誰にでも使える魔法
「こうやって倒れるまでこっちも気付けないんだよな。大丈夫だって言われたら、信じるしかないんだから」
水尾はそう言って、大きく溜息を吐いた。
その顔は懐かしいことでも思い出しているのか、九十九を見ながら少しだけ微笑んでいる。
「……ところで、水尾先輩」
「ん?」
「わたしは、いつまでこうしていれば良いのでしょうか?」
九十九は崩れ落ちると同時に、栞に寄りかかり、そのまま彼女に頭を預けた。
位置的に鎖骨……、いや、胸元と言っていい場所に。
「ああ、下手に動かすと流石に起きそうだよな。でも、起きたらまた同じことの繰り返しだと思うぞ。それに、そこなら膝枕より足が痺れないと思うが?」
「い、いや……、それでも……」
栞が戸惑うのも無理はない。
不意に倒れてきたために、伸ばしていた手でその身体を押さえ、そのまま抱き止めてしまったのだ。
手を緩めればそのままずるっと、下にずれ落ちることが予測されたため、力を抜くこともできず、本人も疲れていたこともあって、ぷるぷると栞の腕も震えている。
「高田はちゃんとクッションがあるから良いよなあ。私だと倒れた衝撃をそんなに優しく吸収できない。この鎖骨か胸骨に当たって起こしてしまっただろう」
そう言いながら、水尾は自分の胸を叩く。
水尾は痩せ型で筋肉がうっすらとあり、女性らしく起伏にとんだ体型ではない。
勿論、それでも男性の身体とは全然違うのだが。
「いえいえ、そういう話ではなくて……」
「とりあえず、少年が起きるまで、このまま私が見張りは引き受けるけど、高田はどうする?」
ニヤニヤと笑う水尾を見て、栞はようやくからかわれていることに気付いた。
「だから、動けないって言ってるじゃないですかああああああああああああああっ!!」
我を忘れたような声で思わず叫んでも栞は敬語を忘れない辺り、この二人の関係がよく分かるだろう。
それだけ、運動系の部活は上下関係がしっかり根付いているということか、単純に栞の性格によるものなのかは分からないが。
だが、水尾は口に人差し指を立てて、栞を諌める。
「静かに。少年が起きてしまう」
その原因を作った当人はいけしゃあしゃあと言うが、栞はぐっと口を閉じた。
彼女としても、九十九を起こす気はないだろう。
あるいは、この状況で彼に起きられると余計にややこしいことになってしまうことが分かっているのかもしれない。
「少年の組んだままの足がきつそうだな。後は……、そのままの状態を維持するか? それとも別の、肩や膝に少年の頭を置きなおすか? 私は見張りするから動きを制限されるのは困るし……」
「水尾先輩、楽しんでますよね?」
「当然だ。娯楽の少ないこの世界。身近な恋の話は立派な楽しみの一つ。あ~、でも自慢と惚気は勘弁だけどな」
そんな栞がどこかで聞いたことがあるようなことを水尾は言う。
「わたしと九十九はそんなんじゃないですよ」
ただの幼馴染だと言いながら、九十九の頭を栞は自分の太ももにゆっくりと動かした。
九十九は足を引かれて伸ばしても、座っていた体勢から眠る姿勢に変えられても、頭が置かれている枕の感触が変化してもその目を開かなかった。
「分かってる。それでも生活に潤いを。見た目が楽しければそれで良いんだよ」
「わたしや九十九で遊ばないでくださいよ」
「遊んでいるつもりはないんだがな。ところで、先ほどの種明かしは必要か?」
「いえ……。なんとなく分かりました。いろいろと疲れている九十九にアイマスクをしただけですね」
「そう。やり方は単純だけど、効果的だぞ。温めたアイマスクは酷使している目の疲れもとってくれるからな」
「水尾先輩から魔法と言われたら今の九十九は疑問を持たずに従うでしょうね。知らない魔法を知りたいと思う心理を利用したということでしょう?」
それも前日に、水尾が見せた魔法の教授が先にあったからこそ、より効果的だったといえるだろう。
九十九は自分の知らない魔法の可能性というものを知ってしまった。
彼のように、向上心や向学心があれば、新たな魔法を見る機会があれば見たくなるのは当然の流れだ。
「少年は基本的にある程度信用した人間を疑うことはしないみたいだからな。心を落ち着かせて、自ら目を閉じる……。これは、睡眠の基本だ。つまり、疲れている少年は自分から眠りに就いたんだよ」
「分かってしまえば単純な手なんですけどね。わたしはともかく、九十九がかかってしまうというところが、彼の疲労度を表している気がします」
自分の膝を枕にしている黒髪の少年を見ながら、栞は呟いた。
「私より、高田がやった方が効果的だしな」
「そうなんですか?」
「距離感の問題だな。出会って間もない人間が背後に立つってのは怖いだろう? それもどんな魔法を使うか分からないような人間だ。つまり、私では緊張するだろうし、警戒もさせてしまう。これは信用とかそう言うのじゃなく、本能的なモンだから当人でもどうしようもない」
確かにどんな武器を隠し持っているか分からない人間が自分の後ろに立つというのは恐ろしいものである。
当人がどんなにその凶器を使わないと口にしていたとしても、視界に入らない位置でいつでも自分に向けることができると分かっていて身構えないような人間は相当なバ……いや、無防備だとしか言いようがない。
「高田は元々少年の近くにいて、しかも魔法が使えない。だから、多少、何か企んだとしても少年に大きな害を与えることはできないだろう。魔界人には常日頃から防護膜である『魔気の護り』という魔力からできている護りもあるからな」
魔気というのは、本当に様々な場面で使われる言葉だと栞は思った。
この場合、意識せずに常に体内から放出され続けている自分の周囲にある魔力でできた膜のようなもののことだ。
魔力が強ければ強いほど、その護りも強くなる。
王族には、魔力を帯びていない刃物は通じないとまで言われているほどだ。
魔界人が人間より強靭な肉体を持っているように見えるのはこの魔力によるところもあるのだろう。
「それに……、高田のその暢気な声は全身の力を抜いてしまう。ある意味最高の癒しだよ」
「……褒められている気がしないのですが?」
「ええっ? すっげえ、褒めてるんだが……」
「それに……、九十九が起きたら怒る気がしますよ?」
「……怒る? 無茶をして、心配させておいて? 本来ならこちらが激怒したいところを穏便な手段にしてやったんだ。感謝して欲しいぐらいなんだがな」
「……そう言われてみると、そうですね……」
怒気を含んだ水尾の迫力に圧されたわけでもないが、栞自身も思うところがあるようで、納得した。
栞は、太ももに乗せている九十九の頭が重いのか、少しではあるが、位置を調整する回数が増えている。
「しかし……、高田もきつそうだな。仕方ない。残念だが、枕を出してやるか」
「あるなら、最初から出してくださいよ!」
「え~~? 男の憧れ、膝枕だよ~? 意識がないとは言え、やっぱり少しでも長くさせてあげたいじゃないか」
「その憧れとやらにはわたしの足という犠牲も伴うわけですが……」
「でも、高田も満更じゃなかったんじゃねえのか? 異性への膝枕」
「憧れがあったことに否定はしませんが、その場合、相手が『好きな異性』に限定されます。こんなお互いの意思を無視したものはカウントできませんよ」
年頃の娘にしては冷静に返す。
どうやら栞の中で、この状態は心をときめかすに至らないらしい。
水尾は肩を竦めた。
「頭、固いな~。あ、折角だから、少年の髪も撫でとくか? さっき触ったけれど、結構、もふもふっとして良い感触だったぞ?」
「……撫でませんよ」
栞ももう激しく突っ込む気力もない様子だった。
見たところ、足が限界らしい。
それも無理はないだろう。
昨日に引き続き、今日も朝から歩いていたため、足にかなりの疲労があったはずだから。
「さて、幸せ気分に浸れるロングな枕でも出すか」
「……先輩、そんなの持ってましたっけ?」
「ああ、部屋にあったのをちょっと拝借するだけだから」
そう言うと同時に水尾の手には枕と毛布のセットが握られていた。
「さすがに森の中で布団を敷くというのはできんからな。ま、気候的に風邪引くことはないだろう」
「ところで、ちょっと気になったのですが……、水尾先輩は人を眠らせる魔法というのは使えないのですか?」
「使えるよ。高田の母君が使ったヤツとは違うけれどな」
「それを使えば、さっきみたいに面倒なことをせずに眠らせることができたんじゃないんですか?」
「無理やり眠らせるより、自然に眠った方が気分も良くないか?」
「確かにそうですけど……」
「あと、対象を眠らせる魔法……、『誘眠魔法』は心に作用する魔法だから、精神力が強い相手ほど効果が薄いんだよ。眠らせるだけなら今の少年には効くだろうが、有効時間は短いと思う。それでは意味がないだろ?」
「あ~、精神力……。九十九は強そうですね」
魔法は精神力の強さがその威力、効果を左右する。
水尾も精神力は強いと自負しているが、九十九も弱いとは思えない。
本人の意思とは無関係に身体を操るというのは、相当、相手の心の強さを上回る必要があるのだ。
一番手っ取り早く確実なのは、相手の隙を衝くことだが、現在、兵たちに追われているという警戒態勢でもあり、そのためにいつでも対応しようとする臨戦態勢でもある。
そんな精神が高揚している状況では、精神系魔法はかき消されてしまう可能性もあった。
「あと、私があまり相手の望まないことを魔法で無理やり従わせるってのをしたくないんだよ。自分に害を与えたならともかく、どちらかというと少年には恩もあるから」
そう言って、水尾は頬に手を当て、深く溜息を吐く。
本当なら、こんな形で眠らさず、当人の意思で睡眠をしっかりとって欲しかったのだろう。
「いろいろと言いたいことはあるだろうけど……って、……あれ?」
水尾が振り返ると……、さっきまでそこに座って話をしていたはずの人間は、地に倒れ伏している。
何らかの魔法や術があったわけではない。
そんな事態があれば、起きていれば反応できる。
つまり……。
「ま、疲れているから、仕方ねえよな」
そう言って、水尾は二人に毛布をかけながら笑うしかないのだった。
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