あまり常識を教えないで欲しい
「それは、千歳さんの姿か?」
「へへっ、そうだよ」
弟と主人の平和な会話が耳に届く。
あの弟は昔のあの方の顔を覚えていないらしい。
外見もそこまで変わっていないはずだが、師であるミヤドリードと一緒にいることが多かったため、師の印象が強すぎるのだろう。
「その制服はどうした?」
何も知らない弟がそう確認する。
すると、分かりやすく主人が動揺を見せた。
助けを求めるかのように自分に視線が向けられることが分かるが、身体を起こさない俺はやり過ごすことにする。
どう説明しても、弟は納得しないだろう。
国王陛下と久しぶりの対面に選ばれた服が、そのデザインだったなど、普通に考えてもおかしい。
自分もそう思ったが、その提案をしたのが、彼女の母親であったことと、単純に、その時の陛下の顔を見たかったという自分の好奇心もあった。
まさか、時を越えて、その姿が、俺も知らない当時のあの方自身の顔で再現されるなど、誰が思うものか。
「……以前、母の、制服を、見る機会が、ありまして?」
弟に対して片言の返答となったが、嘘は吐いていない。
実際は、見たどころか、着替えさせられてもいるのだが。
あの時の彼女の複雑そうな表情はよく覚えている。
弟は怪訝そうな視線をこちらに向けたが、追求することは避けたようだ。
「それを参考に15歳ぐらいの母に変身してみた」
簡単に言っているが、それが容易ではないことを、この主人は気付くことはないだろう。
天才は凡人の気持ちを解せない。
それは簡単にできることではないと言っても、それは相手の努力が足りないと思うだろう。
自分でもできることなのだからと。
周囲の人間全てに同じ姿を見せる魔法は幻影魔法、幻覚魔法としてもかなり高等技術になる。
だが、アレは恐らく幻影、幻覚魔法の類ではないのだろう。
あの「ゆめの郷」で、師であるミヤドリードの姿にその身を変えた主人の姿を見た時にも思った。
アレは、本当にその身を変えているのだと。
「なかなかの精神攻撃だったな」
「え? そんなに似てない?」
弟の言葉に、主人は自分の腕を見る。
この場に姿見がないため、今、自分の姿がどうなっているのかは分からないのだろう。
「オレはその当時の千歳さんを知らんが、少なくとも、国王陛下があそこまで動揺したってことは、似ているんだろうな。だから、精神的にダメージを食らったことだろ?」
似ているなんてものではない。
俺が知っているあの方の姿はもう少し、未来の姿であるはずだが、今の彼女の姿とほとんど変わらなかった。
確かにかなり昔の話ではある。
だが、俺も陛下も、その姿を見間違えるなんてことはないだろう。
「勝因は呼び名だね」
そう言いながら胸を張る主人。
「なんで知ってたんだ?」
確かにそれが少し不思議だった。
近年のあの方は陛下のことを「国王陛下」としか呼んでいない。
だから、彼女がそれを知るはずがないのに。
「母から聞いたんだよ」
まさか、当事者から聞き出していたとは思わなかった。
どんな流れで、そんな話になったのかは少々、気になるところではある。
「しかし、まさか、ここまで効果があると複雑だけどね」
それは俺も思う。
そして、同時に、この国は本当に大丈夫かと心配になる。
あの方は、「傾国の美女」というほど容姿が優れているわけではないが、国を傾けそうな印象は昔からあった。
それはセントポーリア国王陛下だけではなく、自分の父親を揺らがせたことからもそれがよく分かるだろう。
何故か、高位の人間ほど惹き付ける女性。
その不思議な魅力は、あの方の娘にまで引き継がれているのだから、厄介である。
「あのまま……ってわけにはいかないよね?」
実の娘の言葉としては容赦がない。
「いくらなんでも、それは駄目だろう」
弟が冷静に突っ込む。
だが、それほど、主人が陛下に対して肉親の情がないことの表れなのだろう。
その場に倒れているのが、俺や弟なら、もう少し対応が違うとも思うが。
「仕方ない。起こすか」
主人が腕まくりをしながらそう言った。
そこで、弟を頼ろうとしないのが、如何にも彼女らしい。
「いや、寝かせておいてやれ」
そう言いながら、弟は寝台を出した。
「なんで、寝台を持ち歩いているの?」
呆れたような問いかけ。
「オレはコンテナハウスも持ち歩くような男だが?」
それに対して、ごく普通に会話を続ける弟は大物だと思う。
寝台を持ち歩いている男など、女性から見れば、不審極まりないと考えるだろうに、そこには思い至らない辺り、あの愚弟は異性に対する経験が足りない。
「いや、そうなんだけど……」
少し視線を彷徨わせた後……。
「まあ、このまま床に眠らせるよりはマシか」
そして、そこであっさりそう結論付けられるのはこの主人が大物だという証左なのだろう。
いや、あの主人も弟同様、異性に対する経験が不足していると言えるのかもしれない。
あるいは、異性の前で寝台を出すという行為に、睡眠以外の用途と意図を見出してしまう自分の方が穢れているだけなのか?
そして、弟は、国王陛下を横抱きにして、その寝台に乗せた。
一国の王を臣下と呼ぶには微妙な関係の人間が、寝台に運ぶ図というのは、いろいろと複雑な気分になる。
それだけ、陛下自身の護りが万全であるというこの国の驕りもあるのだろう。
眠った状態なら、拘束することも可能ではあるし、「魔封石」などの魔石を使えば、王族の膨大な魔力を封印することもできる。
拘束するだけなら「魔気の護り」は発生しないし、その上で、「魔封石」などの魔石を使えば、王族でもほとんど無力化できる。
アリッサム女王陛下もそのような手段で捕らえられているという話を聞いた。
世界第一位の魔力所持者すら、「魔封石」の拘束に勝つことができないということである。
「兄貴も寝るか?」
「断る」
その問いかけは本気ではないと分かっていても、少しだけ口調が尖ってしまう。
「雄也は何の魔法を使われたの?」
「麻痺魔法だ」
主人の問いかけに対して、弟が俺の代わりに答えた。
俺に答えさせなかったのは、兄への気遣いか。
それとも、狭量な男の矮小な嫉妬か。
「麻痺魔法……。それで、さっき二人とも倒れていたのか」
主人は考え込んだ。
そこまで気遣う必要などないのに。
「麻痺魔法って普通はどうすれば治る?」
「ほっとけば治る」
「おおう」
弟が可愛くない解決策を提示する。
精神系の魔法ではあるが、「麻痺魔法」は種類が多い。
凍結魔法、雷撃魔法、誘眠魔法など、様々な魔法を応用することによって相手の身体を麻痺させるのだ。
だから、いろいろと考えるよりは、魔法の効果が完全に切れるまで待つ方が良いという考え方は分からなくもないが、面白みはない。
この主人のことだ。
ちょっとした言葉から、また新たな魔法を生み出して見せてくれる気がしているが、愚弟はそこに興味を持たない。
「陛下の意識は既に眠りに落ちているから、多分、そう時間はかからん」
「でも陛下の魔法だよね? 効果時間は長い可能性はない?」
「使い手が意識を落としても効果のある魔法なんて、そう多くねえよ」
「そうなのか」
だから、あまり魔法の常識を教えないで欲しい。
それは彼女の可能性を狭めてしまうことになる。
魔法は使い手の意識の塊だ。
だから、その使い手の持つ意識次第では、その可能性は無限に広がることを主人は教えてくれている。
そして、そのことによって、俺や弟は、何度もその奇跡の恩恵に預かっている。
だが、同時にそんな弟の気持ちも分からなくない。
少しでも、この手が届く範囲で留まって欲しいと思ってしまうのだ。
そんなことが許されるはずもないのに。
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