知らないことまで
さて、どうしたものか。
栞の「識別魔法」は思った以上に有能だった。
当人の知らない固有名称だけでなく、植物なら生物分類階級まである程度、視ることができるのは驚きだろう。
尤も、固有名称については地域や図鑑によって異なるものではある。
だが、栞が口にしたほとんどは、オレが知る限り、図鑑等に掲載されている中で最も多いと思われる名称ばかりだった。
さらに、栞が言うにはその識別結果は、「日本語」表記で視えているらしい。
それは、この世界の魔法ではありえない話だった。
この世界に漢字、平仮名、片仮名と呼ばれる文字は存在しない。
いや、正しくはオレたち兄弟を含め、人間界の日本と呼ばれる国に滞在した人間たちが持ち込んでいるようなので、全く存在しない文字というわけでもないのだが、一定世代よりも上になると、使うことのない文字でもある。
人間界に行くことができるようになったのはここ十数年ほどのことなのだ。
それも、情報国家によって、そんな世界があると公表されてからのことである。
オレたちに近い年代の王族たちが他国滞在期に人間界を選ぶことが多かったために麻痺しがちではあるが、「転移門」を使って人間界に行けるようになった歴史はかなり浅い。
だが、栞の「識別魔法」にはその文字が使われているらしい。
そうなると、やはり、栞の「識別魔法」は彼女自身の思い込み、いや、過去の記憶に引きずられている面はあるだろう。
実際、彼女は過去に「識別」という言葉が出てくるゲームをやっていたという。
しかも、あの様子だとかなりハマっていたらしい。
つまり、それがどんなゲームかは分からないが、そこに出てくる魔法を、自分の魔力で再現してしまった可能性は高い。
いや、彼女の創り出した魔法については、これまでもその傾向があったのだ。
栞は、その魔法が使えるようになった「ゆめの郷」でも、どこかで見たことがあるような魔法をオレの目の前で何度か再現している。
特に、最近、よく使うようになった「朱雀」は、水尾さんが使う魔法に少し似ているし、たまに使う「青龍」も、どこかのアニメや少年漫画で見た記憶があるものに似ている。
尤も、召喚魔法でないのに、それらが発声する理由まではよく分からんが、栞の中のイメージはそうなのだろう。
本当に、どこまで「規格外」という言葉を極めれば、気が済むのか。
できれば、この辺りでそろそろ留まって欲しいのだが、それができないのが「高田栞」という女なのだろう。
そんな彼女はオレに向かって言った。
―――― あなたならいつか、わたしが使う『識別魔法』か、それに似た魔法が使えるようになる気がするよ
買いかぶり過ぎだ。
オレに栞ほどの魔法の才はないことは分かっている。
確かに自分が契約している魔法は、一般受けしないものが多いらしいが、そこに彼女が使うような「識別」に似た魔法はないし、自分の知識を総動員しても、応用できそうな「似たような魔法」に心当たりすらない。
何気なく、栞が使っていた拡大鏡を手に取る。
「識別」
近くにあった水に向かってそう口にしながら、その拡大鏡を覗き込むが、栞が言うような文字は出ない。
レンズに映っているのは、拡大されて少し歪んで見えるただの水でしかなかった。
分かっている。
これが現実だ。
彼女ほど思い込みが強い人間でなければ、そんな稀少な魔法など使えるはずがないし、魔法を創り出すことなんてできるはずもない。
だが、栞が言うような「識別魔法」に似た魔法……。
それについての心当たりなど本当に全くないが、そちらについての可能性はゼロではないだろう。
現実に「識別魔法」はもともと存在しているのだ。
ただそれを手に入れる手段が今はないだけの話である。
だから、それに似た魔法というのも、オレが知らないだけで、どこかにあっても不思議ではないだろう。
そして、オレは魔法の改良ならばできるらしい。
栞が妙に持ち上げてくれた「雷撃魔法の剣」も、結局は、もともと使えた雷撃魔法の応用でしかないのだ。
確かに情報国家の国王は驚いたらしいが、そういったことができると知れば、あの人だって使うことができるものだろう。
なんとなく、拡大鏡を片手で回す。
栞に識別してもらった植物のほとんどは、オレの知る情報と一致したが、加工前の特徴の一部は、知らないものもあった。
尤も、名称や生物分類階級については、オレの頭にもあるものだ。
加えて、その通称、異称などまで覚えているものばかりである。
この拡大鏡を使うまでもなく、頭の中に読み込んだ図鑑の知識が蘇ってくるほどに。
それでも、それが正確かどうかまでは判別が難しい部分ではあった。
栞の「識別魔法」は、その図鑑の表記や表示を裏付けるものとしてはかなり使えると言えるだろう。
始めに変な予備知識がない分、オレ以上に信用がおけるものだ。
だから、つい、いろいろと試させてしまったことは反省すべき点だろう。
「こんなところか」
栞が識別魔法を使えるようになった報告と、その一部の識別結果についてまとめたものを「伝書」にて兄貴に送りつけた。
一度に、全てを送りつけないのは、彼女にしてもらった識別した植物の量が多すぎるためだ。
その全てを送りつけない方が良い。
その他の結果については後日、詳細として渡せば良いだろう。
まずは、栞が識別魔法を創り出してしまったことについての報告をすれば、オレの意図は伝わるはずだ。
だが、これだけの量を識別しても、魔法力はほとんど消費したように感じられないのは、かなり恐ろしいとは思う。
栞の魔法力の多さに驚くべきか。
使っている識別魔法の魔法力の消費の少なさに驚くべきか。
どちらにしても、栞が常人離れしている証明にしかならない。
それでも、ずっと文字を読んでいて疲れたようにも見えたから、もう少し「頑張る」と言ってくれた彼女を半ば無理矢理にでも寝かせようとしたわけだが。
何より、自分で「頑張る」と口にしてしまっている以上、無理しているというのが手に取るように分かってしまう。
そんな状態の栞をいつまでも起きていて欲しくはなかった。
オレのことを気遣ってくれたり、「もう少し、一緒に何かしたい」と言ってくれた時は、正直、どうかなりそうだったがな。
あの女はどうして、オレを誘惑するのが上手いのか?
オレが単純だと言うこともあるが、あの無防備さは本当にどうにかしてほしい。
尤も、遅くまで無理させたという事実がある。
それに「識別魔法」も調子にのって使わせ過ぎた気もする。
それらについては、どこかで埋め合わせをしたいものだ。
何が良いか。
食い物か?
それとも、絵を描くための新しい筆記具か?
明日にでも、当人に聞いた方が早いか。
変に驚かせようとしても、喜ばれない可能性があるからな。
礼や詫びは、相手が喜ぶものでなければ、意味がない。
そして、兄貴の方も気になる。
オレ以上に、栞の「識別魔法」に興味を示す気がするのだ。
下手すれば、今、すぐにでも、飛んできてもおかしくはないほどに。
自分の目で確認したいだろうからな。
まあ、時間的にそれはない。
ないだろう、多分。
栞が使う「識別魔法」に対して、どんなに興味が湧いて、飛んできたとしても、栞は既に夢の世界の住民だ。
オレならともかく、主人である栞を叩き起こすようなことはしないだろう。
兄貴の興味を引くと分かっていても、ここで、あの魔法について全く報告しないという選択肢はなかった。
何より兄貴の観点からの話も知りたい。
その全てを話すことはなくても、オレにとって必要な、いや、栞のために知る必要がある情報ぐらいは寄越すだろう。
その使い手となった彼女自身は何故か、大した魔法じゃないと思っているようだが、名を知ることも、その特徴や効果を知ることができるのも、普通は図鑑などの知識が必要だ。
そして、図鑑などの専門的な書物は、それを必要としなければ、購入することもない。
さらに、「識別魔法」は、魔法書がなかなか手に入らないほど稀少な魔法でもある。
市場に魔法書が出回らない本当の理由を知らなければ、栞を護ることもできない。
改めて規格外の主人を思って、オレは溜息を吐くしかないのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




