水の中の魔法陣
湖の浅い場所で、わたしは魔石っぽいものを発見した。
だから、それを九十九が確認した上、移動魔法でその場所に連れて来られたのだけど……。
「魔法陣にあなたの父親の魔力?」
それは一体、どういうことだろうか?
いや、そもそも、彼の父親は、九十九が3歳の時に亡くなっていると聞いている。
つまり、この魔法陣を描いたのはそれよりももっと前の話と言うことになるのだ。
彼の年齢が18歳だから、少なくとも15年以上前ってことだろう。
「はっきりとは分からない。だが、そうとしか思えない」
迷っているようだが、九十九は確信しているらしい。
その魔法陣を描いたのは、自分の父親だと。
でも、確かにその可能性はある。
彼の父親は、この湖で天馬の世話をしていたわたしの母と会っていたらしいから。
「なんでこんな場所に魔法陣を描いたんだろうね?」
「信じるのか?」
「うん。ここであなたを疑う理由はないでしょう?」
九十九はわたしに嘘は言わない。
揶揄うことはあっても。
それに今の彼の表情を見て疑うなんて、かなり、疑い深い性格をしていないと無理だと思う。
「いや、オレの父親が死んだ年齢を知っているだろ? だから……」
ああ、年齢的にそんな頃の記憶が当てになるのかって話か。
「親子兄弟姉妹の魔力は自分に似ているから、感応症が働くでしょう? それに近しい感覚なんじゃないの?」
わたしは初めてセントポーリア国王陛下に会った時はその感覚がよく分からなかった。
魔力を封印されていたためだと思う。
だけど、魔力の封印を解放した後、あの方の魔法に触れて、なんとなく、懐かしさと心地よさを覚えたのだ。
体内魔気ではなく、魔法というもので感じると言うのもどうかという話ではあるのだけど。
「じゃあ、この下にある魔法陣を識別すれば良い?」
「あ、ああ」
水着だから水の中にいること自体は問題ないが、心構えもなく、いきなり水に放り込まれたのだ。
しかも、問答無用で。
それだけ、九十九が気になっているということだろう。
それなら、さっさとやった方が良い気がする。
「でも、問題があるんだよね」
「問題?」
「まず、水の中で文字が表示されると読みにくいってこと」
そもそも、わたしが水着に着替えたのだって、湖の識別をしようとしたためだ。
湖を識別すると、泳いでいかねばならないような位置に表示された識別結果をなんとかして自分の目で視るためである。
それを、今度は水中にある魔法陣の結果を確認することになった。
そして、厄介なことに、わたしの識別魔法を使った結果はルーペ越しに見た方が確実なのである。
水中でルーペを使うのは、初めての経験だ。
「他には?」
「今回は無詠唱しか方法がないって点だね」
水中で言葉を発することができない以上、それは仕方ない。
だが、今回の識別魔法を無詠唱で使ったことはまだないのだ。
多分、大丈夫だとは思うけど、全く不安がないわけでもない。
「なるほどな」
「でも、やってみるよ」
実際、ごちゃごちゃ考えたところで、やって結果を出すしかないのだ。
わたしの頭は難しいことを考えるようにできていない。
難しい理論とか理屈とかは全て、頼りになる護衛に任せる!!
だけど、九十九がこんなに気にしているのだから、とっとと結果を出そう。
「では、行きます!!」
「拡大鏡は?」
「さっき、パーカー着た時に首に付けておいたから大丈夫!!」
そう言いながら、わたしは水に潜った。
うん。
この透明度なら、大丈夫そうだ。
この湖の水は本当に綺麗だ。
そして、先ほどのようにキラキラした魔石たちが落ちている場所を見る。
これを魔法陣と判断した九十九は凄いと思う。
わたしは魔石が散らばっているように見えても、法則性に基づいて並んでいるようには見えないから。
先ほどと同じように摘まもうとしても、やはり触れない。
まるで幻のようにすり抜けてしまう。
だから、魔石だろうなとは思ったのだけど。
では……って、……これは……っ!?
「ぷはあっ!!」
わたしは慌てて浮上した。
「どうした!?」
それを見た九十九が少し離れた場所で反応する。
「息が苦しい!!」
考えてみれば、わたしはそんなに長く潜ったことがなかった。
「まあ、水中だもんな」
「もう一度、行く!!」
酸素ボンベが欲しい所だけど、恐らく、それは簡単には手に入らない貴重品だ。
それならば、それはもっと別の所で使うべきだろう。
余計な行動をしなければ、10秒ぐらいでできるはず!!
そう思って、心の中で「識別」と唱えてルーペを見る。
識別結果は、出た!!
やっぱり魔法陣にも有効だ!!
そして、思ったよりも大きく表示されている。
陸上で見た時はここまで大きくはなかった。
文字も歪んでいるけど、ちゃんと読めなくはない。
でも、この魔法陣って……、何?
文字は読んだ。
だけど、使いどころが分からない魔法だ。
こんなもの、九十九のお父さんは何を考えて契約したのだろうか?
いや、考えている暇はない。
もう既に結構、苦しい!!
「ぶはあっ!!」
さっきよりも豪快に飛び上がる。
「大丈夫か!?」
「大丈夫!!」
そして、忘れる前に九十九に伝えなきゃ!!
「『延胎魔法』の契約陣。生命の神と直接、契約を結ぶためのもの。防水魔法と劣化防止魔法を施した藍晶石、紫水晶を組み合わせて固定化させている」
「あ?」
「ま、魔法陣の識別結果!!」
「エンタイ魔法?」
確かに文字が分からないだろう。
「読み方は違うかもだけど、延びる、延長するの『延』の字に、胎児とか胎盤とかの『胎』の字!!」
忘れぬように一息で口にした瞬間、くらりとした。
「あ……?」
目の前が暗くなる。
まるで、幕が下りるように視界の上から黒いシミみたいなものが広がって……。
「栞!?」
そんな九十九の声を最後に、わたしは意識を手放したのだった。
****
目の前で倒れる栞を慌てて抱き留める。
今は水着姿だとか、そんなものはどうでも良かった。
そんな余計なことを考えられるはずがない。
これは、酸欠の症状ではなく、疲労の方だと思う。
酸欠で気を失うのは割と重度の症状だ。
体温の上昇は見られないし、何より、唇や指先にその目安となる藍青症が出ていない。
恐らくは、先ほどオレがやった六分刻耐久説教が響いているのだろう。
つまりは、オレのせいだ。
やはり、少しばかりやりすぎたらしい。
栞を抱きかかえたまま、移動する。
そして、岸にある荷物を収納した。
そのまま、いつものコンテナハウスに向かう。
コンテナハウスに入る前に、彼女の濡れた身体をどうにかしたいが、流石に身体を拭くことは憚られた。
意識を失っている相手でも、その温もりと柔らかさに触れればうっかり邪な気分になってしまうのが、健康的な男の本能だ。
そうなると、拭かずに、全身をタオルで包んで水を吸い取る方が良いだろう。
髪については、乾燥石でいつものように乾かす。
でも、顔ぐらいはオレが拭いてやりたい。
起こさないように、優しく柔らかく、細心の注意を払って栞の顔を撫でていく。
これまでの経験から少しぐらいの接触では目を覚まさないと分かっていても、緊張はする。
この状況でうっかり目を覚ましても、彼女の方は全く気にしないだろう。
寧ろ、礼を言われてしまう気がする。
それが分かっていても、自分の方に僅かでも欲がある以上、罪悪感が湧き起こるのは避けられない。
そのために、彼女を起こさないように慎重に事を進める。
だけど、まあ、ずっと触れていると、どうしてもいろいろな感情が押し寄せてくるわけで、こればかりはオレ自身にもどうにもならないらしい。
どれだけ精神修行を積めば、これらに耐えられるようになるのだろうか?
見ているだけで、抱き締めたくなる。
口付けをしたくなる。
それ以上のことをしたくもなる。
こんな感情、彼女の傍にいるためには邪魔なだけなのに。
そんなオレの気も知らずに眠り続ける栞を再び抱え直して、コンテナハウスに入る。
兄貴は何を考えて、オレに栞を任せた?
確かに「発情期」の心配はなくなったが、結局、似たような心配が残っていると知っているのに。
確かにあの双子の王女殿下たちに加えて、栞まで護るのは兄貴1人では手が足りないというのは理屈として理解できる。
だが、それならオレがセントポーリア城下に行きたいと言った時に、駄目だと言えば良いだけの話だろう。
「考えても無駄か」
兄貴の考えなど、当人にしか分からない。
それは当然だ。
だから、オレの気持ちも、誰にも分からないのだ。
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