えなかったということは、大神官からすれば、オレたちも警戒すべき存在として認識されている可能性が高いとも思った。
「大神官?」
栞が不思議そうに首を傾げた。
これを見ても、彼女にその危機感は伝わらない。
そんな心配がないからと信じているのだろう。
「お前は、この『神足絆』という衣類を、どれだけ持っている?」
「へ?」
「本来はこの『神装』以外でも使うものだろ?」
栞の話では「神装」と「神子装束」は同じような物を身に着けると言っていた。
彼女が身に着けた「神子装束」は貸与品ではなく、その全ては献上品だったと記憶している。
つまり、それなりの数を持っているはずだ。
「えっと、十枚はあるかな?」
この様子だと、正確な数を把握していないらしい。
「その全てを識別してもらえるか?」
「へ? 『神足絆』だけ?」
「ああ」
恐らく、オレが考えている通りなら、大神官から渡されたという、それらのほとんどに同じ効果が付いているはずだ。
「えっと、神足絆、神足絆だけ……、と」
次々と箱を取り出し、その全てから薄い布地を取り出していく。
色は、先ほど見た象牙色だけでなく、薄桜、乳白色など、淡い色のものが多いが、黒もあった。
それを栞が次々と、識別していく。
思った通りだ。
オレや兄貴が思っている以上にあの大神官は用意周到だったらしい。
「どうした?」
栞が出した「神足絆」は最初に識別した物を除いて、11枚あった。
品質や多少の名前の違いはあっても、全てに共通する効果があったのだ。
「わたしって、そんなにストッキングを破るイメージがあるのかな?」
確かにこれらは薄いけど、気を付けているつもりなのに、と彼女は続ける。
いや、大神官が心配したのは、そちらではないと思う。
オレが考えもしなかった部分と方法で、大神官は「聖女の卵」を護ろうとしていたらしい。
それを二年ぐらい前のオレが聞いても考え過ぎだと思っただろう。
だが、今のオレは知っている。
それが、過剰な心配ではないことに。
最初に視た「神装」用の「神足絆」については、栞がこのように書き記している。
「【双月宮の神足絆〔橙〕】。ストレリチア製。法糸によって編み上げられ、着用者の法力や神力を高めることができる。着用者の許可なく脱衣することは不可。損壊の意思を持って触れれば応報あり。装備した者の風属性の魔法効果及び魔法耐性を向上。耐水性・大。魔法力回復効果・小。法力耐性・大。神力耐性・小。導きの聖女(の卵)専用装備」
それ以外の「神足絆」はストレリチア製であるが、その編み上げている素材や、法力や神力に関すること、それ以外の効果はまちまちで、「導きの聖女(の卵)」専用でもないらしい。
だが、これらの神足絆には全て、気になる文章があった。
―――― 着用者の許可なく脱衣することは不可
―――― 損壊の意思を持って触れれば応報あり
そこに込められた意図は、明白である。
しかも、肌着のような「神衣」の方にはその表記はなかった。
だから、栞には分からないのかもしれない。
これは、男視点の話だから。
「大神官猊下は、お前が『神足絆』を破るとは思ってねえよ」
溜息を吐くしかない。
「ぬ?」
翡翠の瞳が不思議そうにオレを見た。
どうやら、オレが説明をしなければならないことは分かる。
マジかよ。
「これらの識別結果を見た限り、お前の意思を無視して脱がされたり、破られたりすることを禁止しているらしい」
「どういうこと?」
そして、困ったことにここまで言っても伝わらない。
栞自身がそういったことを想定していないと言うことだろうな。
そうなるとはっきりと伝えるしかない。
「婦女暴行防止策だよ」
「ほげっ!?」
オレの言葉に栞が目を丸くする。
「お前がこれを穿いている時に、無理矢理そういった行為をしようと思えば、コレを脱がすか、引き裂いたり破ったりするしかねえからな」
かなり、効率的な妨害策だと思う。
その「応報」とやらの程度は分からないが、あの大神官のことだ。
相手を殺すほどのことは仕掛けていないだろう。
神官は殺生を禁止されているからな。
だが、微妙なラインを見極めて、兄貴のように死に至らない程度の罰を与える気がしてならない。
「でも、それなら、肌着のような『神衣』の方にその措置をするもんじゃないの?」
「阿呆。そんな所にまで手を伸ばさせる前に、止めるための措置をするのは当然だ」
肌着のようなギリギリの護りにまで手を掛けられる前に、殺……、いや、罰を与えた方が良い。
それに、先ほど見た形状から、「神衣」の方ならば、損壊しなくても目的が達成できなくもないとも思う。
かなり大変だろうが、下着を身に着けた状態でもそういった行為は可能だと聞いたこともある。
そして、一番上やそれ以外の衣服にその措置をしていないのは、それらの形状は、捲り上げれば、容易に目的が達成できてしまうために無意味であるからだとも思う。
だが、この「神足絆」は別だ。
これは、完全に覆い尽くしているから、脱がすか、引き裂く以外の方法では無理だろう。
それ以外の状況で、当人の意思とは無視して脱がそうとすることも普通は考えられないし、損壊の意思を持っている時点で、その罪が確定する。
「ふぐぅ……」
想像したのか、栞が奇妙な声を出す。
「でも、わたしには護衛がいるし、大神官さまだって常に付き添ってくれているのに……」
「あのな? お前の意思を無視して汚い手段を選ぶ人間が、いつもこちらの思う通りに動いてくれると思うなよ?」
兄貴だって、大神官だって、オレだっていろいろなや知恵を尽くしている。
だが、それらを出し抜くのは、いつだって、予想外の手段なのだ。
「『音を聞く島』のように、普通では考えられない手段を持つ輩だっているんだ」
敵が常識的な思考を持つ人間ならば、ある程度、行動の予測はできる。
だが、型に嵌らない存在はどうしたっているのだ。
オレや兄貴は、精霊族である綾歌族に不覚を取った。
呑気に寝こけて、主人の身を危険に晒してしまったのだ。
無事だったのは、偏に運が良かったとしか言いようがないほどに。
栞もそれを思い出したのか、自分を護るように両腕を組んだ。
変な沈黙が部屋に落ちる。
怖がらせたかったわけでも、気を重くさせたかったわけでもない。
ただ、現状は知っておく必要があっただけだ。
「でも、そんな効果がこの『神足絆』にあるなら、できるだけ身に着けていた方が良いな」
オレがいつも、栞の傍に居られるとは限らない。
だから、大神官もそんな機能が付いた物を栞に渡した可能性はある。
オレたちが栞から離れるのは、「聖女の卵」として、神官たち以外が立ち寄れない場に行く時だけだ。
そして、そんな時は大神官にも役割がある。
幸い、これまでにはなかったが、大神官の注意を引き付けておいて、強引に栞に手を出そうとする阿呆がいてもおかしくはないのだ。
ある程度は、栞自身の「魔気の護り」が護れるが、そればかりでは駄目だと判断したということだろう。
「それは、こんな風にコンテナハウス内でも?」
栞が不安そうに尋ねる。
「あ? いや、ここにそんなヤツは来れないから、身に着ける必要はねえぞ」
兄貴特製の過剰防衛が働いている。
だから、兄貴自身も簡単には来ない。
わざわざ魔法力を大量に消費して、夢の中で接触し、口頭報告を受けるのはそのためだ。
そんなオレの言葉に対して……。
「そっか」
小さく、だが、嬉しそうに栞は微笑んだのだった。
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