【第100章― 今から始める ―】無駄な疲れ
この話から100章です。
よろしくお願いいたします。
「無駄に疲れた気がします」
わたしはポツリとそう呟いた。
「おお、お疲れ」
いつものようにお茶を注ぎながら、銀髪碧眼から黒髪黒目に戻した九十九は、わたしを軽い口調で労ってくれた。
だが、それぐらいで今のわたしが癒されるはずもない。
「少しぐらい助けてくれても良かったのでは?」
「膝に乗せるのだけは阻止しただろ?」
そう苦笑しながら、九十九はお茶を差し出す。
確かに、テーブルに着く時、陛下の膝に乗せられかけたので流石に慌てた。
九十九がやんわりと窘めなければ、あのまま、乗せられていた可能性は高いだろう。
そう思いつつ、お茶を口に含む。
……相変わらず美味い。
何が違う?
手順は同じ。
でも、味が全然違うのだ。
「陛下があんなに小さい子が好きだとは思わなかった」
「その言葉には語弊があるぞ」
そうは言われてもそう言う以外の言葉がない。
少し前までいたセントポーリア城での出来事を思い出す。
わたしは、この国の国王陛下の前で「変身魔法」を使って、自分の母親の若い頃の姿になった。
その後、何故か自分の幼い頃の姿を要望されたのだ。
そして、暫くの間、縦抱っこという稀有な体勢にさせられた後、テーブルで向かい合って軽食をしつつ、会話することになった。
その時は深く考えなかったのだが……。
「今のわたしは18歳なのです」
「知ってる」
「そして、最初に陛下にお見せした母の姿は15歳ぐらいを想定しました」
参考は母の中学卒業時のアルバムと、昔、雄也さんから渡された制服である。
因みに高校時代の母の写真は見たことがなかった。
一応、入学していたはずなのに、その時の写真すらなかったらしい。
まあ、高校に入学して数日でこの世界に呼ばれたようなので、母の家族も写真どころじゃなかったんだろうね。
「さらに、陛下からの要望されたのは5歳の自分ですよ? 幼い子供が好き以外の理由がない方が怖くないですか?」
それ以外の理由があっても正直、本気で困る。
5歳の自分は頭のどこかにあった。
人間界で写真が残っている6歳の自分ともそう大差はないから、変身するのも深く考えずに済んだのだ。
まあ、あの可愛らしい服はどこから来たのか不明だけどね。
「どうでもいいが、なんで、さっきから丁寧語なんだ?」
「いや、陛下の前でこんな口調だったからつい?」
ようやくセントポーリア国王陛下から解放され、九十九と共に、城下の森にある簡易住居に戻ったのが、ほんの少し前。
ここに戻る直前まで、5歳の姿で陛下と接していたためか、妙に丁寧な言葉が抜けきらないっぽい。
「引き摺られているか?」
「何が?」
……というよりも何に?
「オレが覚えている限り、シオリは、丁寧語が多かったんだよ。まあ、周囲が年上ばかりだから、必然的にそうなったんだろうけどな」
ああ、つまりは過去の記憶の名残みたいなものかな?
その時代のワタシのことは覚えていないのだけど、この身体のどこかにはその残滓みたいなのがあるらしいからね。
「九十九にも?」
「オレには……、ため口を頑張ろうとしていた気がする」
「頑張るほどのことなのか」
今の自分からは信じられないことだった。
ため口……、対等な口調。
少なくとも、小学校時代に同級生だった九十九に対しては、その口調で話しているつもりだ。
「オレ以外なら、兄貴に対してもそうだったかな」
「雄也は、2歳も年上なんだけど?」
そのために、「雄也先輩」と呼んでいたわけだし、今のわたしは敬語を使っている。
それなのに、その雄也さんに対して「ため口」というのはちょっと不思議な気がした。
昔のワタシの基準が分からない。
「なんか知らんが、あの当時のシオリは、『友人』に対しては、『ため口』で話さなければいけない決まりがあったらしい」
「あ~、なるほど」
そんなマイルールがあったなら、納得ができる。
敬語の概念が微妙に曖昧だった頃に会った恭哉兄ちゃんと楓夜兄ちゃんに対して、未だに敬語が抜けそうになるようなものだ。
「九十九も懐かしかった?」
「あ?」
「5歳のワタシ」
その頃のワタシを追いかけて彼は別世界まで来たのだ。
兄と一緒とはいえ、まだ5歳の砌であった。
それだけ、執着……いや、大事だった年代の幼馴染の姿に会えたのだから、いろいろと思うところがあったのではないだろうか?
「懐かしいのは当然だな」
九十九も対面でお茶を飲む。
陛下が目の前にいた時のような緊張感は彼から感じられない。
今は銀髪碧眼ではなくなっていることも一因だろう。
わたしも今は黒髪、黒目に戻している。
ずっと別の色にしていたから、コンテナハウスに戻ってきた今日ぐらいは、お互い、地でいこうとなったのだ。
違う色だと互いに気疲れをすることが分かっている。
自分の姿も相手の姿もいつもと違うせいだろう。
だが、ここなら、他の人間はいない。
緊張することもなく過ごせる。
尤も、明日からはまた、九十九は銀髪碧眼に、わたしは濃藍の髪に緑の瞳に戻して、再び、城下生活を満喫する予定なのだけど。
そして、セントポーリア城にはもう暫くは行くことはないだろう。
陛下から召喚されたら仕方なく九十九だけでも行くことにはなるかもしれないが、わたしは行かなくて良くなったのだ。
護衛たちの想定外のことが多すぎるというのが理由の一つだが、それ以外にも、母の介入があったらしい。
陛下と母と、雄也さんの間で何か話し合いがあったらしいが、詳しくは知らない。
九十九もその場には立ち会っていないそうだ。
その「オハナシアイ」の後で会った時、母曰く、「九十九くんは、栞の弱みになるから」とのこと。
本来は逆じゃないかと思ったけど、陛下の強権に対して、九十九は突っぱねられないことが多いらしい。
多少なら、正論を行使して躱すこともできるが、所詮は雇用主に逆らえない労働者の身である。
どんなに有能な護衛でも、強者には勝てない。
雇われの身であるというのは雄也さんも同じであるはずだが、陛下との付き合いは長いため、その対策を知っているそうだ。
長い付き合いというのは、お互いに弱みを握り合うことなんだなと思うしかない。
「九十九が望むなら、あの姿で過ごしても良いよ?」
陛下のように九十九が幼馴染に会いたいと願うなら、わたしはそれを叶えることはできるのだ。
この世界に来てからずっとわたしを護ってくれている護衛に対して、それぐらいの恩は感じている。
変身魔法はそんなに魔法力を使わない。
そして、効果時間も長い。
「阿呆」
「ほえ?」
だが、彼はそれを望まなかった。
「オレがあの姿を望んだら、ますます少女趣味疑惑が深まるだけじゃねえか」
どうやら、少し前に書物館で言われた言葉を気にしているらしい。
「子供好きって悪いことじゃないと思うのだけど」
小さい子を性愛対象として見るのは人としてどうかと思うけれど、日頃の九十九を見ている限り、そんな印象は全くない。
まあ、わたしと一緒にいたためにそんな疑惑を掛けられてしまったことは申し訳なく思うが、それは勝手に勘違いをした相手が悪いのだと言い切らせていただく。
「子供好きは悪くないが、幼児好きは問題だろう?」
「わたしも小さい子は好きだけど、それは問題?」
「お前の場合は、普通に母性だ。正常だ」
「ぼせい……」
あまり自分に対して使われる言葉ではないが、わたしが乳児や幼児を見て、「可愛い! 」と叫びたくなることは母性の範囲内で問題ないらしい。
「じゃあ、九十九はわたしが幼児化したら、問題行動を起こすの?」
「起こすわけねえ!!」
それなら、何も問題はないと思う。
でも、九十九はあの姿のわたしを望まないのか。
なんとなく、意外だった。
「オレは今のお前の方が良い」
「ほげっ!?」
時々、わたしの護衛は心臓に悪いことを口にします。
「見慣れているからな」
そして、叩き落とすところまでがセットです。
「分かっていた」
「あ?」
思わず口に出ていた。
「わたしが銀髪碧眼よりも、今の九十九の方が良いって思うようなものだね?」
「…………おお」
変な間はあったが、九十九の顔は少しも変わらなかった。
もう少し動揺ぐらいしてくれてもいいじゃないか。
ぐぬぬぬ……。
どうしたら、この護衛の顔色が変わるのだろうか?
わたしはそんな無駄なことを考えるのだった。
とうとう100章に入りました。
まさかの三桁。
長くなるとは思っていたけれど、ここまで長くなるとは思いませんでした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからもどうぞ、当作品にお付き合いください。




