相応の対価
「オレの背中なんて触っても面白くねえぞ?」
だから、ここで諦めて欲しいとそう願いつつも、オレは栞に背を向ける。
だが、オレの願いはいつだって叶わない。
「そうかな? かなり面白いと思うよ」
背後から聞こえるのはかなり喜色を含んだ主人の声だった。
どうやら、諦めてくれる気はないようだ。
こうなれば、オレも観念して、どこかに楽しみを見出すしかないだろう。
だが、この状況で楽しみを見出すのは少し難しい。
それならば、全てを終えた後で相応の対価を求めた方が良いかもしれない。
「どれぐらい触っても良いもの?」
「良識が許す限り」
「……良識か」
オレの言葉に栞は考え込んだ。
いや、待て?
まさか、良識が許さないような触り方をする予定だったのか?
そこで考え込まれると、オレの方が反応に困るわ!!
「触って良いのは、背中だけ?」
言われて思い出す。
「そう言えば、肩もだったな」
栞は先ほど「肩と背中」と口にしていた。
どれだけ資料を欲しているのか?
「上なら良い。下は止めろ」
流石に、下まで触られたら、正気でいられる自信はない。
半童貞、なめるな!!
その触り方によっては、オレは理性と本業をどこかに置き忘れてしまうことだろう。
「そりゃそうだ」
栞が苦笑する。
どうやら、本当に痴女的な思考ではなかったらしい。
考えてみれば、栞は絵を描くことが好きだが、元は漫画を描きたいと言っていた。
そして、一般的な漫画には下半身の詳細が描かれることはほとんどない。
年齢指定があるものだと描かれることもあるが、以前、栞の作品を見た限りでは、そんな路線にはほど遠い。
どちらかと言えば、ほのぼの日常系が合う。
そして、あの絵柄で年齢指定系の方に行っても困るし、なんとなく、それはオレがかなり嫌だった。
「じゃあ、今回は背中と肩ってことで」
「今回はって、なんだ!? 今回はって!! 次はねえぞ!?」
そう答えつつも、なんとなく、また「次」がある気がしている。
オレは栞に甘いから。
どうしても、彼女の望みを叶えたいと思ってしまうから。
何よりも、オレ以外に、栞はこんな阿呆な我儘を言わないと知っているから。
「良識の範囲内なら、何をしても良い?」
「妙に念を押す辺りに不穏な気配を感じる」
恐らくは探りを入れられているのだろう。
どこまで許されるか、と。
本心を言えば、何をしても許したい。
だが、それで栞の身に危険が無いと断言できないのが、半童貞の悲しい現実だ。
オレは彼女ほど、自分の理性を信じることができない。
いや、逆に言えば、何故、この女はオレを信じきっているのか?
一度は、危険な目に遭ったと言うのに。
「接触以外のことはしないつもりだよ」
「待て? 何故、言い換えた?」
先ほどまで「触れる」、「触る」としか聞いていなかったのに、この期に及んで、「接触」という、ちょっと意味深にとれる単語を使いやがった。
接触……、接して触れる。
いろいろ邪推してしまうじゃねえか!!
「考え過ぎ、考え過ぎ」
誰のせいで考え過ぎていると思っているんだ?
しかも、誤魔化すように明るく言う辺り、不安しかないんだが?
「そろそろ、あなたに触っても良い?」
少し甘さを含んだ問いかけに、それだけで、いろいろなモノが刺激されそうになる。
「なんだろう? 普通なら、女からこんなことを言われたら、男として嬉しいはずなのに、全く喜べないのは……」
女の方から触れたいと望まれるのは、ある意味、男冥利に尽きるというやつだろう。
しかも、今回、それを口にしているのが、自分の好きな女なのだ。
いろいろと滾ったり、迸ったりしたくなるのは当然だろう。
だが、明らかにこれは好意という甘い感情よりも、面白い物に対する興味や関心、悪く言えば、未知なるモノに対する好奇心の方が強いのだ。
全くもって嬉しくねえ!!
いや、オレだけっていう特別感はあるが、それを差し引いても素直に喜べねえ!!
だが、ここでオレが犠牲にならなければ、栞はガッカリすることだろう。
オレが駄目だから他の男に……、という性格ではないことも分かっている。
恐らく、同じ護衛である兄貴にだって、こんなことは頼めないはずだ。
オレだから、頼める。
オレだから、甘えられる。
そう信じたい。
尤も、あの兄貴なら、栞が望めば、オレよりももっとあっさり応える気もするけどな!!
「よし!!」
心は決まった。
もともと、オレの頭は深く考えるようにできてはいない。
「ぬ?」
「覚悟は決まった。存分に触れ!!」
そう言い切って胸を張る。
栞は少し、困惑していたようだが、動く気配があった。
頼むから、もっと、警戒してくれ。
この森……、いや、この湖には人が来ないことは分かっているだろう?
泣こうが喚こうが、魔力が弱い人間はここに来ることができないのだ。
そして、先ほどの栞の識別魔法でそれを確信することができた。
ふと、ミヤドリードが言っていたことを思い出す。
この湖は来る人間を選ぶ、と。
あの師がどこまでこの湖のことを知っていたかは分からないが、情報国家の王族であれば、オレたち以上にいろいろと知っていてもおかしくはないのだ。
「但し!!」
だから、できるだけ、声を張る。
栞が少しは警戒心を持つように。
「対価は貰う。万一、辱められたら、その分、やり返すからな」
「ほげ?」
「それを踏まえて存分に背中を堪能しろ」
ここまで言って、それでも阿呆な行動をするというのなら、オレにも考えがある。
好きな女のすることとは言っても、羞恥心や理性を総動員していろいろ耐えるのだ。
その労力の対価はちゃんと頂きたい。
……というよりも、寄越せ!!
「ああ、さらに付け加えるが……」
「ぬ?」
「その時、オレは一切、お前に触れない」
「ほげ?」
その言葉で、栞の動きが完全に止まった、
当然だろう。
栞は考え無しに見えて、実はかなり考え込む女だ。
だからこそ、思考が迷走して、オレたちが想像もできないようなことをしでかすのだが。
「どうする?」
できるだけ挑発的に尋ねる。
普通なら、罠を警戒するだろう。
だが、栞は罠を警戒した上で、好奇心が勝つ。
それは傲慢で無警戒というよりも、負けず嫌いで怖い物見たさという心理に近い。
罠だと分かっていても、オレは栞を危険に晒すようなことはしない。
彼女は、自分の命に危険がないことは分かっているのだ。
始めから火傷しないと分かっているなら、火中の栗を拾おうとしてもおかしくはないということだな。
「良し!! 受けて立つ」
案の定、栞はオレの挑発に乗ってしまう。
しかも、先に対価の内容を確かめもしない辺り、かなり迂闊としか言いようがない。
オレを信頼しすぎにも程があるだろう。
「そこで受けて立っちゃうのがお前だよな」
まあ、好都合だ。
栞が好き勝手するというのなら、オレも好き放題してやることに決めた。
後で泣かれても、はっきりと言ってやる。
―――― それを望んだのは、お前自身だろう?
まあ、それでも多少の抵抗はされるとは思う。
それでも、栞は理由があれば、いろいろなことを呑み込んで、我慢してしまうことをオレは知っている。
だから、ある程度のラインまでは譲歩してくれるだろう。
羞恥に顔を赤らめながらも、約束のためなら、耐えることを選んでくれる。
そして、オレの望みはそのギリギリを攻めることだ。
恐らく、大多数の男は同意してくれると思うが、惚れた女が、自分のために、涙目になりながらも顔を真っ赤に熟れさせてくれるって、かなり、極上のご褒美だよな?
「じゃあ、触るよ!!」
その気合の入り方は少し怖い。
だが、これに耐えたら、それなりのご褒美が待っていると思えば、かなりのことには耐えられるだろう。
「おお、好きなだけ触れ」
オレは強化魔法を自身に施した。
ここから先はできるだけ長く我慢した方が良い。
時間を延ばせば延ばすほど、オレが手にするモノが大きくなる。
さあ、我慢比べの始まりだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




