記憶にございません
「お前に聞きたいことがいくつかあるんだが……」
消化に良さそうなメニューの夕食を終えた後、食器の片づけを手伝っている時に、九十九からこう切り出された。
「何?」
どこか考え込むような九十九。
「まず、ミタマレイルの識別結果は覚えているか?」
「やたらと漢字が多かったことだけは覚えているけど、その中身についてはさっぱり?」
アレを記憶できる気がしない。
はっきりと覚えているのは、ミタマが御魂と漢字変換されていたことぐらい?
「これは、お前があの時書いた識別結果だ」
そう言って、九十九は紙を差し出した。
あの時、書いた紙をとっておいてくれたらしい。
そして、その紙には、「【橙御魂戻留】。被子植物。真正双子葉類。御魂戻留目御魂戻留科御魂戻留属ノ植物。人類ノ魂ノ欠片ヲ吸収シ感毛ニ蓄エ正シキ所ヘ返還する性質ヲ持ツ。橙地ノ神水ニ依ツテ自生スル」と、一応、日本語表記ではあるのだけど、微妙に読みにくい文章が書かれている。
「こんなの書いたっけ?」
「なるほど。記憶にないんだな」
「ないな~」
ミタマレイルの識別結果はやたらと漢字が多かった覚えがある。
確かにそれを読んで九十九に伝えた覚えもある。
だけど、コレを書いた覚えがない。
でも、この字は間違いなくわたしの文字だ。
うぬ?
どういうこと?
「昨日、『カリサクチェイン』を識別した結果は?」
「えっと?」
確かにカリサクチェインと呼ばれる植物を視た覚えはある。
だけど、その内容については……。
「種が胃薬になる?」
「お前の識別結果は葉が胃痛の薬、種からは油が取れるというものだった」
よく覚えているなと感心する。
そして、逆にわたしはなんて忘れっぽいのだろうとも思う。
「生物分類階級については?」
「何、それ?」
「お前にも分かりやすく言うと、綱、目、科、属、種だな」
「哺乳類霊長目ヒト科ヒト属ホモ・サピエンスみたいな感じ?」
とりあえず、覚えているモノを口にする。
動物園にそんな言葉が書いてあった覚えがあるのだ。
だけど、九十九からは「綱」と言われたのに、「類」で答えてしまった。
でも、哺乳綱って言うっけ?
「ああ、大体あってる。では、識別したそのカリサクチェインの内容は覚えているか?」
「さっぱり」
正しくは、識別内容についてほとんど覚えていない。
あの後、大量に識別したからだろうか?
「つまり、お前の識別魔法は、時間制限があるか、お前が口にするまで、もしくは文字に書くまでが効果範囲ってことだな」
「ほむ?」
わたしが口にするか、もしくは文字に書くまでが効果範囲?
「意味が解らぬ」
「識別魔法については情報が少ないからなんとも言えないが、文字を読んだだけでなく、口にした物や書いたものについて、まったく記憶に残らないってことが不自然なんだよ」
「わたしの物覚えが悪いだけかもよ?」
少なくとも九十九や雄也さんほどの記憶力などは持っていない。
「識別魔法を使ったお前は、ほとんど噛まずに文字を読み上げている。流石にミタマレイルのように日本語として読みにくい物は迷ったが、それ以外は全く噛んでいないんだ」
「そうなの?」
「それすらも覚えてないよな?」
「言われてみれば、そうかも」
九十九から差し出される植物について、何も考えずに無心で識別魔法を使った覚えしかない。
「で、でも、『お風呂のお湯』の識別結果については覚えているよ?」
「あ?」
アレは忘れようもないほどの衝撃だったからかもしれないけど。
「えっと、『お風呂のお湯。温水魔法で浴槽に注がれたお湯。疲労回復効果。先にツクモが入っている』だったはず!」
「なるほど。実際はそんな結果だったのか」
何故か九十九が不思議な納得の仕方をした。
あれ?
確か、識別した直後にも言ったよね?
「因みに、もう一度、言えるか?」
「へ? うん。『お風呂のお湯。温水魔法で浴槽に注がれたお湯。疲労回復効果。先にツクモが入っている』だよね?」
何度、口にしても、微妙に恥ずかしさが残るこの識別結果の全文は何とかならないものだろうか?
だが、仕方ない。
この識別結果に関しては、一言一句、正確に思い出せてしまうのだから。
「お前が風呂に識別魔法を使った時と、それ以外の識別魔法の違いがあることに気付いているか?」
「ぬ?」
言われて考える……、までもなく。
「昨日、大量にやった識別は、道具を使ったけど、お風呂だけは道具を使わなかった?」
違いとしては単純なものだ。
寧ろ、それ以外の違いはない。
後は、「お風呂のお湯」の識別結果には、固有名称が出てきたことぐらいか?
「そうだな。だから、風呂は本来の魔法の効果。拡大鏡を使った識別は、一度限りの魔法具のようなものだと思ったが、それを口にしたお前を含めての効果ってことか」
「待って。意味が分からない」
……と言うか、結果を口にしたり、書いたりする自分の行動が、魔法の仕組みに組み込まれているってこと?
そんなことってあるの?
「オレも自分の考えがあっているかは分からん」
九十九も難しい顔をしてそう言った。
彼も自信はなく、推測の段階なのだろう。
「この辺りも要検証……か」
「それが本当なら、識別結果をすぐに記録すれば良いだけじゃないの?」
それなら、わたしが本当に識別の結果を忘れるとしても、問題はないと思う。
「それはお前が大変だろ?」
「そうだね。毎回、識別結果を記録するなら、あなたも大変になるし」
「あ?」
「ん?」
九十九の言葉にわたしがそう返答すると、彼が奇妙な顔をした。
「オレ?」
「あれ? 昨日みたいに毎回、あなたが記録してくれるんじゃないの?」
わたしはそのつもりだった。
実際、わたしが記録したのはミタマレイルについてだけだ。
それ以外の物は全て、九十九が記録している。
あれ?
これって、九十九に甘え過ぎ?
「それは勿論だが……」
「わたし、あなたや雄也以外の前で識別魔法を使う予定はなかったからな~」
そもそも、植物とかいろいろなものに対して、わたしはそこまでの興味を見出せないのだ。
でも、わたしの護衛たちはそういったモノに興味を示す血筋である。
だから、識別結果は残しておきたいかなとは思っている。
「でも、記録が面倒なら、識別魔法自体、使うつもりもないけど」
「それは勿体ない」
勿体ないのか。
やはり、情報国家の血筋と言うのは、そういったものに惹かれてしまうのだろう。
―――― 正しい情報の追求
まあ、わたしの識別結果が本当に正しいかは分からないけれど、それを含めて、九十九や雄也さんは楽しみそうな気はする。
「分かった。お前が識別魔法を使うのは、オレと兄貴の前だけなんだな?」
「うん」
「結果を忘れたりすることについて、不安はないか?」
「ないよ。寧ろ、識別した結果の全てを覚えておくのは無理じゃないかな」
そのために忘却機能がついているのかもしれない。
「お前が不安に思わなければ、それで良い」
どこまでも、わたしのことを考えてくれる護衛。
「お前が識別した結果については、オレがちゃんと記録してやる」
うむ。
頼もしい。
本来ならば、自分のことは自分でするべきだろう。
自分の識別結果は、自分で記録をして、纏めるのが筋だと自分でも思っている。
でも、昨日の、識別した結果を記録していく九十九の姿や表情を見ていると、その楽しみを取り上げるのも……、と思ってしまうのだ。
本当に凄く嬉しそうなのだ。
自分でも知らなかった情報が入っていると、驚きつつも受け入れる。
楽しそうに鼻歌を歌いながら、記録する。
時には不勉強だったと悔しがる。
わたしが口にする識別結果に一喜一憂する姿を見ていると、まるで、小学生の時の九十九を見ているようで、酷く懐かしい気分になってしまう。
あの頃は、今よりもずっと表情が豊かだった。
気付けば、子供だった黒髪の少年は、わたしよりもずっと大人になっている。
そのことが、酷く悔しいはずなのに、同時に、どこか誇らしい気持ちになってしまうのは何故だろうね?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




