人が来ない場所
「ああ、なるほど」
目の前の湖を識別した結果、いろいろ腑に落ちたことがある。
そして、わたしがどうしてそこまでこの湖を識別したかったのかも理解した。
わたしは、コレらを知る必要があったのだ。
何故、セントポーリア国王陛下は、この城下の森に人工的な池を作ったのだろうか? って疑問に思ったことがあった。
あの池と、この湖は確かに距離がある。
でも、あの池を利用するのは王子殿下とその世話をされる翼馬族……、天馬だ。
空を飛べる彼女たちにとっては、物理的な距離はないに等しい。
だから、神々に断りを入れて、わざわざ城下の森を改造しなくても、この湖を使えばよいはずなのだ。
この湖に神水というものが混ざっているなら、精霊族の身としても、ここの水の方が心地良いだろう。
実際、昔、セントポーリア国王陛下は若い頃、この場所を利用していたし、母も、天馬の世話をするためにこの場所まで来ていたらしい。
でも、国王陛下は息子である王子殿下にはこの湖を使わせることなく、人工池の方を使わせていると聞いている。
だから、そこでわたしと出会うことになったのだ。
でも、そうなった理由は、てっきり、思い出の場所を荒らされたくないとか、そんなロマンティックな感情からかと思っていたけど、ちょっと違う可能性が出てきた。
わたしの目の前に浮かんだふきだしにはこう書かれている。
【橙の大陸に存在する構造湖】
『「創神期」に地下より湧き出る神水が水源となっている。淡水で飲用も可能だが、湖底の土と水に含まれている神力が強く、神の加護が弱い生き物は近付くこともできない』
これまでと違って、この湖は誰かが定めた名称はないのだと思う。
これまで、誰も名前を付けようと思わなかったのだろう。
あるいは、この湖の神力とやらが強すぎて、ほとんどの人間が近付くこともできず、知られることもなかったか。
そして、六千年前の聖女とその恋人が、ここを逢瀬の場所に選んだ理由もそういうことなのだと思う。
誰も近付くことができないなら、誰に見つかることもない。
神力を持っていたという聖女は当然だが、その恋人も王族で、それも、今よりもずっと王族が持つ神の加護が強い時代だったはずだ。
そして、セントポーリア国王陛下も大陸神の加護は強いようだし、相方の天馬は精霊族、神の遣いだ。
母は「創造神に魅入られた魂」と呼ばれるほど、創造神の加護が強い。
さらに、九十九たちの両親が隠れ住む場所として、この近くの場所を選んだ理由もそういうことだろう。
彼らの父親は王族、母親が確か、神女……、それも正神女だったとどこかで誰かから聞いたこと覚えがある。
そのことをどこで聞いたのたかはちょっと曖昧だけど。
ダルエスラーム王子殿下は、王族であるが、周囲にも分かるほど体内魔気が弱いらしい。
つまり、神の加護がそこまで強くない可能性が高いってことだ。
初めて会った日以降、あの王子殿下とは全く会ってはいないから、はっきりとは言い切れないけれど。
だから、天馬がいても、あの王子殿下はこの場所に来ることができなかったのかもしれない。
そして、過去のワタシがここに来ていた理由も、ここなら、誰も来ないからだと思う。
誰に追われることなく、安心して過ごせる場所だっただろう。
この場所を使って、護衛兄弟を鍛えていたミヤドリードさんも現情報国家の国王陛下の妹だ。
そして、そんな彼女なら、この湖のことを知っていた可能性はある。
そうなると、彼らを鍛える場としてここを選んだのは、城下の森の結界だけの話ではなかったのかもしれない。
「どうした?」
青い瞳がわたしの視界に、飛び込んできた。
そこにあるのは、心配と……なんだろう?
この様子だと、警戒……かな?
わたしが少し考え込んでいたからだろうか?
「ん。聖女の気持ちが分かった気がして……」
「あ?」
「この湖に誰も近寄れないなら、いろいろと安心できただろうね」
いろいろと考え込んだ結果、一番、無難な答えを口にする。
王族しか近寄れないとか余計なことは言わない方が良いだろう。
九十九は、自分に王族の血が流れていることは知らないはずなのだから。
識別の結果に現れた「神の加護」という言葉だけなら、程度の違いは分からないし、「個人差」という曖昧な表現に留まる。
王族は「神の加護」を強く持つことは当然だが、母のように、何かが神の琴線に触れて、気に入られ、強い加護を受けることもあるのだ。
実際、加護の種類に関しては、九十九も雄也さんも多く持っていることは、以前、縁があった水鏡族と言う精霊族からも聞いている。
だから、問題はない。
湖が判定する神の加護の強さなんて、人間に分かるはずもないのだから。
「どういうことだ?」
九十九は不思議そうな顔をする。
「この場所は、昔、聖女が恋人との逢瀬に使っていた場所だったんだよ」
先の識別結果から考えて、この湖の傍なら、邪魔は入らない。
そのことをあの人たちが知っていたかは分からないけれど、なんとなくは気付いていたのだろう。
そうでなければ、夜とはいえ、あんなに堂々とイチャイチャはできないと思う。
あの人の想い人は、他国の王子さまだったのだから。
そして、ずっと好きな人と一緒に居られるとも思っていたはずだ。
あの人が、離れようとしない限り。
ここは、何度も夢で視せられた場所。
あの二人の仲の良い所から、やがて起こるその先の悲劇まで。
「聖女って……」
「この世界で最も有名な聖女。『暗闇の聖女』であるモレナさまが言う『封印の聖女』のこと。この国の元王女さま」
国を捨てて他国に渡った人だから、「元」で良いと思う。
わたしはあの人のことを「聖女」ってあまり呼びたくはないんだよね。
でも、そっちの呼び名の方が有名だから仕方ないのだけど。
「なんで、それをお前が知っているんだ?」
「あれ? 言ったことなかったっけ? わたし、聖女さまを何度も夢に視ているんだよ」
モレナさまと会った時にその話はしていたと思うけど……。
「お前が何度も『封印の聖女』の夢を視たことがあるのは以前、聞いたが、その聖女がここで、恋人と会っていたというのは、多分、初めて聞くぞ?」
「そうだっけ?」
そうかもしれない。
あまり言う必要のないことだし。
確かに過去のことではあるけれど、なんとなく、密会の密告って感じになっちゃうからね。
「特に必要ないことじゃない?」
「確かに必要はないが、それでも、お前が抱え込んでいることなら、オレは知っておきたい」
「……そうなのか」
別に抱え込んでいたつもりはなかったのだけど、九十九にはそう見えたらしい。
「その話は後で聞く。まずは、戻るぞ」
「うん」
そう言いながら、九十九は岸に向かって進みだす。
また先ほどまで見た背中。
さっきよりも大きく見える気がするのは何故だろうか?
そして、何度見ても、飛びつきたいなあって思っちゃう。
でも、驚くのは間違いないし、流石の九十九でもバランスも崩してしまうだろう。
勿論、彼のことだからビクともしない可能性もあるけど、やっぱり危険かな。
せっかく、ライフジャケット、救命ボートまで準備して、安全に気を配って貰ったのに、危ない真似はしない方が良いよね。
うん、この場では止めておこう。
後で頼んだら、許してくれるかな?
でも、その場合、どうやって頼むべきか?
ストレートに「背中に張り付かせて! 」と頼むのは、またも痴女扱いされる気がする。
今の九十九は上半身、裸なのだ。
正面からだって、痴女扱いされたのだから、後ろの見えないところから張り付かれるのはやはり抵抗があるかもしれない。
でも、こんな機会がない限り、九十九の半裸を真後ろから拝むことも、ましてや、触れることなんてない気もする。
「着いたぞ」
「へ? もう?」
考え事をしていたためか、ちょっと早い気がする。
「先ほどは場所を確認しながらだったからな。岸に向かうだけの方が早いのは当然だろう」
そう言いながら、先に水から上がっている九十九がわたしに手を伸ばした。
美形の半裸は背中からでも良いですが、正面からでは、また別の魅力が迸っております。
しかも、わたしに手を差し出す時のどこか手慣れた感がまた、なんとも言えないものがあるよね。
「ありがとう」
差し出された手を取りながら、わたしはゆっくりと救命ボートから降りる。
ふむ……。
どうしたものか。
わたしが考えていると……。
「どうした?」
案の定、過保護な護衛は、わたしを気遣ってくれる。
うむ。
なんとなく、巣にかかった獲物を見る蜘蛛の気分になったのは何故だろう?
「せっかく水着になったのに、あまり意味はなかった」
それなりに可愛らしいものを選んだつもりだったが、派手な色したライフジャケットに覆われて、ほとんどそれも分からない。
それは少し悔しかったのは事実だ。
「あ~」
九十九は頭を掻きながら、わたしに背を向けて湖を見る。
「この湖も向こうに浅瀬はあるから、良ければ少し泳ぐか?」
ここから少し離れたところを指差しながら、優しい護衛はそう提案してくれた。
それが、ある種、罠だと気付かずに。
「良いの?」
「少しぐらいは遊びたいだろ? この世界で水に入って遊泳する機会なんてそう多くはねえし、たまには良いんじゃねえか?」
笑いながら九十九はそう言ってくれる。
彼にはいろいろやることもあるだろうし、わたしの我儘に付き合う必要なんてないのに。
それでも、素直に喜ばせてもらおう。
目的達成のために!
「やったあ!! ありがとう!!」
わたしは無邪気を装って、九十九の背中に飛びついたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




