どこで手に入れた?
わたしが水着に着替えて、簡易更衣室から出ると、湖に向かって座っている九十九の後ろ姿が見えた。
一瞬で着替えることができる彼は、わたしと違って、更衣室のような着替える場所を必要としない。
そのために待たせてしまったらしい。
九十九はわたしと同じく、白いパーカーのような上着を羽織っているようだ。
いきなり半裸姿ではなくて良かったような、残念なような。
でも、上着が薄いためか、鍛えられた三角筋と僧帽筋が盛り上がっているのは、しっかり分かる。
九十九の努力の証だよね。
そんな彼にゆっくりと近付くと……。
「悩みどころだな」
そんな声が聞こえた。
悩み?
九十九が?
「何が?」
気になって、思わず問いかけると……。
「いや、若宮に……」
そう言いながら、九十九が振り返った。
そして、そのまま、停止される。
「ワカに?」
なんで、ここでワカ?
「ワカがどうしたの?」
でも、反応がなかったので、再度、尋ねてみる。
「あ~、なんで、お前に水着をやったんだろうなと思って」
「ああ、これ?」
なるほど。
この世界では遊泳という行為はあまりしないらしい。
プールは当然ないし、海水浴場や整備された川のような場所はこれまで見たこともなかった。
そこまで気温が暑くならないし、多少の暑さならば、自分の体内魔気の護りで調整されているため、水に入って涼むという行為をする必要が無いのだ。
だけど、この世界には水着のようなものは存在するらしく、水に濡れても透けない素材の服はある。
ただ泳ぐことを目的としていないために、どちらかと言えば、海女さんの磯着のような服や湯文字みたいなものである。
だから、ワカがどうやってこれらの水着を用意したのか。
ストレリチア王女の権力だろうね、間違いなく。
でも、ワカがわたしに服を贈ってくれること自体は珍しくないことだ。
まあ、水着を普通の服として受け入れてはいけない気がするけど。
「ワカというよりも正しくは、神子装束……の一部、なんだよね。水着にもできるって教えてくれたのはワカだったんだけど」
「あ? 神子装束?」
九十九が不思議そうな顔をする。
「うん。『聖女の卵』関係の儀式って、水を被ることもあるから、中に透けない素材の水着みたいなものを着るようになっているんだよ」
神事の中には、水を被るだけでなく、お酒を被ることもあるらしい。
幸い、恭哉兄ちゃんからそんなお仕事を任されたことはないけど。
でも、何らかの形で水を掛けられる可能性はあるし、自衛の意味でも、神衣はちゃんと身に着けてきましょうとは言われている。
まあ、神子装束は色や生地が薄い布が多く、色が透けやすい素材というのもあるかもしれない。
だから、恭哉兄ちゃんは神子装束の重ね着の仕方を教えてくれている。
「ワカから貰った水着は、ちょっと着る勇気が持てなくて」
わたしがそう言うと、お父さんは、分かりやすく眉間に皴を寄せた。
彼は基本的に真面目だ。
だから、着る勇気が持てないような水着と言うのは苛立ちの対象なのだろう。
「いや、これも結構、背中が開いているから恥ずかしいんだけど、それは水に入れば気にならないから」
今はパーカーに覆われているために見えないし、水に入れば見えにくくなるだろう。
それに、九十九はわたしの肌が見えたとしても、先ほどのようにどこかお堅い父親目線になってしまう気がする。
もしくは、紳士だから、ジロジロと見ないように気遣ってくれるはずだ。
「今の髪の色だと、こっちの方が良いかなとも思ったしね」
「若宮からのは色が違うのか?」
「これよりも、もう少し青って感じの色と白の縞々で、ちょっとひらひらしている」
「ああ」
何故か九十九は納得した。
ワカが選びそうなデザインだったからだろう。
「しかも上下が分かれていて、下着みたいなビキニよりはマシだけど、お腹が出るのはちょっと抵抗があったんだよ」
そう言いながらお腹を撫でる。
気にするほど出ているわけではないと思っているが、引き締まっているかと言えば、九十九には絶対に勝てない。
勿論、単純に男女の肉付きの違いというものはあるだろう。
でも、上着の隙間からチラチラと見えている腹直筋の割れっぷりとか、本当に凄いんだよ。
九十九の腹筋自体は、もう既に何度も見ているはずなのに、水着と肌に直接羽織っている上着との組み合わせは初めてだ。
彼の水着は、思ったより長めのハーフパンツで、青いグラデーションの生地に黒いヤシの木みたいな柄が入っているデザインだった。
それはどこで手に入れたのだろうか?
人間界で買ったのかな?
でも、その頃よりも九十九はずっと背が伸びているのだから、サイズは絶対、変わっているよね?
「どうせ、水に入れば腹なんて分からねえよ」
「あなたには見えなくても、わたしが嫌なの」
それに九十九なら、水中眼鏡ぐらい持っていると思うのだ。
サングラスだけでなく、ルーペすら普通に取り出したからね。
「あと、水に入るってことに関して、ちょっと問題があることにさっき、気付いたんだ」
水着に着替えた後に気が付いたのだ。
「なんだ?」
恐らく、有能な護衛では想像もできないようなこと。
「わたしは確かに泳ぐために浮くことはできるんだけど、完全な立ち泳ぎってやったことがないんだよ」
小中学校のプールで、そんな練習をした覚えがない。
基本的に授業では泳ぐ練習ばかりだろう。
でも、今回は水面の上に表示されている文字を読む必要がある。
そのためには立ち泳ぎしなければならない。
「この湖ってどれぐらい深い?」
「測ったことはないが、深い所で十メートルはあるだろうな」
つまり、わたしは足が付かないってことだ。
学校のプールでも深い場所では背伸びをして、水面からなんとか顔を出そうとしていたような人間が、足が付かないような場所でなんとかなるとは思えない。
「でも、さっき言ったように、浮き輪を使っても流されちゃうでしょう?」
この湖は水の流れを感じさせないように見えて、結構な水量がその崖の下に落ちるようになっている。
それを考えれば、奥に行くほど、水の流れが速いのだろう。
「でも、あなたにしがみ付いて移動するわけにはいかないし……」
「当然だな」
これまで黙ってわたしの言葉を聞いていた九十九が口を開いた。
「お前は泳ぐことはできるんだよな?」
「一応。でも、顔を浸けずに泳いだことはない」
小学校時代の最初のプール指導は、水に顔を浸ける所から始まっている。
クロールも平泳ぎも顔を浸けずに進んだことはなかった。
背泳ぎは顔を浸けないが、その姿勢を考えると、今回のような場合は意味がない。
「それなら、お前をオレが先導した方が良いか」
「どうやって?」
確かにわたしを抱えて泳げるような九十九なら、それは大丈夫だと思う気ど……。
「オレが手を貸す。でも、念のために救命用具は付けるぞ」
「救命用具って、浮き輪?」
「まあ、確かに救命浮環の一つではあるけど……」
九十九は何故か苦笑した。
「今回は、ライフジャケットと、救命ボートを使うか」
「救命ボート!?」
ライフジャケットは確か、着る浮袋みたいなものだったと記憶している。
だが、救命ボートまで持ってるって、一体、わたしの護衛はどんな状況を想定していたの!?
「水に入るなら救命浮器も考えたが、目的は湖の中央に行くことだろ? そうなれば、ボートの方が安全だ」
でも救命……、浮器については聞き覚えが無い。
「救命浮器って何?」
「水上に浮かせて、それにしがみ付いて助けを待つためのものだな」
なんとなく、水に流された時、空のペットボトルを掴んで浮き輪代わりにするという話を思い出す。
あんな感じの浮き輪みたいなやつかな?
「とりあえず、上着を脱いで、これを替わりに装着しろ」
「分かった」
九十九から、オレンジ色の分厚くて見た目はずっしりと重そうなのに、実際、持ってみるとかなり軽かった。
水に浮くためのものだから、当然か。
そして、かなり派手な色だと思うけれど、これって多分、人間界のものじゃないかな?
それなら、海や川に落ちた時を想定されているのだから、派手な色は当然だろう。
でも、本当に彼は、どんな状況を想定していたんですかね!?
そう思いつつも、わたしは白いパーカーを脱いで、派手なベスト……、違ったライフジャケットを着込む。
「それと、救命ボートか」
そう言いながら、彼は救命ボートを出してくれた。
その気遣いは嬉しいのだろうけど、結局、水着になった意味はあまりない気がして、ちょっとだけ残念に思ってしまったのは何故だろうね?
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