少年たちの師
兄貴は言った。
「あのミヤドリードと同じように」と。
その言葉で、オレの背中に冷たいものが走る。
「ミヤドリード=ザニカ=バンブバーレイ」……、通称、「ミヤ」はオレたちに様々な知識と技術を与えてくれた師のような存在だった。
オレの基本的な魔界の知識は兄貴からの指導によるものがほとんどだが、錬石の見分け方やそれに魔力を込めるなど、魔石に関することはミヤの教えが基礎となっている。
そんな彼女は、オレたちが人間界へ行った直後に死んだのだ。
そして、その死因は不明。
オレが知っているのは、兄貴が言ったとおり、城下の隅、聖堂の裏手にある人がほとんど通らない所で、たまたま通りかかった守護兵によって発見されたということだけだった。
「……ミヤは……、あの後、何をしたんだ?」
『さあな。俺が知っているのは、あの日……、2人の後を追えなくなった状態だった俺たちを、無理矢理、互いをくくりつけて転移門に押し込んでくれたことぐらいだ。その後、俺たちに背を向けたミヤが何を思い、何を見たかまでは……、誰も知らん』
2人が消え、オレたちが強制的に転移門を使用させられた日。
あの日のことは、今でも分からないことだらけだ。
チトセ様とシオリが何故、急に城から離れようとしたのか?
オレたちをどうして置いていったのか?
何故、ミヤは足止めされていたオレたちに、転移門を使わせてまでその場から離したのか?
そして……、何故、それから僅か一ヶ月後に、彼女が城下で遺体となって発見されるような事態になったのか?
その間に何が起きたかは誰も分からない。
兄貴が、転移門でできた空間を安定させ、魔界へ戻った直後の話だったそうだ。
見つかった遺体は酷く無残で……、兄貴はとてもじゃないが正視することができなかったとまで言う。
そして、オレにはそれがどんな状態だったかは詳しく教えてもらっていない。
知らないままでいろ、と兄貴はあの日、オレに言った。
『10年も前のことだ。今更、それを蒸し返しても誰にも益はない。ただの自己満足だ。それに……、現在、城内にいる人間の半分以上はミヤドリードのことを知らない。発見した守護兵も、あれからすぐ、別の地へと派遣されているからな』
兄貴はそう言って溜息を吐く。
10年というのはそれだけ長い年月だということだ。
その間に城の中の人間たちが入れ替わることは不自然ではない。
代替わりだって行われている。
それに、あの時、子どもだったオレや兄貴が人間界へ向かわず、真相究明を叫んだ所で、誰も動いてはくれなかっただろう。
オレたちはそれだけ無力だった。
だから、兄貴は人間界から城へ通うことを決めたのだ。
何も知らないままでいたくない、と。
「千歳さんも……、ミヤが死んだことはもう知っているんだろ?」
『ああ、魔界に戻る前にはお伝えてしていた』
「……どうだった?」
『思っていたより、落ち着いていらしたよ。それに、俺が言う以前から、なんとなく気付いていたようだからな』
「……そうか」
ミヤと千歳さんは、シオリが生まれる以前からの付き合いだったと聞いている。
だから、オレには想像できないほどの何かがあったに違いない。
子供心にもかなり仲の良い二人だったと記憶している。
それなのに、千歳さんはそんな友人の死に対して、兄貴の基準でも落ち着いていたということか。
やっぱりあの人、只モンじゃねえな。
「親父たちの墓……、あれは兄貴か?」
オレは兄貴に確認する。
『……行ったのか?』
兄貴が驚きの声を上げる。
どうやら、今更、あの場所にオレが行くとは思っていなかったようだ。
「魔界に来て割とすぐの時期に、高田に引き摺られた」
実際、あれがなければ行く気など全く起きなかった。
あの場所に行くことなど考えもしていなかったのだ。
死んだ人間を悼んだ所で、蘇るわけでもない。
ある意味、無意味な行動だろう。
それなのに……、本当にどこまでもお節介な女だと思う。
オレが両親の墓参りをしたことがなくたって、アイツには関係ない。
そんなこと、あの女にはどうでもいいことだろうに。
『そうか……』
光る珠を通して、兄貴の溜息が聞こえた気がする。
それはどこか安堵したような、オレに対しての反応としては珍しいものだった。
『気付いていると思うが、あの石は本物だ。両親の「魂石」は俺がずっと持っていた。もう一つ後方にあった「墓柱」はミヤの分だ。彼女の「魂石」は……、陛下がずっと持っていてくださった』
「陛下が?」
それは異例のことだと思えた。
『ミヤは……、元々、陛下の客人として滞在していたからな。それを……、俺が引き取らせていただいた』
「……よくできたな、そんなこと」
陛下がミヤの「魂石」を持っていたことも驚きだが、兄貴がそれを受け取ることができたのはもっとびっくりする話だ。
オレたちとミヤの関係は師弟関係に近い。
つまりは血の繋がりはない他人だ。
だから、形見の品々を受け取ることができても、高価な「魂石」までも渡されたのはちょっと不思議な気がした。
『ミヤを、城に遺すことは、妃殿下が反対しそうだったからな。不審で惨たらしい死を遂げた人間を、城の敷地内にある由緒正しき墓に祀って、王家にどんな呪いをもたらすか分からないそうだ』
ああ、あの王妃はそんなことを言いそうだな。
オレは歯噛みをする。
『だから……、陛下にトラブル回避のために自分が引き受けると進言した。陛下も俺たちが彼女にかなり世話になっていたことはご存知だったからな。説明の手間は少なくて済んだ』
それでも兄貴は当時、8歳になるかどうかという頃だ。
それにも関わらず、大人の……、それもこの国最高位の国王陛下に対して自分の要望を伝え、それを叶えるというのはどれだけの偉業だったことだろうか。
そんなこと、今のオレにだってできるかどうか分からない。
「あの墓室を整えたのも兄貴か?」
『ああ、あれは……ミヤの親類だ。今ならともかく、子供だった俺があそこまでできるわけはないだろう? どれだけ金がかかると思っているのだ』
「は? ミヤに親類がいたのか?」
ミヤは、この国に身寄りはないと聞いていたのだが……。
『ミヤは、国王陛下の乳母の娘だったらしい。尤も血の繋がりはなく、養子縁組だったと聞いている。その縁で、乳母が亡くなった後も、城に滞在していたようだ。親類は……、その乳母の息子だと陛下より伺っている。つまり、国王陛下とは乳兄弟ということになるな』
「10年も過ぎ去って、初めて知る衝撃の事実だな」
『仕方あるまい。ミヤは話好きではあったが、自身については多くを語らぬ女性だった。俺も未だに分からないことの方が多い』
確かに千歳さんも謎が多いけど、ミヤはそれ以上に謎しかない人だった。
亡くなってから、彼女に付いていろいろ知るというのはなんとも複雑な気分ではある。
『あの場所なら、そう簡単に誰かの目に付くこともないだろう。彼女は友人である千歳さまのためにずっと、俺たちが城に来る前から戦い続けてきた人だ。王妃殿下や城などの面倒事から離れて、今はゆっくり眠れていると良いのだが……』
そう語る兄貴の声は珍しく感傷的だった。
彼女について深く考えもせず、何も知ろうともしなかったという後悔の念は、もしかしたらオレより兄貴の方が強いかもしれない。
なんとなく、初めてミヤに会った日のことを思い出す。
シオリに連れられて、チトセさまとミヤに会い、オレたちの身の上話を聞いた後、彼女は涙を零しながらも兄貴とオレを強く抱き締めてくれた。
そして、「これからのことは心配するな」と言ってくれたのだ。
母親というのはこんな感じなのかと、早くに母を亡くしたオレはその時思った。
いや、その考え自体は後に彼女自身の手で行われる教育的指導……、愛の鞭とやらの中で薄れていってしまったのだが……。
もうこれが何度目の問いかけか分からない。
だが、やはり、何度も聞かずにはいられないことがオレにはあった。
「兄貴……。ミヤは……やっぱり、王妃に殺されたんだろうか?」
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