眠れなかった理由
「千歳さんのことなら、兄貴に任せておけば大丈夫だよ」
「そ、そうかな?」
オレの言葉に、彼女は分かりやすくその表情を変えた。
「魔法国家出身貴族の水尾さんだって、ぶったまげるほどの道具を使って、兄貴とセントポーリア王が作った本気の護りだ。行き先は確かに敵陣だけど、ある意味、護りが少ないお前よりはずっと安全だよ」
オレは断言する。
それなりに多くの金や時間をかけて、今現在、兄貴が知る限り最高のものを使って結界を張ったという。
元々、存在している城の結界の上に、さらに護りを重ねることはできないことではないだろうが、その場所の魔気にその結界が馴染むまでは、どうしたってその魔気の流れが不自然になったりする。
それに、結界の存在と言うのは、水尾さんのように分かる人間には分かってしまうものだ。
城は、魔力感知に優れた人間ばかりではないが、国王に仕える者たちが鈍感な者ばかりでもない。
特に国王の近衛兵になるような者たちは、あの兄貴も認めるほど才能がある人間も多いらしい。
そんな事情を知らない第三者にも違和感がないような結界を張るなんて、まず、普通の結界魔法では不可能だと思う。
セントポーリア城の守護のために張られている結界は、古代の……忘れられた時代と呼ばれる頃に張られたらしく、残念ながら現代魔法とは異なる技法としか分かっていない。
そもそも、そんな古い時代から今の時代まで維持できている結界なんて、既に自然結界と似たようなものだと思う。
オレは立ち入ったことはない謁見の間と呼ばれる大広間や、国王陛下の私室、ガキの頃にオレたちが陛下と対面する時に使っていた執務室と呼ばれていた部屋には、さらに強力な結界があるらしい。
その中に他国から取り寄せた道具を使って、今回、千歳さんが住む予定の空間を作り出すとか聞いている。
普通に考えてもありえない手法であった。
つまりは、莫大な魔力と金と手間がかかっている。
公式的に側室ですらない千歳さんであるのだが、その扱いとしては破格の対応といえるだろう。
確実に、王妃殿下より格上の扱いをされることになるのだ。
そして、それは……、王妃殿下よりも寵愛を受けることを意味している。
「……そうだね。これからは……、母は国王陛下……が護ってくれるかな」
彼女はホッと胸をなでおろしながら微笑んだ。
「……いや」
悪いが、オレはその意見に賛同できない。
「へ? 護ってくれない人なの?」
彼女は驚きを隠さず、不安そうな顔でオレに尋ねる。
「違う。陛下の意思と無関係に行動するのが、オレが知っている千歳さんという方だ。あんなに行動力のある人が、じっと一つの場所に留まっていられると思うか?」
問題は国王陛下にあるわけではない。
陛下には何も問題はない。
本当に陛下の方には何一つ問題はないのだ。
「……一国の王ですら、あの母を止めることはできないのか」
そう考えると、この母娘はよく似ているのだと思う。
周りの人間が言うことに耳は貸すが、聞く気はないところなどそっくりすぎて泣きたくなってしまうほどだ。
真面目に聞く姿勢をとるから、うっかり騙されてしまう。
本当にタチが悪い。
「だから、城でも大人しくしているとは思えんな。素直に行くと決めたのも、恐らくは何か考えがあってのことだと思うぞ」
「考え?」
「今のところオレには分からんが……。もしかしたら、兄貴は気付いているかもしれん」
城攻めで最も難しいのは、その懐に潜り込むこととされる。
あの千歳さんがどう中から切り崩す気なのかは分からないが、城へ行くと決めたのは内側から相手の戦力を少しずつ削り落としていくことが狙いなんだと思う。
なんと言ってもあのミヤドリードが友人と認めたような女性だ。
普通の人間であるはずがない。
恐らくは、オレや兄貴が知らない面を持ち合わせていることだろう。
「どう転んでも、国王陛下が苦労することになるんだろうけどな」
「……それは少し同情するかも……」
人間界で一緒に暮らしていた娘である彼女が思わず遠い目をしている辺り、千歳さんは昔とそんなに変わっていないのだろう。
しかし……、オレの目の前にいる彼女だって、そう大差がない。
いや、知識がない分、もっと信じられない行動を取る可能性が高いと思っている。
同情するなら、国王陛下じゃなく、オレにしろ。
「でも、兄貴の話では逆境に強い国王だということだ。普通の王なら、もっとセントポーリアは国が荒れている」
「どういうこと?」
「王妃殿下。これが、セントポーリアの障害物だ」
「……贅沢三昧なの?」
オレの言葉に、彼女は眉毛をピクリと動かした。
「贅沢だけならまだ良いんだがな。立場……、権力を使ってやりたい放題らしい」
兄貴から話を聞いてきただけでも溜息が出てしまうようなものばかりだった。
そして、兄貴は全部をオレに言ってないだろう。
だから、外に出せないような話もいっぱいあると思っている。
「まあ、今回のことも普通なら考えられない話だよね。王子さまのために町娘を一人捕まえようと、兵を城下に派遣したってことでしょ? ちょっと過保護も行き過ぎだと思うよ」
彼女はそう言って大きな溜息を吐く。
兄貴からの緊急信号を受けて、オレたちは慌てて城下から脱出をした。
実際、追っ手がかかったかは分からないが、兄が通信ではなく信号を発信したということは切羽詰まった状況にあったと考えられる。
それ以来、兄貴と連絡をとっていないので、詳細は分からないが、彼女自身は今回のことを、王子に気に入られてしまったためと捉えているようだ。
だが、オレは違うと思っていた。
「いや、お前の正体がバレたんだろう。変装していてもどこかに千歳さんの面影が見えたんじゃねえか?」
通信珠が何も言わずにただ光っただけというのは恐らくそう言うことなんだと思う。
兄貴が一声も発さずに、早くそこから離れろと合図したのだ。
今も連絡をとらないのは、現状、兄貴が置かれている現状が全く分からないというのもあった。
まあ、兄貴のことだから、囚われるようなヘマはしていないと信じているのだが。
「その王妃には、直接会っていないのに? しかも、わたしはわざわざ変装までしていたんだけど……」
そこはオレとしても不思議なのだが……、女の勘とか言う厄介なものなんだと思う。
それでも、一週間の準備期間を置いてくれたのは、やはり、はっきりとした確信が持てなかったか?
「もし、間違って他の人が捕らえられたらどうなるの?」
「……そこをどうにかするのが兄貴の仕事だ」
尤も、正直なところ、そこまで面倒見るかどうかは分からない。
そして、変装した彼女と外見的特徴が一致する人間が、城下に一人もいないとは言い切ることができないのは確かだ。
だが、いくら兄貴でも、城下にいる全ての少女を護るなんて……、できないだろう。
多分。
「ただ、お前みたいに魔気を感じられない人間はそう多くはない。魔界中探したとしてもな」
「あ、そうか……」
意図的に押さえたとしても限度はある。
無に近いほど完璧に押さえるとすれば、それはこの女のように封印など外部の力に頼るしかなく、一般的な魔界人がそれをすることに意味はない。
魔力の完全な封印は、万が一の時に身を護れないからだ。
「封印されているのも悪いことばかりじゃないんだね」
そうくすりと笑った。
周囲にいる人間たちの気苦労も知らないで。
「その分、オレたちにかかる負担は大きいんだがな」
「そうか……。それは確かに大きな問題だなぁ……。せめて、もっと体力つけなきゃ」
「そう思うならちゃんと休んでくれ」
「うん、そうする」
どうせ聞かないだろうなと思っていたが、今度はあっさりと彼女は聞き入れてくれた。
「お?」
「何? その鳩が豆鉄砲食らったような顔は」
「いや、あっさりだなと」
「……もう、気は済んだし」
「そうか」
先ほどまでと違って、彼女は随分、すっきりした顔をしている。
口元に微かな笑みが浮かんでいるのを見て、オレも少しだけホッとした。
「おやすみ、九十九。無理はしないでね」
「それはお前だ」
「はいはい」
そう言って、手をひらひらさせながら、彼女は家に入っていく。
オレと少し話したことで、気晴らしになったのなら良い。
慣れない旅で大変なのはお互いさまってやつだ。
それならば……、休める間に休んで、体力を回復してくれ。
そう考えていた時……。
『今、大丈夫か?』
通信珠がぼんやりと光って、数日ぶりに聞く兄貴の声がしたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。