頬が蕩けそうになる
「ふわっ!?」
わたしのそんな声に……。
「美味いだろ?」
銀髪碧眼の青年は、ふっと微笑んだ。
なんだろうね。
黒髪、黒い瞳よりも、銀髪碧眼の九十九の方が、なんというか、ちょっとした色気みたいなものがある。
髪や瞳の色を変えただけで、顔そのものは変わっていないのに、どうしてこうも印象が違うのか?
いや、もともと九十九も色気のある笑みを浮かべることはあるのだけど、この城下の森に来てから、殊更、多い気がする。
だが、考えてみれば、彼はあの雄也さんの弟なのだ。
本来の九十九と同じように黒髪、黒い瞳なのに、ちょっと笑うだけでも、妖艶さを醸し出すあの美貌の御仁を思い出す。
あの人と同じ血が流れている時点で素質はあるということだろう。
「うん。美味しい」
今、口にしたのは、「ライアジッド」という名前の果実だった。
九十九がお皿に繰り抜いた果実の器に、薄く切り分けて、花のように綺麗に飾り付けてくれた。
ただ切るだけで良いのに、見栄えにまで拘る辺り、わたしの護衛は、やはり料理人なのではないだろうか?
そして、その一つを口にした途端、想像以上に溢れ出した果汁に驚き、桃を濃縮させたような蕩けるような甘さが自分の口内に広がっていくのが分かる。
切った直後は香りも仄かだったのに、今、口中から鼻を通り抜ける香りは、以前、感じたことがあるものと違って、桃とはまた違う甘さを思わせるものだった。
「ううっ」
だが、二つ目に手が伸びかけて、止めてしまう。
うぐぐぐ……。
時間は夜。
そして、甘い果汁は糖分が多く太りやすいと聞く。
それでも、この誘惑には抗えない。
流石、遊里でもある「ゆめの郷」でしか買えない果物だ。
「夜の間食はあまり勧めたくはないが、たまには良いだろ?」
そして、ここにもわたしへの誘惑がお上手な殿方がいます。
わたしの葛藤を的確に読み取って、さらに罪悪感を拭おうとする言葉を吐くとは……。
「でも、太っちゃう」
「お前は、城でまた体重を落としている。それを少し、取り返せ」
あ~~~~っ!!
どうして、彼はこうもわたしを誘惑するのが上手いのか!!
「痩せてないよ。少なくとも、どこかの双子のように痩せてない」
「比較対象がおかしい。あの二人は体質だ。お前はもっと健康的になって良い」
アリッサムの王女殿下たちは、その魔力の膨大さのため、身に纏う体内魔気も強く、抑えていても、常日頃から消費カロリーが高いらしい。
代謝が良すぎると言うことだろう。
羨ましい。
「それでなくても、お前もずっと前より魔法力を使うようになっているんだ。以前と同じような食費量では足りなくなるのは当たり前だろ?」
「お腹はそんなにすかないんだけど……」
少なくとも、どこかの王女殿下たちのように、すぐにお腹はすかない。
「良いから、食え。食ったことを気にするなら、この後でどんどん消費しろ」
まあ、確かに、わたしはこれを食べた後も魔法を使う予定だ。
でも今から使う「識別魔法」って、あまり魔法力を消費した気がしないんだよね。
「いただきます」
でも美味しいものと九十九には勝てない。
素直に手を伸ばして、二切れ目を口にする。
うん、美味しい。
そして、そんなわたしの顔を見て、満足そうに微笑まないでください。
彼は本当に護衛なのか?
食事するたびに、「料理人」とか「栄養士」とかそんな単語がいくつも頭を過ってしまう。
まあ、心も身体も魂ごと護ってくれると宣言してくれるような護衛だからね。
わたしの体調管理もしてくれる気で、いろいろと勉強してくれたのだろう。
「これ、本当に美味しいね」
人間界でも桃は好きだった。
それに似た甘さと更なる美味しさを持ったこの果実が気に入らないわけがない。
「手に入りにくいのが難点だけどな」
「そんな貴重な果物をこんな夜食にして良かったの?」
「もともとオレはお前に食わせたくて買っているからな。それが今だっただけだ」
ぐぬう。
この口説き上手な殿方め。
甘い顔を見せつつ、普通の女性なら誤解しちゃうような台詞を平然と言ってのける。
わたしじゃなかったら、「あれ? この人ってもしかしてわたしのことを……? 」って、絶対、思っちゃうから!!
勿論、わたしは思わないよ?
当然でしょう?
以前、しっかりフラれていますし?
九十九がわたしを過保護なぐらい護るのは仕事だし、たまに漏れ出てくる甘い表情と言動については、当人が無自覚であることは嫌というほど理解している。
それにこの世界での彼との付き合いは既に三年を超える。
その間にいろいろと、本当にいろいろとあったのだ。
それなりに関係も、距離も変化しているけれど、それでも九十九は最終的に主人としてのわたしを護る方向に行く。
自分を犠牲にしても、わたしを護ろうとしてしまう。
それが、明解だったのが「発情期」。
誰もが抗うことが難しいと口を揃えて言うようなその症状すら抑え込んで、苦しそうにしながらも彼は、ギリギリの所で留まってくれた。
わたしは自分の身を護ってしまったのに。
「美味いか?」
「うん。甘くて美味しい」
頬が蕩けそうになる。
果物の甘さよりも、目の前にいる殿方の表情に。
なんで、こんなに嬉しそうに笑うのだろう?
「あなたは食べないの?」
最初の一切れを口にしただけで、九十九はずっと食べずにわたしを見ている。
ちょっと恥ずかしい。
「食べるよ。お前も全部は食えないだろ?」
確かに。
夕食後、この時間帯に、この量は多い。
確かに甘くて美味しいけど、限度はある。
「お前が残した分、ちゃんと食うから気にするな」
「いや、一緒に食べようよ」
せっかく、こんなにも美味しいのだから。
「お前が好きなだけ食え」
わたしの料理人……、違う、護衛は、こんな時でも主人を優先してくれます。
でも、わたしは一緒に食べたいのだ。
美味しいモノってその方がもっと美味しく食べられる気がするから。
どうしたら、もっと一緒に食べてくれるかな?
わたしは、目の前のお皿に飾られている果実を一切れだけ箸で摘まみ取って……。
「はい、あ~ん」
「はっ!?」
そのまま、九十九の前に差し出した。
流石にわたしの行動はいきなり過ぎたのか、九十九がその青い目を丸く見開く。
「食べて?」
「…………」
少しの間、九十九は口を突き出したり、目を泳がせたり、下を向いたりと百面相を繰り返していたが、観念して、目を閉じて素直に口を開けてくれた。
青い目を閉じると、その綺麗な顔はどこか、作り物のように見える。
今の九十九は銀髪で、睫毛や眉毛まで銀色に染めてあるほどの徹底っぷりだ。
だけど、口はいつも通り。
いや、彼の口の中なんて、大声を出してお説教されている時ぐらいしか、明るい場所では見ることもないけど。
その口に恐る恐る、手にしていた一切れを箸が刺さらないように注意しながら、ゆっくりと入れる。
九十九の口に果物が入ると、彼は口を閉じて目を閉じたまま、もぐもぐと咀嚼した。
一切れが大きいかなと思ったけど、そんなことはなかったらしい。
「どう?」
「美味い」
まあ、確かに誰から食べさせてもらっても、美味しいものの味が変わるわけはないか。
「だけど、もう食わせるのは止めてくれ」
そう言いながら、九十九は片目だけ開いた。
「こうでもしなければ、あなたが食べようとしないからじゃないか。わたしは後、多くても二切れぐらいしか入らないよ」
「分かった。二切れ以外はオレが食うから、もう食わせるな」
「うぬう」
そんなに嫌がることはないじゃないか。
だけど……。
「ほれ」
そう言いながら、わたしの目の前に差し出される一切れの果実。
「ほ?」
「お礼だ。お前にも食わせてやる」
そこにあるのは黒髪、黒い瞳の時でもよく見た妖艶な笑み。
「まさか、食えねえとは言わないよな? 我が主人」
まさかの反撃!?
そして、なんで、彼はわたしを揶揄う時が一番、良い顔をするんですかね!?
「うぐ」
でも、先にやったのはわたしだ。
観念して目を閉じて口を開けて待つ。
そのまま、自分の口に入れられる甘い果実。
うぐぐぐぐ……。
悔しいけど、甘くて美味しい。
だけど、それ以上に恥ずかしい!!
「美味いか?」
目を閉じているせいか、その声はいつも以上に甘くて脳に響く。
うううっ。
彼に弱点はないのか!?
片付けがあったか。
でも、それぐらい弱点にはならないよ!!
「もう一切れ、食うか?」
「もふ、いい」
まだ口をもごもごしているせいか、変な声が出た。
九十九みたいにすぐに食べるなんて、できないよ!!
そんなわたしは余程、おかしな顔をしていたのだと思う。
目を閉じていても、九十九の笑う気配が分かるから。
きっとかなりいい笑顔をしていることだろう。
それを見るのはちょっと癪だから、このまま目を閉じているのだけど。
なんで、わたしの護衛はわたしを揶揄う時が一番、良い笑顔なんだろうね?
そんなに反応が面白いのかな?
でも、いいや。
彼が笑ってくれるなら。
無理している笑顔じゃないのなら。
わたしを気遣う困った笑顔じゃないのなら。
わたしは道化師でも構わない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




