大事の前の小事
自分はチトセの娘との模擬戦闘で負けた。
その決着の仕方は、この世界でも珍しい形だったことだろう。
だが、その場にいなかったチトセはその詳細を知っているようだった。
それを問いかけると……。
「陛下がよく知る黒髪の可愛い子が教えてくれたのよ」
彼女は微笑みながら、そう言った。
「どれだ!?」
あの場にいた人間たちは、自分を除けば本来の髪は全て黒である。
そして、そのいずれも、15歳以上の成人であり、「可愛い子」という単語に該当しそうな人間は彼女の娘しかいないのだが、チトセの感性は時々、特殊だ。
その場にいるだけでも耳目を集めるほど容姿が整っている年頃の若者たちであっても、彼女にかかれば「可愛い子」となってしまうだろう。
「どれって、この場合、誰というべきではなくて? 尤も、3人ともそれぞれの視点で報告書をくれたから、『可愛い子たち』と言う方が正しいのかもしれないけど」
「あいつら、いつの間に報告書を作成していたんだ!? しかも、3人ともか!?」
「本当に優秀な子たちよね~」
クスクスとチトセは笑った。
その中には彼女の娘も含まれていることを承知で。
確かに、あの娘は優秀だった。
少し前まで、城で事務仕事の手伝いをしてくれたが、見知らぬ文官たちが多くいる中、臆することなく、堂々と役目をこなしていたのだ。
翻訳を中心とした事務仕事から、本来は従者に任せるべき休憩の準備まで。
そのために、まあ、いろいろな人間たちからも目を付けられたようだが、そこは護衛がしっかり本来の役目を果たしている。
自分の能力と顔で、ある程度の人間たちを惹き付け、相応に始末、もとい、処理していたようだ。
あの兄弟は、自分にできることを正しく知っている。
ただでさえ少ない文官が目に見えて減っていくのは痛手ではあったが、あの娘に手を出されることに比べたらそれも些細なことだった。
何より、仕事よりも色事を優先しようとするような阿呆など要らん。
だが、あの護衛は自身が狙われていると言うのに、命まで取ることはせず、城の守護兵に後処理を任せていたようだが。
あの娘自身は、まだ書類仕事そのものは慣れていないようだが、それも経験を積み重ねれば、問題はなくなるだろう。
話に聞く限り、あの娘は大聖堂とも繋がりがあり、神官たちほど本格的なものでではないが、神事を学んでいるとも聞いている。
少なくとも、無意識にその知識が口から飛び出してしまう程度には身に付いていた。
つまり、一般的な「外務」、「財務」、「政務」だけでなく、特殊な「神務」を含めた全ての部署を務めることができるのだ。
そんな人材はかなり稀少である。
特に我が国の現状を思えば、そういった意味でも逃がしてはならない相手といえた。
だが、あの娘自身はこの国の政に深く関わることを望んではいない。
今回のように書類仕事の手伝いなどは引き受けてくれるが、踏み込んだ話になると、やんわりと笑顔で躱されていたことが、その証だろう。
そして、このチトセも、自分の娘が国政に関わることを望まない。
何度か話してみたが、明らかに拒絶の意思を感じた。
この世界の常識に照らし合わせれば、どれだけ無欲な母娘なのかと思うべきなのだろう。
だが、俺自身も望んでいないものでもある。
あの娘は、国に捉えることなくあのままでいるべきだ。
一国の王としては、優秀な人材は、強制的に従わせてでも囲い込むことが正しい判断なのだということは理解している。
だが、それは最悪の選択だと断言できる。
何人たりとも、あの娘を縛り付けることは許されない。
これは、あの娘に対する私情ではなく、国王としての判断であった。
このチトセには創造神の加護があり、その娘であるシオリにも、そう匂わせるような部分がある。
創造神は、この世界の起点にして頂点。
物事の根源であり、生命の源流であり、全ての濫觴である大いなる存在。
その神力が間々、見え隠れするような相手に対して、どうして、本人の意に添わぬことができようか。
それは天に弓引く愚かな行為でしかない。
「ローダンセはどう判断することか」
強大な魔力を所持する存在は、どの国でもその出自に関係なく重宝されるものである。
尤も、その立場によって、出入り自由な籠になるか、強固な錠をいくつも下げられた頑強な檻になるかは変わってくるが。
それでも、あれだけの存在を捨て置くなど、国の損失だと思えば、当人同士の意思に関係なく囲おうとするだろう。
「あれって、本気なの?」
俺の独り言の意味を正しく理解したチトセは確認してくる。
特に気にしていないように見えて、やはり気になっていたらしい。
あの娘は、機械国家カルセオラリアの王族たちの仲介により、弓術国家ローダンセ国内にいる貴族との婚儀契約の話が持ち上がっている。
その相手はローダンセの王族に仕えながらも、カルセオラリアの王族でもあった。
血筋としては申し分なく、その立場としても問題はない。
「少なくとも、相手側は乗り気のようだな」
そこには複雑なローダンセ国内の事情が見え隠れしている。
貴族間の権力闘争と王位継承問題、さらには国外より前々から取り沙汰されている露骨なまでの男優遇社会。
それらに一石を投じるような相手として、娘が選ばれたのだ。
公式的な身分は持たないながらも、明らかに規格外と言える魔力と魔法力。
恐らくは、魔法国家の王族と比較しても、遜色はないだろう。
そして、その機械国家カルセオラリアのみならず、大樹国家ジギタリス、法力国家ストレリチアの王族たちからの覚えも良い。
公にされていないが、そこに魔法国家アリッサムの王族だけでなく、あの情報国家の国王が気に入っている。
それも、腹立たしいほどに。
さらには、神官最高位にある大神官の庇護も受けることができるような人物でもあるのだ。
あの娘を推薦したカルセオラリアの第二王子が、どこまでそれを計算していたかは分からない。
少なくとも、争いの渦中にいる血族、身内を助ける意思があることだけは確かだと考えている。
「あの子はまだまだ子供なのに……」
チトセは溜息を吐く。
彼女は自分の娘として見てしまうから、そう思うのだろう。
幼い頃から共にあり、その長所も短所も理解している。
だが、それは娘を個として見た場合の話だ。
国の事情を前に、個人の現状など、大事の前の小事でしかない。
そして、既にあの娘自身が、内外にその価値を示してしまっている以上、この手の話は後を絶たなくなるだろう。
仮に何らかの形で今回の話を退けたとしても、いずれは、どこかの国が保護という名目で強制的に確保することは目に見えている。
素直に受け入れなければ、相手によっては手段を問わぬ方法を選ぶことは想像に難くない。
今回は、他国の王族が仲介した申し出という形があるだけ、かなり穏便な手法だったと言える。
「シオリはもう18歳だ」
年齢が15歳以上であれば、必ずしも、両親の許可が必要というわけではない。
口を出すことは許されても、当人の意思を無理に曲げさせるような横槍を入れることはできないとされている。
勿論、婚儀には各々の家や国の事情が絡むこともある以上、無許可というわけにはいかないが、絶対要件というものでもない。
だから、婚儀契約は15歳未満、子が両親の庇護下にある間に結ばれることが圧倒的に多いのだ。
まあ、15歳以上であっても、子よりずっと人生経験の長い親たちが、未熟な我が子たちを言葉巧みに誘導することは珍しくもないことでもあるのだが。
「あの娘がこの国の王族でない限り、俺が口を利くこともない」
国王が他国間の婚姻に首を突っ込むことができるのは、自分と同じ血が流れている時、即ち、王族である時のみである。
身分が高い、重要な立場にあるとかはあまり関係ないのだ。
出身大陸から血を容易に外に出さないためという一点だが、それは国にとって、大事なことなのだ。
そのために間に入る余地はある。
「そうね。小さく見えても、もう18歳だったわ」
そして、それをチトセは知っている。
知っているから、彼女はそれ以上のことは言えないし、言わない。
それを願えば、自身が認めることになる。
あの娘が、俺の娘だということに。
―――― いい加減、認めれば良いのに。
そう思うが、状況証拠を積み上げられても、素直に認めず意地を張り続ける彼女に育てられたからこそ、あの娘も妙な所で根性と言う名の意地を見せるのだろうとも思う。
「今回の話が流れても、いずれはあの娘もどこかに収まる。お前もいい加減、子離れしろ」
昔から、この母娘は共依存の状態にあった。
チトセがこの国に戻った後、あの護衛たちと共に、娘が自らこの国から離れたことを知って、驚いたほどだ。
俺は、娘も母と共に、この城に来ると思っていたのだから。
「分かっているわよ」
チトセは少し、頬を膨らませた後……。
「私も、娘にだけは負けられないからね」
そう言いながら、母親としての顔を見せるのだった。
この話で100章が終わります。
次話から第101章「再開を前にして」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




