きっとあともう少し
「試飲しないの?」
そんなわたしの問いかけに対して……。
「お前の前では飲まない」
九十九は、はっきりとそう答えた。
「早速試すかと思ったのに……」
「今は、オレに異常があった時に困る」
「いや、異常があったら困るなら、尚更、一人の時に飲んだら駄目なのでは?」
わたしは治癒魔法を使える。
一応、解毒魔法も使える。
解毒魔法の方は、自分以外で試したことはないけれど。
それなら、万一に備えた方が良いのではないだろうか?
「『薬物判定植物』の棘が伸びるのは、身体に害のあるものだ。逆に言えば、身体に有効なものや栄養になるものには赤くなる。ここまでは知っているな?」
「うん」
カルセオラリア城で説明されたし、以前、九十九が使っている所も見ている。
「以前、『ゆめの郷』で催淫剤を使った時は警戒棘が伸びた。だが、トルクが言うには、男向けの……、精力増強剤系のものだと赤くなる可能性が高いらしい」
「ふえっ!?」
今、さらりと凄いことを説明されたのは気のせいでしょうか?
「男性機能の向上は、身体に有効だと判定されるってことだな」
「……いろいろ、待ってください」
いきなり、そんな情報をもらっても大いに困る。
「なんで、そんな話?」
もっと他に微妙な判定が出るような効果はなかったのだろうか?
「もともとこの世界の薬用酒にそんな種類のものが多いんだよ。偶然できたのか、狙って作られているのかは分からないけどな」
「あうっ……」
この世界は薬を作ることが難しい。
料理ほど難しくはないけれど、同じ作り方でも作った人によって効果に差が出るらしいのだ。
だから、同じものを量産するのも難しい。
それなのに、そんな種類のものが多くなるというのは、その効果が出やすいということになるのは分かる。
「正しくは、滋養強壮、体力増強、疲労回復が多いんだが、その……、男の場合はちょっと……」
あ。
流石に言い淀んだ。
九十九も平気だったわけじゃないらしい。
少し、ホッとした。
この世界の人間にとって、お酒……、酒精を呑んだり食べたりすると、いろいろな能力が上昇することは知っている。
だから、小さい頃から飲酒することが多いし、人間界のように、それを規制する法律もない。
つまり、その殿方の能力上昇効果……、ということになるのだろう。
ただ精力増強効果というやつが具体的にどうなるかというのは正直、よく分からない。
言葉だけ聞けば、元気になるってことだよね?
でも、男性機能の話と、「ゆめの郷」でわたしが酷い気分になったお風呂のお湯が比較対象に上がったことから、そっち方面の話と言うことは分かる。
えっと、催淫ではなく、発情みたいな感じかな?
だが、流石に九十九に確認する勇気はない。
「とにかく! 新作の酒の試飲はその効果が分かるまで、お前の前では絶対にしない!! それは良いな?」
「勿論!!」
そんな話を聞いて、「そんなこと、気にしないで飲んで」とは言えない。
どんな無神経で無警戒な女だ?
そして、もう少し誤魔化すこともできたのに、ちゃんと顔を赤くしながらも危険性を説明してくれる九十九はやっぱりいい男なのだと思う。
「でも、それじゃあ、なんでお酒なんか作っているの?」
わたしの前で作る必要性が分からない。
「作る過程は見せたいんだよ。面白いだろ?」
「確かに面白いけどさ」
そして、九十九のことだから爆発系など危険な反応が出るようなものは避けてくれていると思う。
「オレの我儘でお前までこの国に来ることになった以上、あまり退屈させたくはないからな」
「退屈はしてないよ」
「それなら良かった」
九十九はそう言いながら青い目を細めて笑ってくれる。
寧ろ、毎日が刺激的で困るほどだ。
お互いの髪や目の色を変えていることもある。
でも、それ以上に、こんなにも九十九と長い間、二人だけになるなんて、今までなかったのだ。
二人で行動することは多いけど、今回みたいに二人きりで一つ屋根の下、ずっと過ごすのは「ゆめの郷」以来だし、それもここまで長い期間でもなかった。
いや、「ゆめの郷」は一つ屋根の下どころか、ずっと同室だったし、さらに言えば、同じ布団に収まってすらいたのだけど。
さらに言うならば、この国に来て、ほとんどの時間はセントポーリア城内にいた気もするのだけど、それらは置いておいて。
二人で同じ空間で食事をしたり、買い物したり、あちこちに行ったりするなんて、これまでも似たようなことはしてきた。
でも、なんとなく今回はそれらとは全く違う感覚なのだ。
こう、なんと言いますか、ちょっとばかり恋人気分を味わっている感じ?
つまりは、わたしは今、疑似恋愛を提供されているのだろう。
そして、これは九十九の意思ではなく、多分、雄也さんの考えなのかなとも思っている。
九十九からそんな提案するとは思えないし、彼が本気で疑似恋愛を提供しようと思っているのなら、もう少し、わたしの扱いが違う気がする。
わたしたちに時間の余裕ができて、九十九にやりたいことがあった。
それを利用して、雄也さんはこの時間を作ってくれたんじゃないかな。
トルクスタン王子が戻れば、わたしたちはローダンセに向かうことになる。
そうなれば、既にトルクスタン王子がある程度進めていた話がもっと進むことになるだろう。
他国とはいえ、王族が主導となって決めたことを断ることは容易ではない。
―――― ローダンセの貴族との見合い話
その相手はトルクスタン王子の親戚でもあるらしい。
彼の顔を立てる意味でも、会わないわけにはいかないし、公式的な身分のないわたしの方から断ることもできない。
確かに「聖女の卵」という肩書は与えられているが、それは法力国家ストレリチア国内での話であり、他国には関係ないのだ。
尤も、「聖女認定」を受ければ話は別らしいが、現時点で、それは選びたくない道でもある。
それに、セントポーリアのダルエスラーム王子殿下から全世界に手配書が回っているなら、わたしはあまり選択肢がないのだ。
このまま世界中を逃げ回るよりは、確実に守ってもらえる場所で落ち着いた方が、わたし自身も護衛たちも安心、安全だろう。
他国の王族に仕える貴族相手なら、中心国の王族であっても無理強いはできない。
だから、この時間はそれまでの猶予期間だ。
わたしが、「高田栞」として、自由に過ごせる残り少ない時間。
「見ろ」
九十九が嬉しそうに声を掛けてきた。
「こっちの酒だと、ミタマレイルの花を漬けた途端、透明になったぞ」
真っ黒なお酒にミタマレイルの花が触れると、九十九の言う通り、瓶が透けて見えるようになった。
「浄化されたみたいだ」
まるで闇から光になったかのように。
「いや、もっと他に言い方はないのか?」
「それだけ劇的な変化だったってことだよ」
透明と言っても完全な無色透明ではなく、黄金色が透ける感じになっている。
泡があれば、人間界のCMで見た生ビール……、具体的には超辛口! という商品名のビール。
小学生の頃、夏に何度も流れるCMを見て、生ビールって凄く喉が渇くの? と母に聞いたら、笑いながら教えてくれたのだ。
お酒の辛口って英語が同じスペルだなんて思わないよね?
「ビールみたいな色だね」
「言われてみれば、ラガービールみたいだな」
ラガービール?
生ビールではなく?
「日本のビールは、ほとんどラガービールと言われているものだ」
わたしの顔で疑問を持ったことに気付いたのだろう。
九十九は答えてくれるが、そこで新たな疑問が生じる。
「……あなたはわたしと同じ年齢だよね?」
しかも、この世界に来る直前は中学生でしたよね?
「この世界で生まれた人間が、他国の酒に興味をもたないわけがねえだろ?」
堂々と答える現在18歳の青年。
お酒は二十歳になってから、の常識が刷り込まれているわたしには、理解しがたい部分ではある。
だが、他国、それも異世界。
好きなものに対してなら、確かにその興味は尽きないかもしれない。
「その出来上がったお酒が美味しいと良いね」
「そうだな」
わたしの言葉に九十九が笑う。
こんな時間も、きっともうあと少し。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




