せめてもの温情
不覚。
目が覚めて、状況を理解した時の自分の心境を、たった一言で表す、この上ない言葉だろう。
自分が眠っている間に、随分といろいろ変化したものだ。
閉じていた両目を開いた時、最初に視界に入ったのは白だった。
ここまでの白さに出会うことはそう多くない。
暫くして、それが寝台に広がる敷布であることに気付く。
自分が身を委ねていたために、周囲は波打っていたが、白いことに変わりはない。
恐らくは何らかの手段で意識を奪われて、この場所に転がされたらしい。
冷たい床ではなく、清潔で心地よい寝台の上であったことは、せめてもの温情か。
転がされている自分以外の現状を把握しようとして体勢を変えぬまま、視線だけを動かす。
そして、少しずつ広げた視界の端に、白以外の色を収めた。
そこで飛び込んできた視覚情報に、思わず思考を停止させたくなったが、現実は受け入れるべきだと判断する。
そこにいたのは、国王陛下と愚弟、そして、遠い昔、見たことがある女児の姿だった。
国王陛下はその女児の対面に座り、笑みを浮かべながら愚弟の淹れたお茶を優雅な仕草で飲んでいる。
女児の方は、その背丈が低いために、椅子の上に厚めのクッションを乗せてその上に座ることで、テーブルまでの高さの調整をしているようだ。
だが、その分、床から離れることになるために、両足を揺らしている様は子供らしく、なんとも可愛らしい。
尤も、その当人の前で何も考えずにそんなことを口にすれば、流石に睨まれそうな気もする。
今の見た目は幼い子供ではあるが、その中身は立派な女性だ。
そんな彼女を幼子扱いするのはよくないだろう。
そんなことを考慮せず、日頃からお茶を好む主人に対して、グラスに注いだジュースを差し出している愚弟の図太い神経は驚倒に値する。
お前の趣味か?
単純にイメージの問題か?
確かに幼児がカップを持って国王陛下と共にお茶を飲むよりは、ジュースの方がより可愛らしいとは思うが。
さて、どうしてあのような状況になっているのかを考えてみよう。
陛下とその娘である主人が、向かい合って飲食していることは良い。
そして、その後ろで給仕をしているのが愚弟であることも問題はない。
だが、何故か、主人だけが幼児の姿になっていることは大きな問題だと言える。
彼女の母親が見たら、どんな顔をされることか。
十中八九、国王陛下の願いによって、主人がその姿を変えることになったのだろう。
主人の幼児期の姿。
それは、国王陛下にとって、夢でもあり、希望でもあり、そして儚い幻でもあった。
十年以上昔。
自分の娘だと半ば確信に近い心境にあっても、自らの立場や周囲の思惑によって、近付きたくても近寄ることすら許されなかったその姿に、妙な思い入れがあってもおかしくはない。
愚弟の方は、別種の妙な思い入れはあるだろうが、彼女のその姿を望むことはしない。
あの当時、確かに幼馴染であり、恩人であり、恐らくは友誼以上の感情も抱いていただろうが、それは既に、愚弟の中で思い出として整理をつけている。
今更、あの頃の彼女に会って、その姿を見て愛でたいと本気で願うことはないだろう。
それはある意味、自身の思い出の冒涜となり得る愚行だ。
そこまで阿呆だとは思っていない。
何より、あの愚弟は明らかに現在の主人に対して懸想しており、過去と今の彼女なら、迷いもなく今を選ぶとも思っている。
所詮、過去は過去だ。
それが綺麗で純粋な気持ちであっても、今を生きる者に対する感情には到底勝てるものではない。
勿論、幼児期の主人の姿というのは気になるようだが、それは過去に対する懐古の念であるため、あの陛下のように破顔しながら凝視する気もないようだ。
あの状態は陛下の望みだと思った根拠は他にもあった。
あの場にいる幼児は、主人の過去の容姿である。
だが、その時代に対して、その当人はあの二人ほど思い入れがないと確信している。
確かに自分の過去の姿である。
だが、記憶にほとんどない姿など、赤の他人も同然だ。
特に、主人はあの愚弟に対して、恋慕の情とまではいかないまでも、確実に友愛は抱いている。
だからこそ、俺たち兄弟が、過去の恩人のために働いていると未だに思い込んでいる主人が、その姿になるなど、かなり複雑な心境になることは想像に難くない。
それでも、彼女の立場上、国王陛下から強く望まれては、拒むこともできない心理も理解できる。
単純に上位者からの命令というのもあるが、ある意味、彼女自身も手に入らなかった時間ではある。
記憶を封印する前も後も、国王陛下と過ごす時間はそう多くない。
そのために、何度も接していくうちに、初めて対面した時にはなかった感情がその顔に見え隠れするようにはなった。
それでも、父親に対してというよりは、尊敬している上司のような存在に対する表情に近いものはあるが。
父親でない時間の方が長いのだ。
今更、父親面されても困るという部分もあるだろう。
現状は理解した。
そこに至るまでの経緯も大雑把ではあるが把握することができた。
そして、自分がこの場所に転がされている過程は、単純に、邪魔だったから意識を奪って大人しくさせたかっただけだろう。
意識を奪われる直前のことも思い出す。
あの時の主人は、自分の幼児期の姿ではなく、母親の姿を模していた。
それも、若い頃の姿だ。
国王陛下にとっては、懐かしくも愛おしい姿であったことだろう。
そのまま、幻影魔法で姿を隠して、この場所に運んだのだ。
そこまでは良い。
本来は幻影魔法でもその気配は微かに残る。
あの主人の気配は国王陛下にとてもよく似ているのだ。
そして、主人は眠っていたため、いつものように薬を服用できる状態でもなかった。
そんな中で、陛下の傍に置くのは、隠匿の手段としては最適であろう。
だが、流石に自分の寝台に上に乗せるのはどうかと思う。
確かに陛下にとって血の繋がった娘ではあるが、その時の姿は愛しく思う人間の姿なのだ。
そして、未婚女性である主人からしても、意識のない時に、異性によって寝台に運ばれたことになる。
それも、実の父親であっても、他人の期間の方が長かった相手でもあった。
陛下に限って邪な思いなど皆無なのだろうが、仕える身としては、そのことに対して、一言、物申さずにはいられなかったのだ。
その結果、そこから先の記憶が綺麗に途切れているため、恐らくは眠らされたのだろう。
それにしても、何故、王族というものは、口出しをされたくない時に、相手の意識を奪うという行為に出るのか?
どこかの魔法国家の王女殿下も、明らかに口を出されたくない時は、「昏倒魔法」という大技で意識を奪ってくれたことがあった。
まだ命令などで口を封じる方が穏当だと思うのだが、それを選ばない理由は分かりかねる。
俺のような凡人には、高貴なる方々のその思考が理解できないものなのだろう。
確かに精神的に大きな隙を見せてしまう自分が未熟なだけだと分かっているが、それでも、できればもっと穏便にことを運べるような他の手段を考えていただきたい。
なんでも力技で解決しようとすれば、いつかどこかで修復不可能なほどの歪みは生じるのだから。
そうはいっても、珍しく休ませてくださるようなので、自分はもう少しここで転がっておくことにした。
寝心地の良い寝具の上で、身体を倒しているだけでもかなり違うのだ。
何より、この城に来るたびに大量の書類と課題を押し付けられている。
それに比べれば、今回はかなり恵まれているだろう。
そして、この城は主人にとってはかなり危険な場所ではあるのだが、国王陛下の私室で、危難に遭うことは考えにくい。
そういった意味でも、落ち着くことができる。
尤も、主人にとっては緊張する時間であるだろうが、身の安全保障と、国王陛下の安らぎのために、少しの間だけ、犠牲になっていただこう。
そして、あの愚弟は後で締めると俺は心に決めたのだった。
この話で99章が終わります。
次話から、第100章「今から始める」です。
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