神の背中には羽がある
「神子装束はどうなるかな?」
法力国家の王族である若宮から、オレに渡された服は、単なるコスプレ衣装以上の意味があったらしい。
普通に働いても買えるかどうか分からないような代物だった。
それを考えれば、「聖女の卵」である栞に、大神官が自ずから渡した服の価値や特性など、予想もできないだろう。
「やってみるか?」
「うん」
栞は袋に手を入れて、平たい箱を引っ張り出す。
「おや」
そして、意外そうな呟きを漏らした後、箱をじっと見つめていた。
その口元には少しだけ笑みが浮かんでいる。
どうやら、何らかの思い入れがあるもののようだが、横からその箱を覗き込んでも、見覚えがないものだった。
杏色のような淡い橙色の衣装は、栞にしては珍しい色だ。
シルヴァーレン大陸の象徴色である橙色系統の色を栞に身に着けさせる機会はあまりない。
シルヴァーレン大陸と、「聖女の卵」の繋がりをできるだけ外部に知らしめないようにするためだ。
だから、その色を大神官が選ぶのはかなり珍しい気がした。
「こんなの持っていたか?」
「うん」
栞が眉を下げながら、答える。
「特別な儀式のために作ってもらった『神装』だよ。『神子装束』よりも上位の服かな」
ああ、なるほど。
オレが見たことがないはずだ。
栞は何度か、オレの知らないところで、大神官に付き添われて儀式に参加している。
神官、神女以外は参加できない儀式と言われてしまっては、「聖女の卵」の護衛であっても、オレや兄貴はその任務から外される。
オレたちに法力が無い以上、誤魔化すことはできない。
だから、大神官が一時も離れず、「聖女の卵」たちを護ってくれていると、もう一人の「聖女の卵」が教えてくれた。
だから、この衣装もそんな知らない儀式の一つで使われた物だろう。
「大神官さま特製だからね」
そう言いながら、箱から丁寧な手つきでその衣装を取り出して広げる。
「でも、雄也さんは知っているよ」
なるほど。
大神官は何らかの理由でその色を選ぶ際に、兄貴に打診したのだろう。
ストレリチア城に、王女殿下の意向で滞在していた時期、特に初期はオレもまだ護衛の自覚が薄かった。
大神官が相談相手に兄貴を選ぶのは当然だと言える。
だが、今なら、少しは選んでもらえるだろうか?
「いつも見ている神子装束とは随分雰囲気が違うな」
オレがこれまで見てきた神子装束のほとんどは、丈が短くて広がりやすく可愛らしいものが多かった。
だが、これは、他の神女たちが身に着けても遜色がないほど丈が長く、これまで見てきた「導きの聖女の卵」が身に纏ってきた物とは明らかに方向性が違うものだった。
「大人っぽいでしょう?」
栞は胸を張って嬉しそうにする。
ああ、なるほど。
いつも若宮から渡されていた神子装束は、可愛らしい服が多いからな。
「大人っぽいかどうかは分からんが、若宮の趣味にしては落ち着いているとは思う」
本来、大事な物であるはずの「神子装束」は、法力国家の王女殿下の意向が大いに反映されている物ばかりだった。
その辺り、大神官はあの女に甘すぎると言いたい。
だが、選ばれた「神子装束」のほとんどは、儀式の趣旨からは外れておらず、しかも他の神官たちにも受けが良いために、大神官も反対の理由はないらしい。
だから、あの女が調子に乗ることになるのだ。
「これは完全に大神官さまの意匠だからね。ワカは関わっていないんだよ」
「若宮が関わっていない。そんなに大事な儀式だったのか?」
「うん」
つまり、この「神装」とやらは、大神官の趣味らしい。
よく見ると裾というか、両サイドに大きな切れ込みが入っている。
ちょっと待て?
大人しい意匠に見えるが、結構、身体の線は分かる。
確かにこの下から素肌が見えないように着るのがストレリチアだが、これでは太もものラインははっきりと分かるだろう。
なんだ?
大神官も、誰の目にも分かりやすい露出よりも、さり気なく見える方が好きなタイプか?
そんなこと、知りたくねえよ!!
「何?」
「いや、そうだよな。お前は『聖女の卵』だもんな。オレの知らないことだってあるか」
そう自分に言い聞かせるしかない。
この「神装」を身に着けた「聖女の卵」の姿を見たのは、大神官だけであって欲しいと願いながら。
「どうしても、内密にしなければいけないことはあるからね。そこは許して欲しいかな」
栞は困ったように笑った。
オレに隠し事をしたいわけではないようだ。
本気で隠す気があれば、オレしかいない場でこの服を見せる必要性もないだろう。
「多分、わたしが持っている服の中で、一番、神力が籠っているのがこの『神装』だと思う」
「最上位か」
「今のところ、そうなるね」
なるほど。
オレが若宮から渡されたコスプレ衣装と比較するにはもってこいの教材らしい。
「これも神子装束と同じく、何枚か重ねて着るのが普通かな」
「なんで、神子装束といい、その『神装』といい、何枚も着るんだろうな」
栞はさらりと着こなしているが、ひらひらした服が何枚も重なっていると、大変そうだと毎回思っている。
神子装束を着用する際は、何人かの付き添いを必要とするらしいが、栞はほとんど一人で身に着けるらしい。
一人で着るのが難しそうな時は、法力国家の王女殿下やもう一人の「聖女の卵」、それに大神官が手伝ってくれるそうだ。
同性である若宮や、もう一人の「聖女の卵」はともかく、異性である大神官に手伝わせるというのはどうなのだろうか?
どれだけ心臓が太いのだ?
「十二単みたいなもんじゃないかな」
「それは絶対違う」
人間界の重そうな着物を思い出す。
オレは飾られている雛人形でしか見たことがないが、生地の厚みやその質感から、実物もかなりの重量だと予測している。
「そう? 一つ一つに意味があるというところは同じようなものだよ」
その意味を教えられている「聖女の卵」はけろりとした顔でそう口にした。
「神子装束」はともかく、十二単の意味まで知っているのだろうか?
「そんなわけで、まとめて識別? 分解して識別?」
「分解って言うなよ。まるで、服をバラすみたいじゃねえか」
言いたいことは分かるが、これらの服を解いて、さらに作り直す自信はない。
「えっと、分別?」
「それも何か違わねえか?」
どうやら、上手く言葉にできないらしい。
語彙が豊富な栞にしては珍しいとは思うが、いや、豊富すぎて適切な表現が思い浮かばないのだろうか?
「一式識別より先に個別識別をした方が面白い結果が出そうだとは思うな」
オレがそう口にすると、栞が一瞬、目を見開いて、少しだけ唇を尖らせる。
「全体識別よりも、分離識別ってことだね」
「わざわざ言い直さなくても……」
どうやら、何かを刺激してしまったらしい。
その可愛らしい表情にオレは苦笑いをする。
栞が不満をはっきりと伝えるのは、オレだけだ。
兄貴や水尾さん、若宮にもそこまで露骨な表情は見せない。
「だが、個人的にはどちらもやって欲しい」
オレがそう口にすると……。
「分かった」
一瞬で栞の機嫌が直った。
「じゃあ、この『神装』の一番上、神子装束で言う『神御衣』から、識別しようかな」
杏色の服を広げてゆらゆらと揺らしながら、栞は耳慣れない言葉を口にする。
「『神御衣』?」
「神子装束の最上衣のことだね。でも、『神装』だと名称が違うかもしれない」
そう言って、さらに何枚もある神子装束の説明をしてくれる。
神子装束なら、一番上に「神御衣」と呼ばれる服。
これが先ほど見た杏色の服。
それを止める帯である『神帯』。
見た目はその……、幼稚園、小学生が祭りで着る浴衣を結ぶひらひらした帯に似ている。
その下に重ねる薄い布地の『神表衣』。
あまりにも薄い素材で、下に着ていることも気付けないだろう。
さらに下に着る『神袿』と『神衣』、「神足絆」と呼ばれるものがあるらしい。
いつもそんなに着ているとは思わなかった。
これは女だからなのか、神子だからなのかが分からない。
確かに十二単に例えたくなった栞の気持ちも分かる気がした。
それ以外にも靴や、装飾品を身に着けるのだから、栞はどれだけ大変だったのだろうか?
「いつも着る『神子装束』の場合、「神御衣」の下に着る『神表衣』、『神袿』、『神衣』の背中がかなり開くんだよね」
「ああ、そんな感じだったな」
「神子装束」の一番上に着ている「神御衣」とやらは、若宮が選んでおり、濃い色の物が多く透ける素材ではなかったが、それでもその布地は薄く、背中の護りの頼りなさは気になっていた。
兄貴やオレが付き添うことを許されている時は、さり気なくその背後に立って、できるだけ栞の無防備な背が、他の人間の目に触れないような努力をしたものだ。
まだ自覚前の頃だ。
だから、オレはそこまでじろじろ見てねえ!!
たまにちらっと見ていたぐらいだ。
だが、今ならしっかりと見てしまう気がしている。
さらに、それに気付いた兄貴から、しっかりと遠ざけられるような気もしている。
「でも、この『神装』の時に渡された『神表衣』と『神袿』は背中がほとんど開いてないんだよ」
着る服についてそう語る栞は珍しい。
基本的に「お洒落」と呼ばれる物にそこまで興味を示していないように見えるから。
でも、この様子だと、全く興味がないわけではないらしい。
「難しいことは分からんが、上着の背中が開いているのは何か意味があるのか?」
「神子装束の背中が開いているのは、神の御羽を意識しているとは聞いているよ」
神の背には羽がある。
だから、背中を開ける必要があるのだと栞は言う。
「そして、神子は神に最も近い人類だというのが背中を開ける理由だってさ」
なるほど、一見、筋は通っている。
だが……。
「その割に、大神官の神官装束は全く開いてない気がするのだが……」
この世界で最も神力が強い人間がそれを護らない理由が不思議である。
「まあ、神子装束の背中を開けさせたがるのは、ワカや神官たちだからね」
栞が目を逸らしながら、そう言った。
彼女自身、いろいろと思うところがあるらしい。
「やっぱり、あの国、王女殿下を含めて変態しかいねえ」
「いや、そこで王女殿下を含めないでよ」
だが、そう言いながら、栞もそれ以上は何も言わなかったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




