死の疑惑
オレは師であるミヤドリードが死んだことを兄貴に聞いてから、何度も確認していた。
原因不明の死。
それにあの王妃が関わっているのではないか? と。
『滅多なことを口にするな。ここは人間界ではないのだぞ』
「分かってるよ」
それでも、どこかでモヤモヤとした気持ちが残っている。
今回、城下から抜け出る際、あまり人が通らないような聖堂の裏手を通ることにした。
その時にも思ったのだ。
こんな場所、普通の人間は近づかない、と。
彼女を守護兵が発見してくれたのは運が良かったのか。
あるいはその兵も何者かの命令でその場所に行ったのかは分からない。
だが、普通はあんな場所を、聖堂を利用している者たちも通ることはないはずなのだ。
『お前は今でもそう思っているのだな』
兄貴は溜息交じりにそう答える。
『だが、王妃殿下は自ら城下に下りることはしない。それに、あの方があんな状態の遺体を運ぶなど、到底考えられないというのが、周りの話だ』
いつものように兄貴が尤もらしいことを言うが、そんな言葉でオレの中から疑いが消えるわけもない。
彼女たちが城からいなくなった後。
王妃は手を尽くして、その行方を探らせたらしい。
それならば、彼女たちの全面的な協力者であったミヤドリードから、手がかりを得るためになんとしても聞き出そうとしてもおかしくないだろう。
それに王妃が関わっていない根拠となっている周囲の話だって、その立場からならどうにでもなることだ。
互いに口裏を合せることなどそう難しくもない。
「そのための私兵だろう?」
王妃の命令一つでヤツらは何でもする。
それは、オレだって知っていることだ。
『さらには、動機もない。ミヤドリードがほんの数日であの方から殺意を抱かれない限りはな』
理由ならあるじゃないか。
それもとびっきりでっかいものが……。
そして、それが今回のことにも繋がっていることに、兄貴が気付いていないとは思えない。
兄貴はオレ以上にミヤには世話になっていた。
だから、その悲報をオレに告げるときの兄貴の顔は、親父が熱病で死んだとき以上のものだった覚えがある。
実際、その現場を見ることになった兄貴が、どれだけ多くの感情を抱えていたか、当時のオレは推し量ることもできないくらいに。
だが、それを今、言ったところで兄貴はいつものように煙に巻くだけだろう。
「……つまり、魔界は意味もなく人が死ぬってことか? 物騒だな」
今のオレに言えることは精々、この程度のことしかない。
兄貴を追求しても真実に辿り着くわけでもないのだ。
『そんなこと、お前はずっと前に知っていただろう?』
ああ、知っていた。
兄貴に言われなくても……。
『こんな命の軽い世界で、俺たちはあの子を護りつつ行動する責務があるのだ』
「……失敗したら、兄貴が言うようにオレたちも物言えぬ状態ってか」
それが誰の手によるものか分からない。
王妃に殺されるか、王子に殺されるか……。
いや、失敗の理由によっては、雇い主が動く可能性すらある。
『その可能性は否定できんな。それがこの国とは限らん。旅先で見知らぬ輩に害されることもあるだろうし。元々、あの子を狙っているのは王妃殿下だけじゃないようだからな』
「……ミラージュ」
オレは呟く。
魔界に来れば、すぐに襲撃があるかと思っていた。
しかし、あの温泉の日以来、あの紅い髪の男は姿を見せていない。
それどころか、ヤツの国、ミラージュは全く違う国に襲い掛かった可能性すらある。
ヤツらの狙い……、目的ってやつが本当によく分からん。
『彼らはあの子がセントポーリアから外に出てくるのを待っていたのかもしれん。他国の人間が城下で行動するのは何かと目立ってしまうからな』
つまり、今まで安全だったからといって、今後はどうなるか分からないということか。
「王妃がミラージュと手を組んでいる可能性は?」
『残念ながら、今のところその気配はないな。いっそ、どこかで繋がっていてくれた方がこちらとしてもやりやすい。だが……』
そこで、兄貴は言葉を一度切って……。
『そろそろ通信し続けるのも限界のようだな。切るぞ』
そのまま通信を切ろうとした。
「まてまて! せめて、『だが……』の先! 言いかけたことの続きを言ってから通信は切ってくれ! 気になるじゃねえか」
慌てて、無理に通信を切らせないように言葉を繋ぐ。
『ああ、別に大したことではない』
「兄貴にとってはそうかもしれんが、オレの方はそうじゃないんだよ。モヤモヤを溜め込んだままで過ごせってのか?」
『溜まったなら、抜けば良い。簡単なことだ』
とんでもない言葉が返ってきた。
「……言葉の続きを惜しむほど時間がないって言うような人間が安易な下ネタに走ってんじゃねえよ」
思わず叫ぶ。
しかも、それって現状ではかなり難しいと思うのはオレだけか?
一つ屋根の下に同年代の異性たちが同居中ってだけでもハードルが高いというのに……。
しかも、オレ、今、野外、星空の下というヤツだぞ?
どれだけ鉄の心臓に毛がもっさりと生えている人間ならそんなことができるんだか。
『……気を抜くとか、力を抜くとか別の発想がないのがお前だよな』
「いやいやいや? 力は貯めるものだが、溜まるもんじゃない。気はもともと溜まるモンじゃねえだろうが!」
オレがそう言うと、兄貴は少し苦笑気味に答える。
『これぐらいでいちいちムキになるなよ。俺が言いかけたのは、基本的に王妃殿下は誰も信じていないということだ。夫である陛下は当然ながら、息子である王子殿下のことすら、な。だから、他人と手を組むことなんて今の状況では考えられないと俺は思っている』
そんな言葉を残して、通信珠はただの光る珠へ戻った。
「信じられる人間がいない……、ねぇ……」
あの性格では無理もない気がする。
誰かを信じる以前の話だ。
本当に信頼できるような人間は、王妃の傍に寄ることすら拒むだろう。
王妃が国王陛下のことを信じることができないというのは分かる。
千歳さんの存在は王妃に対する分かりやすい裏切り行為であり、その娘である高田の存在はそれの裏付けなのだ。
だが……、王妃の唯一と言って良いほどの味方であるはずの王子すら信用していないというのは、オレにとって少しだけ意外に思える。
オレの記憶の中の王妃は、病的なほど王子を溺愛していたように見えていた。
王子が掠った程度の傷を作れば、治癒魔法の使い手を呼び寄せ、癒しを施し、傷の原因となったものを排除する。
王子の周囲の人間が、小さな咳を一つでもしてしまえば、その者は王子の傍から外され、隔離された。
欲しいものは与え、できる限りの我儘を通させる。
そこまでするほどの息子すら信じることができないなんて、どれだけ疑い深い性格をしているんだろう。
もしかしたら、この10年間に城やあの親子の間で、オレが知らない何らかのトラブルがあったのかもしれないのだが。
まあ、周囲の信用が置けないということは、連携を図る際に多少の乱れが生じやすいことでもある。
その辺に隙もあるだろう。
それに、母である王妃の命令だったとしても、あのプライドが高い王子に限って、歳相応に見えないような娘をどうこうする趣味があるとは思えなかった。
普通に考えても、女に困らない立場にあるのだから、中途半端な年代の娘に手を出した所でそんな気が起こす必要もないだろう。
その辺りについて、この時のオレはかなり楽観的に考えていた。
時間というものは流れるもので、人間というものは時間の流れとともに成長するようになっている。
今は、歳相応に見えない少女だって、数年もあれば、誰の目にも大人になっているのだ。
そして、オレが王子の黒い意思を知るのは、数年の後。
全てが終わった後だった。
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