効率的な排除方法
「ん……」
寝台から、もそりと動く気配があったので、手を止め、そちらに視線を移した。
ゆっくりと起き上がる身体。
そして、そのまま動く顔。
「気付かれました?」
その声で、視線が定まり……。
「チトセっ!!」
「へ?」
そんな叫びとともに伸ばされた手に対し、轟音が部屋に響いた。
そのままふっ飛ばされる寝台と、そこに乗っていた人間。
「なるほど。効率的な排除方法だな。アレなら対象に対して『魔気の護り』が発生することはない」
「いや、それ以前に、陛下に対して、魔気の護りが発生したってどういうことだ!?」
兄貴の言葉にオレは思わず叫んだ。
これまで、栞の「魔気の護り」は、本能的な危険を感じた時に発生することがほとんどだった。
そして、多少の危険なら自分の意識で抑え込んでしまう。
咄嗟に出る時は相当、驚いた時だ。
つまり、今、そこの黒髪の女は、無意識に身の危険を感じたということに他ならない。
一応、その相手は実の父親で、この国の王でもあるはずだが、あの状況でそれを考えることができないほど栞は驚いてしまったということだろう。
しかも、身の危険を感じるレベルで。
「いきなり無遠慮な男の手が伸びれば、未婚女性は同じような反応を示すと思うぞ」
それは分かっている。
特に栞は、異性慣れしていないから、そういったスキンシップに対しての警戒心は意外とある。
但し、オレは除く。
そして、そこに優越感を覚えることはない。
オレは彼女にとって、寝具らしいからな。
だが、問題はそこではない。
「いや、今、寝台ごと吹っ飛んだ相手は、この国の王なんだが?」
「咄嗟にそこまでの判断ができるはずがないだろう?」
それも分かっている。
それほど陛下の行動は突飛すぎたのだ。
オレや兄貴が出遅れるほどに。
「兄貴、まさか……こうなると分かっていて、あの女に魔法を解かせなかったのか?」
国王陛下を眠らせた後、兄貴は栞が変身魔法を解除しようとするのを止めたのだ。
もう少しだけ、その姿でいて欲しいと。
それは、単に自分が若い頃の千歳さんの姿を見ていたいだけかと思っていたが、それ以外の意図もあったのか?
「どれだけ、陛下の御心を乱すものかと思っていただけだ」
兄貴はいけしゃあしゃあとそんなことを言うが……。
「この場合、心が乱れたのはあの女の方だと思うぞ」
寝台ごと陛下をぶっ飛ばした後、流石に栞の顔面が蒼白になっていた。
自分の行動の意味を理解したからだろう。
一国の王の行動に対して、模擬戦闘以外の場面でふっ飛ばしてしまったのだ。
それは、不可抗力とか、身の危険を感じたからとか、そんなことを言ってはならない。
この国では、王族が絶対上位者である。
そのことは、栞にも言い含めている。
しつこいぐらいに何度も。
だから、国王陛下に関しては仕方ないが、できるだけこの国の王族に関わるなとも言っている。
栞には言わなかったが、仮に閨への誘いであっても甘んじて受け入れなければならないのが、仕える者の務めとなるのだ。
尤も、その頂点である現セントポーリア国王陛下は無抵抗な侍女や女中に手を出すほどのクソではないため、そこまで問題視することはないが、それ以外の王族たちは別である。
無能でも権力だけはあるのだ。
その点が本当に厄介なのである。
だから、栞をクソ王子から逃がす以外の選択がオレたちもできなかった。
クソでも王子の命令がこの国内で行われたなら、公式的な身分を持たない栞は逆らえなくなる。
それが分かっていたから、クソ王子が栞を狙うと気付いた兄貴は、とっとと城下から出ろと指示を出したのだ。
まあ、今、そんな状況になったとすれば、彼女の護衛がかなりの激しい抵抗を見せる予定ではある。
あんなクソ王子に栞をくれてやる理由なんかねえ。
「あ……」
栞は茫然と自分の手を見る。
だが、この場合、栞は何も悪くない。
起き抜けで、まだ思考が定まっていなかった陛下の行動そのものは、悪くなかったとは言い難いが、そちらにも同情の余地はある。
そうだ。
全ては……。
「兄貴が悪い」
「いや、どちらかと言えば、先ほどの流れを予測しても、反応ができなかった俺たちが無能なだけだろう」
兄貴は肩を竦める。
自虐を口にしているようだが、それは遠回しに、この状況を予測すらしていなかったオレに対する当てこすりが入ってないか?
「なんで、今の流れを予測していたのに、あの姿のままでいさせたんだよ?」
「面白いものが見られるだろうと思ったのだ」
確かに兄貴にとって面白いものを見ることはできただろう。
国王陛下が吹っ飛ばされるなんて、普通はありえない。
だが、その代価として、栞の蒼褪めた顔というのは釣り合わないと思う。
「陛下! 大丈夫ですか!?」
ようやく、事態を受け止めたのか、栞が、弾かれたようにふっ飛ばされた寝台に駆け寄る。
相手がオレなど身内の身に起きたことならば、もっと早く正気に返っただろうが、混乱からすぐに戻ることができなかったのが、これだけでも分かるというものだろう。
寝台は見事にひっくり返っているために、陛下の状態は判断できない。
まあ、あれぐらいで王族が怪我を負うことはないと分かっているので、オレも兄貴もそこまで焦ってはいない。
栞は大変なことをしでかしたと思っているだろうけど、この場合、悪いのは陛下であり、彼女に罪はないのだ。
「ああ、大丈夫だ。しかし……」
陛下が寝台の下から這い出てくる。
それを栞が手を引いて手伝っているのだが、その姿に酷く違和感を覚える。
「今、俺は、そなたにふっ飛ばされたのだな」
「……はい」
陛下からの問いかけに、対して気まずそうに答える栞。
「見事だった」
だが、陛下は笑った。
「あのような方法で魔気の護りを無効化されるとは思わなかった」
「…………」
栞の目が泳ぐ。
そんなつもりはなかったと言いたげに。
「その姿はユーヤの案か?」
若い頃の千歳さんの姿をした栞を、眩しいものを見るかのように、陛下は目を細めている。
それにしても、真っ先に兄貴が疑われることになるとは……。
どうやら、こんなことを考えるのは、この場で兄貴ぐらいしかいないと思われているらしい。
だが、こんなこと、兄貴すら考えない。
「いえ、これは陛下の弱点を突くために、自分で考えました」
あまりにも飾り気もなく、素直過ぎる返答に陛下が苦笑する。
「違いない。今も昔もチトセは俺の最大の弱点だからな」
明らかな惚気の言葉を、胸を張りながら口にできる男はそう多くないだろう。
それを口にされた娘は複雑な顔をしている。
オレも母親が生きていて、父親に対する惚気のような言葉を聞けば、あんな顔になるのかもしれない。
尤も、そんなタイプの母親とも思えなかったが。
「ユーヤ、今の刻限は?」
「二十三刻を過ぎたところです」
「結構、寝たか?」
「いいえ、一刻ほどですよ」
本当はもっと眠っていただきたいところではあったのだが、流石に国王陛下は魔法耐性自体が強いということだろう。
時間的には日が替わる少し前。
オレも兄貴も問題ない時間帯だが、そろそろ栞が眠くなる時間だろう。
彼女は日頃からもっと早く就寝する。
特に今日は緊張する中の書類仕事をした後、模擬戦闘だ。
仮眠を少しとったぐらいで、なんとかなる疲労感ではないはずだ。
「大丈夫か?」
気になったので、声をかける。
「ん……。そろそろ限界かも」
意識させたら、一気に眠気が来たらしい。
体内魔気が変調する。
「じゃあ、寝ろ。運んでやるから」
「ん」
短すぎる返答をした後、栞は、いつもの通り、意識を落とした。
まるで、テレビの電源を切るかのようにあっさりと。
ぐらりと身体が揺れ、そのまま手足が弛緩するのを抱きとめる。
「ツクモ」
背後から刺すような声。
「はい」
栞を支えたまま、その声に応える。
何も悪いことはしていないはずなのに、心臓を掴まれたかのように緊張するのは何故だろうか?
「九十九」
横からさらに別の声。
恐る恐るそちらに顔を向けると、兄貴は困ったように笑いながら……。
「察してやれ」
そんなことを言った。
「察する?」
だが、何のことかが分からない。
兄貴は大袈裟に溜息を吐く。
「俺よりもお前の方が、陛下の気持ちがよく分かると思うのだが、違ったか?」
兄貴よりもオレの方が、陛下の気持ちを……?
ふと支えている黒髪の女を見る。
そこにあるのは、いつもと違う姿。
だが、ああ、そういうことか。
「陛下。主人をお任せしてよろしいでしょうか?」
今、栞の姿は、千歳さんの若い頃の姿となっている。
それを他の男が支えているのが、気に食わないのか。
姿はともかく、中身が違うと分かっていても、こればかりは理屈ではなく、感情の話だ。
ああ、それならば、確かに兄貴よりもオレの方が理解できるさ。
「良いのか?」
「勿論です」
本音を言えば、複雑ではある。
姿は千歳さんだが、中身は栞なのだ。
相手が実の父親だと分かっていても、それを託すのが、他の男であることは変わらない。
どうせ、オレは狭量だよ!!
だが、陛下の気持ちも分かってしまったら、無視できねえよな?
だから、陛下が栞を嬉しそうに抱えていることとか、どさくさに紛れて、その額に口付けていたことも見なかったことにした。
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