護る阿呆と護られる阿呆
「あ~、今日のメシも美味かったあ……」
野宿二日目の夜。
水尾は満面の笑みでそう口にした。
「お口にあったようで何よりです」
九十九はそう返事をしながら、保存食を包んでいた紙のようなものを集めると、次々にその形を消失させていく。
恐らくは魔法でどこかに移動させているのだろう。
栞はと言うと……、一日目と同様、その場に倒れ伏していた。
拳を握り締め、肩を震わせ、自分の体力の無さを呪うところまで、同じである。
一応、彼女の名誉のために言っておくと、栞は人間界にいる同じ年代の少女たちに比べれば、体力はある方に該当する。
但し、それはあくまで平均よりは少しだけ上にあるというだけで、本格的にスポーツを励んでいる少年少女たちに比べると、やはりお話にはならないレベルではあるのだが……。
魔界人は人間に比べ体力、筋力等様々な能力面において勝っている。
だから、一日に数十キロの距離をそれなりの速度で進んだとしても、水尾のように食欲があったり、九十九のようにあちこちと休む間もなく動き回ったりすることができても不思議ではないのだ。
勿論、それは疲れを知らないという話ではなく、休息を全く必要としないわけでもないのだが。
「ふむ……」
だからこそ、水尾は考えていた。
このままではいけないということは誰の目にも明らかなのだから。
「どうしました? 水尾先輩……」
なんとか身体を起こした栞が、動きを止めてじっと何かを見ている水尾に声をかけた。
「少年、ちょっとそこに座れ」
「へ?」
食べた後も全くじっとしていない九十九に指し示す。
「良いから、そこに座る」
「はぁ……」
否定の言葉を許さないような水尾の言葉に、九十九は黙って素直に従う。
昨日、水尾が九十九の前で使った魔法はこれまでの彼の知識にはない技術だった。
しかも彼女の言動から、この魔界では彼がまだ見たことも聞いたこともないようなことが多くありそうだということも分かった。
だから、九十九にとってはよく理解できない……、何の意味もないような言動も水尾にとっては大事なことだと判断したのだろう。
「今から、高田にも使えそうな……、魔法力も要らず、魔力も弱くて大丈夫な魔法を教えてやる」
「「え!? 」」
九十九と栞の驚いた声が重なった。
それも無理はない。
栞は魔力と記憶を封印されているため、普通の魔法が一切使えない状態なのである。
だが、それは九十九やその兄である雄也、栞の母親である千歳の知識の範囲内でのことで、この広い世界全ての手を尽くして魔法が完全に使用できないことを確認したわけではないのだ。
現に、当人が覚えていないだけで、九十九はこの状態の栞でも魔法を使えないわけではないことは確認している。
それなら……、魔法力の消費もなく、魔力も弱くて問題ない魔法……、つまりは普通の人間でも使えるという魔法ならどうだろうか?
そんな二人の動揺、反応を見てにんまりと笑うと水尾は言葉を続けた。
「そんなわけで協力してくれ。これは、高田のことを信じられる人間の協力が不可欠なんだ。私は、この魔法の仕組みとかを知っているからあまり効果は望めない。だから、その対象は、少年が適任なんだ」
「分かりました」
九十九は真剣な顔でそう答えて、指示された場所に胡坐をかくようにして座った。
魔法は信じること、強く願うことが不可欠なのだ。
だから、水尾の言うことは九十九にもよく分かった。
激しい思い込みが奇跡すら起こすことができる。
それが、この世界での魔法の基本なのだから。
「いい返事だ。少年、まずは目を閉じてくれ」
「はい」
九十九は水尾の指示通り、目を閉じる。
「それでは、高田は、少年の後ろにゆっくり移動して、背後に座る」
「は、はい……」
栞も、水尾の言うがままに、九十九の後ろに並ぶようにして正座をした。
「うん、良い位置取りだ。そのまま、高田はゆっくりと手を伸ばし、少年の目を両手で目隠しするように覆って」
「はい」
栞は、ゆっくりと九十九の両目を手で隠す。
「九十九、ずれてない? あと、痛くない?」
「ああ、大丈夫だ」
「少年は、静かに心を落ち着けながら呼吸も整える……。高田はそのままゆっくりと少年にしか聞こえない程度の小さな声で六十まで数えて。ゆっくりだぞ」
念を押すような水尾の言葉に頷き、栞は呟くような、囁く程度の声で数え始める。
恐らく、当人たちも何をしているのかはよく分かっていないだろう。
だが、水尾の言葉には不思議な力があった。
彼女の意のままに操られているかのように指示に従っている二人のその姿は、まるで一種の儀式のような印象がある。
「二十な~な、二十は~ち……。」
耳を擽るような小さく間延びした声が、「二十八」を告げた時だった。
「にじゅぅっ!?」
栞は思わず数えるのを止め、驚きの声を上げる。
それも無理はなかった。
九十九が栞の両手から逃げるように動いたかと思うと、その身体から、全ての力が抜けて、栞に向かって倒れてきたのである。
「え? えええっ!?」
そんな栞とは対照的に、九十九は一声も上げなかった。
支えていた力を失ったその身体は余計な動きをせず、最短距離で寄りかかってくる。
避けることもできずに、栞はそのまま彼を受け止める形になった。
「ほら、できただろ?」
そんな2人の状態を見て、水尾は満足そうに笑う。
「せ、先輩……。これって……」
「私は何もしていないよ。そして、察しのとおり、これは魔法ですらない。ただ、少年の身体が自覚以上の疲労が溜まっていただけの話だな。三十秒ももってないのがその証だ」
「はあ……」
栞はすぐ近くにある九十九の黒い髪を眺めながら曖昧な返答をする。
九十九は、目を閉じたまま、身じろぎもせずに規則正しい呼吸をしていた。
水尾の言葉から、どうやら疲労が溜まりすぎて、倒れてしまったということが分かる。
幸いなのは、昏倒したわけではなく、布団に倒れこむような優しい眠りに就けたことだろう。
「道中で頻繁に魔法を使いながら、徹夜を続けようなんて無茶をするにも程がある。そもそも魔法ってもの自体が心身ともに健康な状態で扱うことが前提としたものばかりだ。疲労困憊、満身創痍でも好きなだけ使おうなんて、魔力の暴走を促しているとしか思えん」
そう言った後で、「魔法をなめるな」と水尾は付け加えた。
「やっぱり、九十九は無理していたんですね」
栞は溜息を吐く。
彼女自身、魔界人とは言え、いくらなんでも無理が過ぎると思っていたからだ。
「徹夜三日目。その間ずっと歩きながら。魔法を使いながら。仮眠ぐらい摂れば良いのにそれすらしない。高田以上のお莫迦さんだよ、この少年は……」
水尾はそう言うと、倒れた九十九に手を伸ばし、彼の髪を撫でる。
「私はそんなに頼りないか? 少年……」
その言葉はどこか優しく、寂しげでもあった。
「……そう言うのではないと思いますよ」
眠っている九十九に変わって、栞が答える。
「分かっている。あの先輩の弟だ。女に甘くても不思議はない。それが私みたいな規格外でもな。でも、それで身体を壊していては意味がないってこと、少年にちゃんと自覚して欲しいんだよ」
「水尾先輩……」
九十九の髪を撫でながら、優しく言う水尾のその姿は、栞が知っている先輩の姿ではなかった。
どこか慈愛に満ちたこんな柔らかい表情は一度も見たことがなく、栞は思わず目をパチクリとさせる。
「あと……、高田も護られる側なら覚えておけ。護る人間の中には、その対象のためなら平気でその身を投げ出そうとするアホもいる。先輩はともかく……、少年は確実にその種類の人間だ。気をつけないと……、自分の身勝手で失うことになるぞ」
水尾もどちらかというと護られる方だった。
彼女は魔法国家の中でも魔法が強く、その力は上から数えたほうが早い。
だが、身分……、その立場的に守護が付けられることは珍しくなかった。
だからこその言葉なのだろう。
「気をつけるようにはします」
栞は倒れている九十九を見つめながら、そう答えたのだった。
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