父親が残したもの
「他に聞きたいことは?」
いつもの黒髪、黒い瞳を、濃藍の髪、翡翠の瞳に変えた女は楽しそうに微笑む。
「大方、オレが気になったことは聞いたかな」
本当はもっといろいろと突っ込みたい。
特に彼女が視る「過去視」の内容だ。
栞は、「聖女」とその「恋人」であったイースターカクタスの王子との逢瀬とやらを何度も視せられていたらしい。
それも、人目を避けて「イチャイチャ」していたというのだから、かなり仲睦まじい様子だったのだろう。
しかも、その後、その聖女が子を産んでいるのなら、そういった行為を見せられている可能性も否定できない。
だが、もしもそうだったなら、その内容について、細かく掘り下げようとするのもどうかという話だ。
オレにそんな趣味はねえ。
単に、栞がそんな夢を見せられて、それによって不快な思いをしていなければどうでも良いのだ。
尤も、兄貴が言うには彼女は自分の夢をあまり覚えていられない体質らしい。
普通の夢ならともかく、実際に起こった過去や起こる可能性が高い未来を夢に視る「夢視」で視た夢までほとんど覚えていないのは珍しいとも。
何千年規模の過去まで自身の魔力を飛ばす代価である可能性が高いとも言っていたが。
だから、その聖女が恋人と仲良くしていたところで、栞自身は詳細を覚えていない気はしている。
起きた時の感覚で「なんとなくこんな感じの夢を視た」というだけで、「こんな夢を視てきた」ではないのだろう。
だが、その夢の一端を口にしただけで、彼女は切なそうな顔をした。
それだけが妙に引っかかっている。
そして、当時のイースターカクタスの王子も今の情報国家の王子と同じ髪色と瞳の色だったことも。
銀色の髪に青い瞳。
それは、オレの祖神と思われる努力の神ティオフェと同じ色合いだということでもある。
栞は前々から、その努力の神に対して不思議な熱を持っている気がしていた。
そうなると、彼女がその神を気にするのはその辺りにあるのではないだろうか?
そう考えると、かなりモヤっとしたものを覚える。
いや、当人に聞いて確かめれば良いだけの話だが、それはちょっとできなかった。
彼女自身から肯定されても、否定されても、モヤモヤは止まらないだろうから。
「湖の魔法陣については何か分かった?」
「ああ、お前が識別してくれたあの魔法陣は、『延胎魔法』の契約用のものだったらしい」
耳慣れない魔法だ。
少なくとも、オレは知らない。
それがどんな効果を発揮する魔法なのかも。
だが、兄貴なら知っているだろう。
「なんで、あなたのお父さんの魔力の気配があったのかは分かった?」
「多分、魔法陣を描く時に使った魔石に使った魔法だろうな。『防水魔法』、『劣化防止魔法』が使われていたらしいから」
魔法陣を描く際、魔石を使うことは珍しくない。
だが、水中に魔法陣を描くなんてことは、普通はしない。
この世界の魔法を契約する時は、オレたちのように旅をする人間でない限り、ほとんどが自分の家にある「契約の間」で行うためだ。
そして、魔石の中には短時間でも水に浸けると劣化してしまうものもある。
だから、短時間ならともかく、年を越えるほどの長期間となれば、防水魔法や劣化防止魔法を使うことは珍しくないのだが、どれだけ万全を期した契約魔法だったのだろうか?
少なくとも、父が生きていたのは15年以上も昔の話だ。
いくら水に強い魔石でも限度はある。
あの父は、どれだけ魔力が強かったんだろう?
そして、自分の父親に付いて、オレはそんなことも知らないのだ。
「なんでわざわざ湖に魔法陣を描いたんだろうね?」
オレの思考を断つように、栞はそんな根本的な問いかけをする。
「さあな」
聞き覚えのない不思議な魔法。
そして、湖の中にその契約の魔法陣はあったのだ。
これまで何度のあの湖の中に叩き込まれても気付くことはなかったのに、それが、今、見つかったのは何故だろう?
「隠したい魔法陣だったのかもな」
「ありゃ。それは見つけない方が良かったかな?」
そんなどこか惚けたことを言う、見つけた張本人。
そうだ。
あの魔法陣は、栞がいなければ見つけることはできなかった。
もしかして、栞がいなければ、見つからなかった?
「いや、見つかって良かったと思う」
少なくとも、オレはそう思っている。
「父親の唯一の痕跡だからな」
「唯一?」
「父親が生きていた時にあった物は全て燃やした」
もう何もないと思っていた。
この場所に何も残さないつもりで、兄貴はこの場所にあったオレたちの家に火をつけたのだ。
当時のオレはその意味に理由も分からなかったが、ミヤドリードに手を繋がれ、自分の生まれ育った場所が燃えていく様を見ていたことだけは覚えている。
「いやいや、何言ってるの?」
「あ?」
「あなたと雄也さんのお父さんが残したものは他にもあるじゃないか」
「お前こそ、何を言っている?」
彼女に当時の記憶はない。
いや、シオリであっても、この場所にオレたちが住んでいたことや、それを兄貴が燃やしたことは知らない。
知る必要のないことだった。
だから、ここであの時、どんなやり取りがあって、兄貴がどんな気持ちで焼き尽くしているのか知らないはずなのに。
「あれ? 本当に気付いていない?」
「何の話だ?」
「あなたと雄也さんのお父さんが残したモノって、あなたたち兄弟がいるでしょう?」
そんな当然のように口にされた栞の言葉に、オレの思考が一瞬だけ完全に止まった気がした。
何もないと思っていた。
あの父親が残した物、遺せたものなど何一つないと。
父親と過ごした場所を焼き尽くしたあの日から、オレたち兄弟はそれまで生きてきた過去を捨てたようなものだと思っていたのに。
だが、栞の言う通りだ。
あの父親が残した血は、ここに在る。
「多分、一番、遺したかったものだと思うよ」
彼女はそう言って笑うが、オレはそこまで楽観的な思考になることはできない。
「そして、そのおかげで昔のワタシも今のわたしも生きている。感謝しかないよね」
それでも、栞が嬉しそうに手を合わせながらそう言うから、オレは余計なことを口にすることはできなくなった。
その父親が残したオレだって、シオリにも栞にも救われているのに。
多分、兄貴も同じだろう。
感謝するのはこっちの方だ。
オレたちがこれまで彼女にしてきたことなんて、本当に些細なことで、誰でもできるようなことばかりだ。
それでも必要だと言ってくれる。
「あと、多分、雄也さんのことだから、こっそり持っているんじゃないかな」
「あ?」
栞の言葉に、別の意味で思考が停止した気がした。
「あの雄也さんだよ? 保険的な意味で、重要な書類は保管している気がする」
「いや、当時、四歳だぞ?」
いくらなんでもそれは、そう思いかけて、別の存在を思い出す。
この場所にあった住居を燃やしたことを知っている人間は誰だ?
燃やした本人と、それを見ていたオレと、ミヤ?
「九十九たちは、ここに昔、住んでいたんだよね? それを知っていたのは?」
「兄貴とオレ、それに、城に行った後はミヤドリードにも伝えて……」
それに千歳さんも知っているはずだ。
オレの乳母をやってくれたわけだから。
「そのミヤドリードさんの出身地は?」
「情報……、国家……」
栞に促されるまま、導かれるままに答えを紡いでいく。
「しかも王妹殿下だよね?」
当時はどうだっただろうか?
いや、問題はそこではない。
「情報国家の人間なら、情報を秘匿する大切さも当然だけど、一度失ったものを修復することの難しさも知っているはずだよね?」
その通りだ。
オレはなんで、そこに思い当らなかった?
兄貴が隠し持たなくても、あの場にいたミヤドリードが持っていた可能性はあったのに。
そして、それを兄貴が引き継いだ可能性も。
「まあ、可能性の話だけど。本当にきれいさっぱり消したかもしれないし」
だが、栞の言葉には説得力があり過ぎる。
そして、当時、そこまで物を考えられなかった幼児を丸め込むことも、今以上に簡単だっただろう。
「兄貴に確認してみる」
「そうだね。それが一番だと思う」
尤も、あの兄貴のことだ。
簡単には本当のことを言ってくれないだろう。
だが、オレもあの頃とは違う。
少しはマシになっているはずだ。
勿論、下準備もなしに話をすすめようとは思っていない。
相応の準備がいる。
オレはそんな風に決意を新たにするのだった。
この話で101章が終わります。
次話から第102章「再会を前にして」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




