神装
「識別」
ルーペを構えてこの言葉を口にするのはもう何度目か?
三桁は間違いなくいったと思うけれど、具体的な数字は九十九にしか分からない。
そして、表示されたふきだしを見て、思わず自分でも顔を顰めてしまったのは分かった。
「どうした?」
わたしの表情の変化に気付いた九十九が問いかけてくる。
「紙と筆記具」
「分かった」
要望にもなっていない言葉だけで、九十九は理解してくれる。
差し出された紙と筆記具を使って、わたしはふきだしに書かれている文字をメモした。
ルーペの補助を使ったわたしの識別魔法は、あまり長い時間、その結果を記憶していることができないことが分かっている。
だから、メモは大事なのだ。
「【導キノ神御衣】導キノ女神ノ加護ヲ得タ衣。身ニ纏ツタ魂ニ神力ヲ分ケ与エル。導キノ女神ノ加護ヲ持ツ魂ノミ身ニ纏ウ事ヲ許ス」
目に視えた物をそのまま、書きつけて、読み返す。
これ、なんですの?
「『導きの神御衣。導きの女神の加護を得た衣。身に纏った魂に神力を分け与える。導きの女神の加護を持つ魂のみ身に纏う事を許す』……か。つまり、これも、お前限定装備ってことだな」
九十九がわたしのメモを読み返す。
「いやいやいや!! そこで納得しないで!?」
「もともとお前しか着ないからそこまで慌てることもないだろ?」
「それはそうなんだけど……」
そんな御大層なものだとも思っていなかった。
「でも、これって、神力が強化されるってことだよね?」
恭哉兄ちゃんはわたしが「聖女の卵」になったことすら、気にしているような人だった。
だから、神力の強化を望んでいるとは思わなかったのに……。
「大神官猊下の意思ではなく、『神装』自体にその効果があるのかもしれん。今度、聞いてみろ」
「そうだね」
ここで思い悩んでも仕方がないのは確かだ。
「ふきだしの状態は?」
「ミタマレイルを識別した時と似ている。でも文字まで今度は橙色だ」
向こうが透ける橙色のふきだしに、今回は文字までもが濃い橙色だった。
ちょっと目に痛いし、読みにくい。
そして、その後に識別した「神帯」や、「神表衣」までは、やはりあの読みにくい漢字と片仮名交じりの文字表記に、同じ色合いのふきだしが出現する。
書いている内容も最初の「導きの神帯」、「導きの神表衣」の違いしかない。
だけど、その後に識別した「神袿」、「神衣」、「神足絆」はちょっと表記が変わっていた。
「【双月宮の神袿〔橙〕】。ストレリチア製。法糸で織られた布で作られ、神子装束の神表衣の下に一枚から最大十二枚重ねて着用する。装備した者の風属性の魔法効果及び魔法耐性を向上。魔法力回復効果・小。法力耐性・大。神力耐性・小。導きの聖女(の卵)専用装備」
ルーペ越しに視えたままの言葉を書き出す。
しかし、お久しぶりの青いふきだしに白い文字。
いや、問題は内容だね。
再び、なんですの、これ?
「ふきだしの状態は?」
「青地に白い文字」
「なるほど」
九十九が考え込む。
彼は、わたしが気付かない何かに気付いただろうか?
「この『法糸』? は何か知っているか?」
「大神官さまが法力だけで作ってくれるこの法珠のように、法力だけで作られた糸のこと……、だったと思う」
わたしは九十九に左手首の御守りを見せながら、そう答えた。
上神官になるためにはその法珠と法糸を作れないといけないらしい。
特に法糸は、自分の神官礼装……、正装を作るために必要だとも聞いている。
でも……。
「なんでこの神袿は、橙色の生地でもないのに『橙』って言葉が入っているんだろうね?」
わたしが視た神袿は、薄い紺色だった。
橙要素は欠片もない。
「多分、この場合の『橙』は色を差すのではないんだろうな」
「ふ?」
だが、九十九はそんなことを言った。
色ではない?
色以外の「橙」って、どういうこと?
人間界の植物?
「残りの神装も視てみろ」
「分かった」
彼に促されるまま、次の神装を視る。
「識別」
次に視たのは水着代わりにもできる神衣だった。
「【双月宮の神衣〔橙〕】。ストレリチア製。法糸で織られた布で作られ、素肌に直接身に着けることで、自身の法力や神力を高めることができる。装備した者の風属性の魔法効果及び魔法耐性を向上。耐水性・大。魔法力回復効果・小。法力耐性・大。神力耐性・小。導きの聖女(の卵)専用装備」
この神衣も橙色ではないが、やはり「橙」の表記がある。
これはどういうことだろう?
「素肌……。これって、まさか、下着のようなものか?」
神衣を見ながら、九十九がなんとも言えない目線をわたしに向けた。
やはり、気付いたらしい。
「日本語的には、肌衣とも言う」
「つまり、普通なら男のオレに見せるものではないよな?」
「でも、この神衣は『神装』の一部だから、仕方なくない? 全部を識別するって話だったでしょう?」
この神衣は確かに肌着の一種ではあるが、「神装」の一部でもある。
全装備を個別識別するなら、これは仕方ないだろう。
だが、この様子では、神衣は水着としても使用できるし、使用したことが既にあるとも言えなくなった。
九十九の前で着た神衣よりも布面積は広く、そして薄いけれど、彼がそのことに気付く可能性はあるかもしれない。
「そうは言ってもなあ……」
お堅いところのある九十九はやはり、どこか納得できないようだ。
別に扇情的で露出過多な下着を見せているわけではないが、やはり、肌着……、下着の一種という部分が引っかかるらしい。
人間界の水着であるビキニとかの方がよっぽど、下着っぽいんだけどね。
「それに、これをわたしに下さったのは、男性である大神官さまです」
「そうだったな」
そもそも、「神装」にしても、「神子装束」にしても、神官や神女以外が準備することなどできない。
専門業者に頼むにしても、ツテは必要となる。
そして、わたしが「聖女の卵」であることを知っている人間は限られているのだ。
だから、これらについては、ある程度、大神官に頼ることになるのは諦めて欲しい。
「それに、これって結局のところ、スポーツウェアみたいなものだよ」
そうじゃなければ、流石にわたしも九十九の前で、これだけの姿にならない。
水着やスポーツウェアだと思うから大丈夫なのだ。
「世の中にはそれだけで興奮できる変態もいる」
「あなたもそうなの?」
レオタードだけで興奮できるって、結構、上級者向けだと思うけど……。
「……違え」
それなら良かった。
「これをあなたの目に晒すのは今回だけだから、大丈夫だよ」
「そうしてくれ。これだけで興奮する予定はないが、流石に気まずい」
それは確かに。
「じゃあ、あなたの前で、下着の識別は止めておこう」
「……する気があったのか?」
「最終的に今の所持品、全てを識別することになるなら、その可能性はあるかなとは思っていた」
「それなら、下着系は、オレの目の前で識別するのは止めてくれ」
「結果報告は?」
「……要らん」
それなら、識別する意味もない気がする。
そんなわたしの目線に気付いたのか……。
「いや、変わった結果があったらそれだけは教えてくれ」
そう言い直した。
いろいろと思うところはあっても、やはり、この護衛青年は検証すること自体は好きらしい。
「それじゃあ、最後に『神足絆』を単体で識別するよ」
そう言って箱から取り出す。
「ちょっと待て」
九十九が額に手を当てて俯いた。
「何?」
「オレは人間界で、コレと似たようなモノを見たことがある気がするのだが……」
「タイツみたいなものだからね」
この「神足絆」は、「神衣」の上に穿くが、基本的に女性は素足禁止なストレリチアでは必需品となる。
神子装束、神装だけでなく、神女装束としても大切なのだ。
因みに神官装束には要らない。
男性は、もともとズボンスタイルだからね。
「いや、もっとこう……」
九十九が言いにくそうにしている。
まあ、年頃の青年はあまり縁がない言葉だし、ちょっと口にしづらい言葉でもある。
「パンストに似ているよね」
「それだ!!」
人間界名:パンスト。
正式名称は和製英語であるパンティーストッキング。
タイツ型のストッキングのことである。
確かにタイツだが、この薄さはまさにストッキングの名にふさわしいだろう。
そして、ちょっと真面目系なお年頃の青年にとっては、口にしにくい言葉かもしれない。
だが、とある少年漫画で、この略称を自分の名の一部とされた青年の改名を巡って一騒動という話があり、そのために、九十九と同年代の殿方たちがかなり連呼していたので、わたしはそこまで意識していなかったのだ。
「これも、確かに殿方の前に出すのはちょっとアレかもしれないけど、『神装』の一部として出してしまったから、このまま識別するね」
「おお」
そう言いながらわたしは「識別」と唱えて、その結果を書き記す。
出たふきだしはやはり青地に白い文字。
だが……。
「やってくれるな、大神官猊下」
その内容を見た九十九は苦味のある笑いを浮かべながらそう呟いたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




